田所修造の場合 74
俺は焦りながらビクターの宿の扉を乱暴に開けた。壁に打ち付けられた扉が高い音をたてて、酒場中へと鳴り響いた。
酒場にいた老人達とビクター、そして老人達にあやされているアンジエがびっくりした様子で俺を見たが、俺は無視して自室へ向かおうとした。
「何だ!?どうした!ゴブリンの集団と何かあったのか!?」
ゴブリンの群れを始末しに行った俺が取り乱した様子で戻って来たのだ、それは何かあったと思うだろう。
「ゴブリン共は全て始末した。何の問題も無かった。問題があるとすれば、俺自身の問題だ」
「なんだ!?どうしたんだあんた!一体何を言っている!?」
ビクターは俺を引きとめようとしたが、俺は構わず自室へと急いだ。まだ時刻は夕暮れ時でカークスは戻ってきていないはずだ。とにかく今は一人になりたい。
後ろから追いかけてくるようにビクターの声が響いたが、構わずに自室へと急いだ。
混乱する頭に、何故なのかどういう事なのか自問の言葉のみが響く。
自室へと到着すると室内より鍵を掛ける。そしてベッドに腰掛け先程のゴブリンとの戦闘での出来事を反芻した。
農夫を抱えてビクターの宿から飛び出した俺は、すぐに農夫の集落へと到着したがそのまま集落へはよらずに飛び続け、風の精霊を使役して探索を行った。
ゴブリンの群れはすぐに索敵に引っかかり、魔法のコントロール練習を兼ねて上空から攻撃しようと群れへと近寄って行ったが、群れが視界に入るとさっきまで考えていた事を無視して俺は突撃してしまっていた。
例の戦闘時に感じる怒りの感情。狂おしい程のゴブリンへの怒り。直接なぶり殺しにしたいと、脇に農夫を抱えた状態なのに、俺はその思いにあらがう事が出来なかった。
先日の賊との戦闘で怒りを感じなかった事から、もしかしてもう怒りを感じなくなったのではと、俺は安易に考えていた。しかしそうでは無かった。
ゴブリンへと突撃し、メイスと近接距離における魔法攻撃にてゴブリンの群れを仕留める。
脇に抱えた農夫が絶叫するのを無視し、怒りに任せて血の雨が降る地獄を形成する。
ゴブリン共はまともな抵抗も出来ずに、一切手加減しない俺に粉々にされ、間も無く全滅した。
ゴブリン共を殲滅した後、俺は激しい怒りを感じたその事実に戦慄し、しばらくその場を動くことが出来なかった。
何故なのか、その言葉のみが繰り返し頭に浮かび、まともな思考が一切できない。出口の見えない迷路にいきなり叩き込まれた絶望感を感じ、俺は藁をもつかむ気持ちで付近に漂う精霊に聞いていた。
俺が戦闘時に感じる怒りは何なのか、と。
どうせまともな返事は得られないだろうと思っていたが、精霊は普段のようにあいまいな返答ではなく、俺へ明確な答えをよこした。
私達精霊はよどみによって歪められた存在を目前にすると怒りを感じる、と。
精霊よりの返答を聞いた時はじめはよく理解できなかったが、すぐに「私達」と言う言葉の意味に気がつき、事態の重大さに思い至った。
そして俺はその場に凍りつくようにして、しばらく動くことが出来なくなった。
農夫のすすり泣く声が聞こえて来て、俺はようやく正気に戻ると、呆然としながらもすすり泣く農夫を抱えてその場を飛び立った。
◆
部屋の外からは俺を心配するビクターやアンジエの声が聞こえてきたが、しばらくすると静かになった。
ベットに腰掛けて、俺は自分の手を見つめながら考える。まったく笑えるくらい俺は適当な人間で思慮が浅いと。
あの竜種との最後の戦いで、俺は精霊と同化したと自覚した。精霊の姿を見れるようになり声も聞けるようになった。その後のダイモーンとの話により確信は深まり、ダイモーンが自分と同じ存在であることも分かった。しかし、本当の意味で俺は理解できていなかった。
精霊と同化する。俺はそれを精霊が認知できるようになり魔法が使えるようになったくらいにしか認識していなかったが、そうじゃ無かった。
精霊と同化すると言うことは、俺自身が変質すると言う事だった。
ダイモーンとの話では、たしか700年生きていると言うのは精霊と同化した結果だとか言っていた。妖精族の寿命は詳しく知らないが、今まで会って来た奴らの年齢は皆外見とさほど変わりなかったので人間と同じくらいなのだろう。
その妖精族のダイモーンが700年も生きている。そしてダイモーンは俺も多分そうだとか言っていた。多分それくらい生きるだろうと。
今回、精霊が戦闘時に感じる怒りの原因について教えてくれたおかげで、適当な俺でもようやく気が付くことが出来た。
俺は、すでに人間じゃ無くなっているという事に。
多分半精霊とでも言う存在になっているのだろう。精霊は俺を同族と見なしているようだが、正確には違うと思う。精神体のみの存在である精霊と違い俺には肉体がある。しかし俺の精神は精霊と同化しており、その影響が肉体にも及んでいる。異常な長寿などがそのいい例だろう。
「普通は、700年くらい生きるって言われたら気がつきそうなもんだよな」
いくらダイモーンと話した時、日本に帰る方法を知ることで頭がいっぱいになっていたとは言え、今の今まで寿命が700年くらいと言われたことを特に深く考えなかった自分自身に愕然としてしまう。なんと適当な性格なのだと。
ベット脇にある水差しからコップに水を満たし一息に飲み干す。深いため息をつきながら、ごろんとベットへねっころがり考えた。半精霊となった事で何か問題があるかとか、何か確認せねばならないことは無いかと。
ごろごろしながら考えたが、特に不都合は思い当たらなかった。要は『よどみによって歪められた存在』に怒りを感じるのみで、寿命が延びるのは今のところ問題無いような気がする。むしろ戦闘時に感じる怒りの原因がはっきりしてスッキリしたぐらいだった。
日本へと帰る、その意思は変わらない。日本へ帰ることで半精霊の状態が元に戻るのか、それとも半精霊の状態のままなのかそれは分からないが、分からない事を今考え続けてもしょうがないし、色々不都合が生じそうだけど最悪半精霊のままでもいい気がする。
「よし!」
俺は声を上げて立ち上がり部屋のドアを開けた。
ドアの外ではアンジエが廊下に座っており、部屋から出てきた俺を不安そうに見ている。
俺の状態が普通じゃなかったため心配していたのだろう。俺はアンジエを抱き上げてやり、脇でおろおろしていたビクターに声をかけた。
「悪いな、心配かけたみたいで」
「あんた一体どうしたんだよ、すごい形相で帰ってきたと思ったら部屋に閉じこもっちまうし」
「ちょっと自分自身について新しい発見があって、少し混乱していた。もう落ち着いたから大丈夫だ」
「もうこっちはビックリしちまったよ」
「すまなかったな」
ビクターは俺の顔をしばらく見てから「何か随分スッキリした顔してないか?」と聞いてきた。
「まあな、ひどい便秘が突然なおった気分だ」
「便秘?…まあ何にしろあんたに問題が無さそうで良かったよ」
そう言うと、ビクターはそろそろ飯の時間だぞと言って一階の食堂へと下りていった。
夕食の仕込みで忙しいだろうに、アンジエが部屋の前から離れたがらず、一緒に俺が出てくるのを廊下で待っていてくれたのだろう。悪いことをしてしまった。
「カークスもそろそろ帰ってくる頃か、アンジエ飯食いに行くぞ」
俺がそう言ってもアンジエは俺に抱かれたまま胸に顔をうずめて少しうなるだけだった。随分心配してくれたのだろう。俺はそのままアンジエを抱いて一階の酒場兼食堂へと下りていった。
◆
普段より料理の品目を増やしてもらい料理で溢れそうになったテーブルで、俺とカークスとアンジエそしてアレンとリックで食事を一緒にしていた。
アレンとリックが一緒に食事を取っている理由は、先日襲撃してきた賊の中に兄のマルスがいたことがアレンにとってかなりショックだったらしく、アレンはあれからずっと家に引きこもっていたので、カークスとリックが無理やり連れ出してきたためだ。
「相変わらず美味いなビクターの料理は!ほら、お前らももっと食え!」
俺が声をかけ、アレンの両隣に座るカークスとリックがとりなしても、アレンはぼそぼそと食事をするのみで生気が一切感じられない。
兄貴に殺す宣言されたのだから落ち込んでいるのも理解出来るし同情はしているが、俺は自分の問題が解決したばかりで気分がすこぶる良かった。アレンがどんより負のオーラを撒き散らしていたが、俺は気にせず料理にがっつき焼きワインもがぶがぶ飲んでいた。
「どうしたんですかバアフンさん、今日やけに上機嫌じゃないですか?」
「おう、機嫌いいぞ。ちょっと疑問に思っていたことがあったんだけどそれが解決してな。ほらお前ももっと飲めよ、ほら」
「ちょ、僕はもっとゆっくり飲みますって…ああ、もうこんなになみなみ注いで…」
「バアバア、アンジエこれいらない」
「たくっ、しょうがねえな。一個食ってやるから残りは自分で食え。好き嫌いするなよ」
「えー、アンジエいらないのに…」
俺はアンジエが要らないと言った脂身の多い肉片を一つ口に放り込む。賊の襲撃があった直後は一時的に肉が食えなくなったアンジエだったが、数日経つとちゃんと肉を食えるようになった。ただ脂身の多い部分は完全に苦手になってしまったようだが。
「おいアレン、お前ぜんぜん飲んで無いじゃねぇか。ほら俺のおごりだどんどん飲め」
この国は未成年だろうがなんだろうが飲酒が規制されないため、アレンもリックもワインを飲んでいる。ただアレンはそれほど飲んでおらず、相変わらず浮かない表情をしている。
「アレン、お前兄貴の事がそんなに気になるのか?」
「…当たり前だろ、俺の、たった一人の家族なんだから」
「へぇ、そんなもんか。俺は家族が多かったから逆に兄貴なんて鬱陶しくて仕方が無かったけどな」
「え?バアフンさんってお兄さんいたんですか?」
俺がアレンに話しかけていたら興味を持ったのか脇からカークスが質問してきた。
「ああ、俺は兄貴の他にも姉貴がいる」
「バアフンさん末っ子なんですか。そっかぁ、なんだかすごい腑に落ちました」
「…ん?何が言いたいんだ、カークス君?」
「…いやぁ、さぞかしバアフンさんは愛されて育ったんだろうなって」
「思ったこと正直に言えばいいってもんじゃないぞ?」
酒の回った頭でカークスのもみあげ引っこ抜いてやろうかなとか考えていると、アレンがぼそぼそ話しかけてきた。
「…あんたの兄貴ってどんな人なの?」
ビクターの真似かアレンは俺をあんたと呼んだ。
「俺の兄貴?まあ一言で言えば石頭だな。一切融通が利かない化石のような人間だ」
「仲良いの?」
「すこぶる悪いな。兄貴とは年が結構離れてて一緒に遊んだこともほとんど無かったし、ちょっと俺がいたずらでもしようもんならすぐにボコボコにされたし」
「それでバアフンさんはこんなに凶暴に育ちゃったんですね」
「あれ?カークス君もみあげにゴミついとるよ」
もみあげを引っこ抜かれ、カークスは魂切るような悲鳴を上げながら地べたを転がる。
俺は派手に痛がるカークスを無視してアレンへ言った。
「ただ、大人になっても兄貴が俺の兄貴なのは変わらなかった。当たり前のことだが」
酒のせいかおかしいことを言っている気がしたが、そのまま俺はつづけた。
「多分これからも、兄貴はずっと兄貴なんだろうと思う」
俺の顔を見上げるようにしていたアレンが、戸惑うように顔を伏せた。
「…何言ってるか、意味わかんないよ」
「俺もよく分からない」
「…何だよ、それ」
「よく分からないが、俺と兄貴の関係は変える事の出来るもんじゃ無いって思う」
自分の空になったコップに酒を満たしてから、アレンのコップにもワインを注いでやる。もちろんぎりぎりまで。
「そんな事より酒を飲め。酒を飲まないと人生半分損するぞ」
声をかけながらアレンを見ると、すごい嫌そうに俺を見上げていた。
「酒を廻せば人生廻るってな、お前みたいなお子様には分からんだろうが、何時までもうじうじ悩んでないで酒を飲めって事だ。酒を飲めばお前の人生が回りだす」
「子供相手にめちゃくちゃ言ってますね、バアフンさん」
いつの間にか復活したカークスを軽く睨んでから「酒は人生の真理なんだよ」と言い返す。
あきれ顔のアレン一瞥してから、俺は人生の真理らしい焼きワインを自分に流し込んだ。
アレンは完全な酔っ払いと化した俺を嫌そうに眺めてから、いかにも仕方が無いなといった感じでコップのワインを一口飲む。
「兄貴のことは明日また考えればいいんだ。どうすればいいか分からなけりゃまた酒飲んで次の日考えろ。それでも分からなきゃビクターにでも聞け。俺は知らん」
多分俺はそんなようなことをアレンに言った気がする。
俺はそこら辺から記憶が途切れてしまい、その後の出来事を思い出すことが出来ない。
遠くでカークスが俺を批難する声が聞こえていた気がするが、気のせいだろうと思う。