序章ー7
「それで……、キリュウさんはエレナ様と契約したと……」
元々ツリ目がちだったクラリスの目が今は更につり上がっている。
「そうらしいね」
「らしいとは、なんデスか! らしいとは!! あなた、今、どういう状況か分かっているのデスか!? アザルヘイト王国の王位継承争いに巻き込まれようとしているんデスよ!! 何、平然と他人事のように落ち着いているんデスか!!」
とある宿屋の一室にクラリスの悲鳴の様な声が響き渡る。
そう俺は、今、あられもない格好で俺に抱きつく様にして甘えてきているエレナこと、エレナ・B・F・アザルヘイトの手によって権力闘争に巻き込まれる事になったのである。
エレナが気を失った後、俺はエレナを抱え馬車までダッシュ。
雇い主からは、お咎めなしだった。
山賊モドキの大半を俺が倒したと言うのも理由の一つだが、実はエレナも積み荷扱いだったらしく(正確には乗客なのだが)、逆に感謝されてボーナスまで付いてきた。
賊は定額で一人、銀貨二枚(二十万)。これは国から報奨金としてギルド経由で払われる。なので計、銀貨八枚(八十万)。アラン個人から払われたのがボーナスを含め、半銀貨五枚(五万)。これが今回の稼ぎである。新米ハンターの収入にしては破格の稼ぎだ。
そんな訳で意気揚々と交易都市クロウスで褒賞金やらの手続きをギルドで済ませ、メインストリ-トから一本離れた普通の宿に泊まろうとしたのだが、ここでひと悶着あった。
都市に着いてから、まるでカルガモの子供の様にエレナが当然の如く俺の後をついて来たのだ。いや、それはまだ良い(クラリスはいい顔をしていなかったが……)。手首に現れた刺青の説明をまだしてもらっていないので、むしろ居なくなってもらっては困る。問題になったのは部屋割りと言うか、宿での受付での一幕である。
「部屋はまだ空いてる?」
「ああ、大丈夫だよ。一人部屋を三つかい? それとも三人部屋一つ?」
受付の親父がチラリと俺達を見回して、部屋割りを聞いてきた。ここでもまた間違いなく俺は女扱いされている。
「じゃあ、一人部屋の方を素泊まりで」
「一人、銅貨四枚(四千)だ。先払いで頼むよ」
と、言いつつ後ろに掛かっていた鍵を三本外し、カウンターの上に出した。
俺は言われた通り、銅貨を四枚そこに置き、クラリス達はどうする? と視線を向けると、今まで無言だったエレナが一歩前に出て、
「あたしはこの人の所有物(奴隷)だから一緒の部屋でいい」
と、のたまった。
「え、エレナ様?」「……は?」
と、困惑しているクラリスと俺を放置して、親父から鍵を受け取ったエレナは呆然としている俺の手を引いてズンズン部屋へと歩いて行く。
背後から『え!? ッちょ! まッ、待ってくださ~い!』とクラリスの情けない悲鳴が聞こえたが、エレナは一度も足を止めることなく部屋までたどり着き、暫くすると息を切らしたクラリスが荒々しくドアを開けて進入してくる。
「どう言う事ですか!? 説明を要求するデス!!」
未だ呆けてイスに座っていた俺の襟首を掴んで、ガックンガックンと前後にゆする。と言うか、ゆすろうとするが、俺の方が、力が強い所為でクラリス自身が揺れる。
「いや、俺も良く分からないんだ。……で、説明はしてくれるの?」
揺れるクラリスのタレウサ耳を掴んで強引に動きを止めつつ(イタイ、イタイと悲鳴が上がっているが無視の方向で)、エレナに視線を向ける。すると自分の荷物を整理していたエレナが俺の視線に気付き、トテトテと寄ってくる。
「……何?」
「この刺青の件とか、さっきの発言の事とか説明してくれる?」
「分かった」
そう短く答えると、特徴の無いワンピースを唐突に脱いで、キャミソールとドロワーズ姿になると、更にキャミソールまで手にかけるエレナ。
そこで、漸く固まっていたクラリスが動き出した。ちなみに俺は固まったままである。
「おやめください、エレナ様」
「……実物を見せながら説明した方が早い」
と、エレナはクラリスの制止を振り切って、キャミソールをも脱ぎ捨て、淡く膨らみかけた幼い小麦色の乳房と、その頂点にある小さなサクランボを白日の下に曝す。
そして、ストリップ? を唖然として見ていた俺の膝の上に対面する様によじ登り、俺の手を取って自分の胸に押し当てる。
「……ゥん」
と、吐息と共に、白に近いプラチナブロンドの腰まである絹糸のような柔らかい髪がサラサラと揺れる。やはり恥ずかしいのか、首まで色づいており、長く尖った耳はせわしなく上下していた。
しばしエレナの胸に手を当てていると、エレナの心臓の上辺りに複雑な魔法陣らしき物が浮かび上がった。
「なッ! 奴隷印!!」
驚愕の表情を貼り付け、声を張り上げるクラリス。
「奴隷印?」
「…………正式名称、契約魔法陣。事前に提示しあった条件を厳守させる魔法なのデス。その中でも生殺与奪を含む全てを相手に預けた場合にのみ、心臓の上に魔法陣が現れます。奴隷などにこれを用いる事から通称『奴隷印』と呼ばれるようになりました。ですが、何故エレナ様とキリュウさんが……」
(思い当たる節がある。あの問答も、あのキスも、そうゆう事かぁ)
という事は、この手首の刺青も契約魔法陣と言う事になる。内容は……、
「――エレナを守る事か……」
「そう、あなたはあたしの事を決して裏切らない味方。その代わり、あたしはあなたに全てを捧げる」
そう言いながら、妖精のように愛らしい幼女が半裸のまま俺に抱きついて、甘えるように頬を摺り寄せてくる。そんなエレナの頭を優しく撫でてやりながら、俺は考えを纏めていく。
(裏切らないか……、何かあったのかな? まあ、それは一先ず置いておくか。……要するに、エレナをあの黒装束みたいな奴等から守り切れば良いわけだよな。なら……)
「――問題ない、かな」
「問題大有りデス!」
俺の呟きに、クラリスの鋭いツッコミが入る。
「あなたは現状を理解して無いからそんな事が言えるのデス!」
「うん? そうなの?」
俺は撫でる手を止めずに、クラリスに向き直る。
「いいデスか! エレナ様の本名は、エレナ・B・F・アザルヘイトと言うのデス!」
「ほぉ」
「そう、何を隠そう、あのアザルヘイト王国の第三王女なのデス!!」
「へぇ」
「しかも、しかも、半年後に開始される王位継承戦の結果いかんによっては女王に成られるかも知れない方なのデス!」
「それはすごい」
「…………本当にそう思ってますか?」
先ほどまでハイテンションに説明していたクラリスが、気の無い相槌を打つ俺に対して冷ややか目をして訊ねてくる。
「あ~~、そうなのか、とは思うけどね。アザルヘイト王国に何の義理も無い俺としては王族だと言われてもねぇ……」
王族ってだけじゃあ、敬ったり謙ったりする心算は無い。それに……、
「――これ(契約魔法)に縛られてるんだから、結局、護衛する事には変わりないよね」
「変わります! おおいに変わります!! 王に成るかも知れない姫なのデスヨ! 今後もあの黒装束のような手練が襲って来るかも知れないのデス!! その認識が有るのと無いのとでは、雲泥の差なのデス! ……それと契約した時の状況を一応教えてください」
ここで冒頭に戻るわけである。
「それで王位継承戦って言うのは、どう言う物なのさ」
権力闘争に参加したくは無いが、最早強制参加っぽいので、取りあえず、情報収集に勤しむ事にした。奴隷に使われる様な魔法である簡単に解除は出来ないだろう。
「……半年後に魔導都市ザルトにあるアザルヘイト魔法学院に入学し、そこで王位継承権を持つ者同士で成績を競います」
「なんか……、想像してたのより、大分ほのぼのとしてるな……」
と、思わず呆れた声がでてしまう。
「王は馬鹿では務まりませんから、ですが成績はあくまでも参考程度です。色々と採点基準があるようですが、もっとも重視されるのは実績だと言われています」
納得である。確かに王が馬鹿なのはいただけない。それにしても、実績か、
「……例えば」
「そうですね。…………例えば、四代前の王は一等級のモンスターの討伐に参加して活躍された実績で王に成られました。更に二代前の王は小麦の効率的な栽培方法を発見した功績で王に成られました」
「節操の無い事で……」
「それでキリュウさんは、これからどうされるお心算なのですか?」
言外に、『勿論、最後まで付き合ってくれるんですよね。もし、そうじゃないなら……』と、クラリスの瞳が剣呑な光を宿しているような気がした。
「心配しなくても暫くエレナに付き合うよ。元々、クロウスを拠点にしてお金を貯めて世界漫遊する心算だったから、別段これと言って予定が有る訳じゃ無いしね。……それと一応、聞いておくけど、奴隷印って簡単に消せたりしないよね?」
「安心しました。そうですね、奴隷印はその特性上、簡単に消せるような物ではございません。消すには二種類ほど条件がありまして――」
①最初に取り決めた条件を完遂した場合。今回は無期限でエレナの味方をする事に成っているので、最悪、どちらかが死なないと条件を満たせないらしい。
②両者が心の底から契約破棄を望んだ場合。これも、奴隷側であるエレナが望んで結んだ契約なので無理だそうだ。
「やっぱりかぁ……、そういえば、クラリスとエレナの関係って結局どんな関係なの?」
「わたしはエレナ様付きの護衛騎士です」
「あ~~、うん」
俺がなんと言うべきか迷って、そう口にすると、先ほどまで、ピンと立って説明をしていたクラリスがガクリと肩を落とし、その周辺に影が差した。
「ええ、ええ、何も言わなくても分かっています。わたし、護衛失格です。お荷物です。田舎に帰って巣穴を掘ってろ! と言われてもおかしくないくらいの駄ウサギっぷりでした」
「え~と、取りあえず、今日はもう休みなよ。うん。それがいいよ」
あまりに痛々しい雰囲気に自然とそんな言葉が口をつく。
「うぅ~、今はその優しさが突き刺さって痛いですが、ありがとうございます」
そう言葉を残し、クラリスはトボトボと部屋を後にした。
「…………エレナも黙ってないで、慰めて上げれば良かったのに」
甘えだしてから一言も口を開かなかったエレナ。何かしら理由があるのかなと推測しつつ、そう声をかける。
「クラリスは信用できない」
と、ブスリとした声で返答された。
「何故に?」
「……あの国の騎士は信用しちゃいけない」
「…………そう」
「……怒っている? ……無理矢理、契約魔法を使ったこと?」
か細い声が胸元から聞こえてくる。
「……少し」
自分でも思った以上に気にしていたのか、非常に硬い声が口から飛び出した。エレナの肩が小さく震える。
「でもまぁ、過ぎた事をグダグダ言うつもりは無いよ」
「……ありがとう。……ごめんなさい」
俺にギュッとしがみ付きながらか細く揺れる声を発するエレナの背を優しく撫でてやる。暫くすると身体から力が抜け寝息をしだした。
『いくら八歳位の子供とは言え、よく半裸の姿で無防備に寝れるなぁ』
と、苦笑を浮かべつつエレナをベッドに寝かしつけ、自分も横に転がる。
(はてさて、これからいったいどうなる事やら)
ハンターとしてお金を稼ぎつつ、物見遊山をする心算が何時の間にやら、お姫様の護衛に早代わりである。まあ、この世界の学校やらが見学出来そうなので、当初の目的通りと言えなくも無いが……。
俺はこれからの半年をどう過ごすか、思いを巡らせながら眠りに着いた。
深夜、とある宿屋の一室。
光源は開いた窓から差し込む月明かりのみで、部屋はほぼ漆黒にまみれていた。
「それで、どのような状況だ」
「そうですね。……果実を守る為、木の幹に赤い狼が鎖で繋がれた、と言った所なのです」
「その鎖は切れそうに無いのか?」
「不可能なのです。ご存知の通り、通常の奴隷印が浮かぶ契約魔法は主側が主導権を握って契約を結びます。その契約の中には、奴隷の譲渡や、解放条件がありますが……」
「今回の物には無いと」
「ハイなのです。今回は異例中の異例。奴隷側が自分から隷属する事を選びました。奴隷側が望まぬ限り解除はされないでしょう。それと……」
「最悪、狼が死ぬと木が枯れて果実がダメに成ると?」
「恐らくは……」
「まあ良い、我が主は『姫が生きてさえいれば良い』と仰っていた。あの魔装具使いならば、早々、後れは取らないだろう」
「……魔装具使いなのですか? ですが彼はケモ耳族なのでは?」
「それは我も分からん。だが、間違いない。我が魔装具『エテシア』を難なく受け止めた」
「魔装具に相対せるのは魔装具のみ、ですか?」
「そうだ。いかに凡人共(魔法使い)が声高に叫ぼうとも、魔装具こそが最強にして最硬の武具であり、魔法だ」
「人族が創りだしたと言う魔導具ではないのですか?」
「あんな、似非魔装具に防がれるほど、我がエテシアは安くない」
「……それは失礼しました」
「ふん。我はこのまま主に報告に帰る。恐らく、優秀な護衛が付いたとお知りになれば、計画通りにことが運べるとお喜びいただけるであろう」
「……はい」
「もう、強引に拉致する必要はなくなった。貴様は予定通り、護衛をしつつ監視を続けろ」
「……ハイ」
「山賊の件だが、誰が差し向けたのかは分かっていない。十分に注意しておけ」
その言葉を最後に窓から黒い姿の人物が飛び出していった。
「…………すみません。エレナ様、キリュウさん。……すみません」
寒々しい夜気が充満した部屋で、そんな物悲しい声が小さく響いた。