追加の調査
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神殿の中を進んで以前に通りかかった広間まで行くと、イグニスは立ち止まり、持っていたランプのつまみをひねって明かりを強くした。
「ミラルのメモによると、『この広間に描かれている蛇のどれかを調べたら、隠し部屋があるかもしれない』ってことだが――」
イグニスはメモを見ながら近くの壁に近づき、ランプで照らす。そこには規則正しく蛇の模様が並び、王や神官らしき人々が描かれている壁画にも蛇の絵が混じっていた。
腕を伸ばして先を照らすと、同じような模様と絵が延々と続いていた。
「――これ全部調べろってことらしいな。ああ、俺一人でやることにならなくて本当に良かった」
ため息半分のイグニスの呟きを聞きながら、ひびきは荷袋やベルト付きの板を置き、軽く強張った肩を回しつつ壁へ歩み寄った。
「早速調べましょう。どんな特徴があるのですか?」
「えーと……色違いとか、模様の向きが逆とか、他と少しでも違うところを調べてくれってさ。あと、パドの森の遺跡で見つけた、鍵を隠していた仕掛けの蛇と同じ絵があれば注目しろって書いてあるな」
メモから目を離すと、イグニスはランプを床に置き、壁に顔を近づけた。
「じゃあ俺が模様を調べていくから、ひびきちゃんは壁画を調べてくれ」
「はい、分かりました」
互いに頷き合うと、二人はゆっくりと瞳や顔を動かして壁を眺めていく。
この地に国があった頃は、きっと美しいタイルが整然と並び、厳かで清らかな神殿だったのだろう。しかし、今はどのタイルも色がくすみ、ヒビ割れしている。いくつか壁からタイルが剥がれ、黒い穴や岩肌を覗かせていた。
何百年もの時が流れているのだ、当然の光景だろう。特別なことではない。そう思った矢先、ひびきの脳裏に引っかかることがあった。
「イグニス先輩……一つお聞きしてもいいですか?」
ひびきの声に、イグニスが素早く振り向いた。
「ああ、何でも聞いてくれ。ちなみに彼女はいないから安心していいよ」
「……そんなことを聞きたい訳ではありません」
さらりとイグニスをけん制してから、ひびきは目を細めて壁を見上げる。
「この神殿と、パドの森にあったアデル王の墓。造られた時期は違うのですか?」
イグニスは腕を組んで一考すると、「確か……」と唸った。
「そんなに時期は離れていないらしい。とは言っても、神殿がここに出来てから、二十年後くらいにアデル王の墓が造られたって、レスター博士の論文に書いてあったな」
時期に開きはあるが、何百年という単位の中なら、さして大差はない。
ひびきはイグニスに顔を向け、大きな瞳でじっと見つめる。
「アデル王の墓はあんなにきれいな状態で残っているのに、この神殿は傷みが進んでいます。違和感がありませんか?」
即座にイグニスが頷いた。
「俺も同じことを考えていたよ。いくら立地条件が違うにしても、アデル王の墓はきれい過ぎだ。何か秘密があるのかもな」
二人は再び壁と向かい合い、しばらく無言で見つめ続ける。
このまま調査を進めたら、一体どんなことが分かるのだろうか。
娯楽ではないのだと思っていても、小さい子供が未知の童話を聞く時のように、ひびきの胸が騒いだ。
(しっかり調べて吉報を持ち帰れるよう、頑張らなくては……)
一旦息を止めて気合いを入れると、ひびきは壁の左隅に向かい、壁に描かれたモチーフを一つ一つ注視していく。それに合わせてイグニスはランプを壁に近づけ、腰を屈めて模様を調べていった。
ひびきが視線を上部から下の方へ向けていくと、壁画の人物や蛇などが左右どちらかを向いている中で、一匹だけ真下を向いた蛇に目が留まった。
「イグニス先輩、この蛇が他と少し違います」
おもむろにイグニスは頭を上げて、ひびきが指差した蛇をまじまじと見る。
指で蛇を突いたり弾いたりしてから、わずかに首を傾げた。
「絵自体には特に仕掛けはないな。もしかして、蛇の視線の先に何かあるのかもな」
壁に触れる寸前まで顔を近づけると、イグニスはゆっくりと蛇の視線を追っていく。ひびきもそれにつられて、視線を下げていった。
ふと壁に接した床のタイルの一つに、蛇の模様を見つける。風化が進んで掠れていたが、うっすらと蛇には赤い色がついていた。
「明らかに怪しいな。よし、ちょっと調べてみるから、ひびきちゃんはランプを持っていてくれないか?」
ひびきは短く頷いてランプを受け取ると、イグニスの手元を照らす。
小声で「ありがとう」と口にしてから、彼は床に膝をつけ、件のタイルを軽く小突いた。
微々たる動きだったが、タイルがイグニスの手に合わせて上下した。
「お、どうやら当たりっぽいぞ。押したら何か起きるかな?」
心なしか弾んだ声で呟くと、イグニスはタイルを強く押した。
ゴットン、という音と共にタイルが沈む。すると――。
――ズ、ズズ……。
ひびきたちの背後から、重い石を引きずるような音がした。
各々に音の聞こえた方を振り向くと、いつの間にか床に階段が現れていた。
「隠し階段か……ひびきちゃん、少し動かないでくれ」
立ち上がったイグニスにひびきが頷きながらランプを渡すと、彼は辺りを見渡しながら、慎重な足取りで階段に近づく。
「……変な仕掛けはなさそうだ」
動いても大丈夫、とイグニスが手招きして伝える。ひびきも用心して気を抜かず、辺りの気配を探りながら足を踏み出した。
ひびきがイグニスの所まで行くと、彼を先頭にして階段を下りていく。直に岩山を掘って作ったのか、下りる度にゴツゴツとした感触が足に伝わってくる。
息を吸うと冷たい空気に混じって埃っぽい臭いがする。あまりいい臭いではない。なるべく鼻ではなく、口で浅い呼吸を心がけながら先を進んだ。
階段を下り終えて、イグニスがランプで前方を照らす。
そこには奥に伸びた縦長の部屋があった。
何らかの儀式をする所だったのか、何匹もの蛇を従えた女性の絵が床に大きく描かれている。土埃に塗れているが、さっきまで見ていたタイルよりも色は剥がれていない。
そして部屋の両脇には、丸型や細長い棒状の、白い石のような物が点々と転がっていた。
「これは……シアの絵か。ここは一体どういう部屋なんだ?」
イグニスは床に足を着けると、部屋の右脇に足を進めた。
こつ。彼の足に細長い石が当たる。
身を屈んでその石を摘むと、イグニスの眉間に皺が寄った。
「イグニス先輩、それは何ですか?」
「かなり風化しているが、これは骨だ」
そっと骨を床に置き戻すと、イグニスは体を起こして辺りを見渡す。
「どうやら床にゴロゴロ転がっているのは、全部骨みたいだな。恐らく……人骨だ」
思わずひびきは息を呑む。ランプで照らされた所だけでも、骨があちこちに散乱し、頭蓋骨らしき物も四、五個ほど転がっている。この床すべてがそうなのかと想像した途端、背筋に悪寒が走った。
イグニスは顔をしかめながらも、骨から目を逸らさずに独り言を呟く。
「見たところ、一体一体丁寧に寝かされていたみたいだな。もしかして遺体の安置所だったのか? 女神の祝福を受けて、死後の世界へ旅立てるように――」
二歩、三歩と部屋の奥へ進んでから、イグニスがこちらへ振り向いた。
「ここの調査は俺がやるから、ひびきちゃんは上の広間を調べてくれ。何か発見したらそれに触らず、すぐに俺を呼びに来て欲しい」
そう言いながら彼はズボンのポケットをまさぐり、銀のライターを取り出してひびきに投げ渡す。
手首の捻りをきかせてライターを受け取ると、ひびきは「分かりました」と頷き、くるりと背中を向けた。
ライターに火を点けて灯りにしながら階段を上って広場に戻ると、荷物を置いた所へと移動し、荷袋から予備のランプを取り出す。
火を灯して明かりの強さを調節してから、ひびきは大きく息をついた。
(ここをさらに調べたら、また同じような部屋が見つかるのだろうか? やっぱり調査のためとはいえ、死者の眠りを妨げている気がして割り切れない……ん?)
ふと神殿の入り口の方に何か動く気配を感じ、素早く目を向けた。
(動物? ……それとも、まさか人?)
おそらく山の動物が入り込んだのだろうが、ハーマン伯爵の手の者が妨害しに来た可能性も考えられる。
ひびきは息を潜め、気配を感じた先を見据える。
しかし、いくら待っても再び気配を感じることはなかった。
(灯りに気づいて逃げたか? 念の為にイグニス先輩に報告しておこう)
辺りへの警戒を解かずに階段を下りようとした瞬間――。
――床下の部屋から、地を這うような濁った地響きと、「うわっ!」というイグニスの驚いた声が聞こえてきた。
「イグニス先輩!」
ひびきは弾かれたように走り出し、階段を駆け下りる。
部屋からイグニスのランプの灯りが見えず、言いようのない不安で鼓動が激しくなった。
階段を下り終えると、真っ先に暗闇に包まれた部屋をひびきのランプで照らす。
中を見渡してもイグニスの姿がない。
全身から血の気が引いていくのを感じながら、ひびきは奥へと進んでいく。
と、部屋の隅の方に大きな穴と、その縁にしがみつくイグニスの手が視界に飛び込んできた。
慌ててひびきはランプとライターを置くと、穴に駆け寄って覗き込む。
そこには息を切らせながら底の見えない穴へ足を垂らしたイグニスがいた。かなりの恐怖を感じたらしく、こちらを見上げる目には涙が滲んでいる。
「大丈夫ですか?!」
ひびきがイグニスの手首を強く掴むと、彼は口をパクパクさせながら小刻みに頷いた。
「だ、だ、大丈夫、ケガはないよ。いきなり床が崩れて……うわあ、びっくりしたー。こんな情けない姿を見せることになるなんて……」
「そのまま落ちなくて良かったです。待っていて下さい、今すぐ引き上げますから」
両足にありったけの力を込め、ひびきはイグニスを引っ張る。
頭と肩が穴から脱出しかかると、即座にイグニスは両腕で床にぶら下がり、体を引き上げようとした。
その刹那、イグニスが目を見張った。
「ひびきちゃん、後ろ!」
「え――」
咄嗟に振り向こうとした瞬間、ひびきの肩に衝撃が走る。
視界の端に映ったのは、フードで顔を隠した誰か。
突き飛ばされたのだと理解したのは、二人の体が穴へ吸い込まれる寸前だった。
このまま落ちれば死ぬかもしれない。生きていたとしても大ケガは免れない。
もう、どうしようもできない。
ひびきの思考が止まる。
直後、手を強く引かれ、イグニスに全身を包み込むように抱き締められた。
「大丈夫、ここは俺に任せてくれ」
耳にイグニスの声が間近で響く。
真っ逆さまに落ちながら、ひびきはイグニスの胸元にしがみつき、訪れるであろう衝撃に備えて歯を食いしばり、ギュッと目を閉じた。




