田所修造の場合 70
目前へ迫る魔法に対し、反射的に周囲の精霊を大量に使役して魔法をかき消す防御フィールドを形成する。
集まった精霊達が光の束のようになりやぐらを囲むのと、賊の放った魔法が着弾するのはほぼ同時だった。
魔法は着弾すると同時にかき消され、精霊が一切感じられない正体不明だった雷の束も、精霊魔法と同様に無効化され俺はほっと胸をなでおろした。
俺達の目前まで迫っていた魔法がかき消されると、防御フィールドを形成していた精霊達がふわふわと俺の周囲へと漂い始めた。
「なっ、なんだよ今のは!」
「バアフンさん、こんなことも出来たんですね…」
騒ぐアレンと何故かあきれた口調のカークスの声を横手に聞きながら、やぐらの前方に広がる賊共を見下ろす。
丁度やぐらを中心に弧を描くように広がっており、その周囲には何も無い。
俺の魔法で狙い打つにはこれ以上無い状況となっている、これなら手加減しないで魔法を放てば、一撃で終わる。
これから手を下すと言うのに相変わらず冷めた自分を感じながら、集まった大量の精霊を利用し魔法を放とうとマーナの再投与を始めた。賊共は魔法が無効化されたことにより動揺していて、俺が魔法の準備をしていることに気がついているだろうに、逃げることも出来ないでいる。
――これで俺も人殺しか
考えとはうらはらに何も感じない自分に舌打ちしそうになったが、ふと何か違和感のようなものを感じた。精霊魔法を放つ準備はとっくにできており、あとは放つだけの状態となっていたが、いやに気になってしまい、賊共へ片手を向けた状態のまま何がおかしいのか考えた。
人殺しに対する良心の呵責とかじゃなく、何かいつもと違うようだと考えていると、今の自分の状況がこれまでとまったく異なることに気がついた。
――今俺は、怒りをまったく感じていない
悩みに悩んでいた原因不明の怒りの感情、それがまったく感じられないことに気がつき、俺は激しく動揺してしまった。
動揺し、集中を乱してしまった俺は、せっかくマーナを供給し使役していた精霊を拡散させてしまう。
「しまった!」
致命的な最悪のミス。賊共はその隙に混乱から立ち直り動き出した。
逃げるかと思いきや門へと殺到すると、何故か内側から門が開けられ、賊共が中へと突入して行く。
かんぬきでしっかりと閉じられた門がどうして開かれたのか、とっさ出来事に俺が混乱し何も出来ないでいると、となりに居たカークスが門の内側へとやぐらから飛び降りて行った。
俺もすぐ後に続こうとしたが、頭の後ろにアンジエがいることを思い出し、やぐらに踏みとどまる。
「何て、ことだ…」
――最低のミスと賊の予想外の行動… これは取り返しが、つかないかもしれない
やぐらの上からカークスが飛び出していった方を見ると、カークスは賊共が町に入るのを防ぐのに間に合ったらしく、町を背に片刃剣の大刀と小刀を両手に抜き放っていた。
門を抜けた賊共を、町に侵入させないように立ちはだかるカークス。詰め所よりはまだ増援が来ない。
やぐらの上から魔法を射かけようにも、この位置関係ではカークスまで巻き込んでしまう。カークスが間に合ったからこそ賊共が町に侵入することを防げているので、やむを得ない事なのだが。
カークスへのフォローも出来ず、魔法でやぐらを狙われる危険からアンジエとアレンを残して行くことが出来ない。激しい後悔に背筋が凍るような感覚を覚え、俺はただ歯を食いしばり、何も出来ない自分に対する、吹き荒れそうな思いに耐えた。
◆
――背後は町。ここを抜かれれば町に被害が出てしまう
両刀を抜き放ったカークスはそれを広げるように構えて、通せんぼをするように賊の前に立ちはだかっている。
カークスは片手で持つ大刀の握った感触から、自分の想像通り『身体強化の祝福』が掛けられた状態だと片手でも十分大刀を扱えることを確認していた。むしろ、手の中にある大刀は軽すぎるくらいに感じられる。
目前には急に自分がやぐらから飛び降りてきたためか、賊達が驚いた様子で立ち止まっている。しかし賊達は立ちふさがる自分の姿を確認すると、侮りの色を目に浮かべ、奇声を上げながら殺到してきた。
以前の自分ならあまりの恐怖に立ち竦み、ろくに動くことすら出来なかったかも知れない。剣術道場の免許取りなどと言ってもゴブリンさえ殺したことが無く、戦闘経験は盾役の竜種戦を除き皆無だった。
しかし今の自分は以前の自分とは異なる。バアフンさんに信頼され守るべき者がいる。そしてなにより、自分が何を出来るかを知っている。
カークスは地面を軽く蹴りつけ距離をとった。地面を蹴った感触を確認しつつ、なおも追いすがってくる賊の右手の方向へすり抜けるように、地面を強く蹴りつけて跳ねた。
高く飛ばずに前方へと飛ぶように跳ねたカークスは、自分の急速な接近に反応が遅れた賊の腿に、左手にもった小刀を撫で付けるようにして通り抜けて行く。そして右手に持った大刀でそばに居た賊の首を、丁寧に力を入れすぎないよう切り上げる。切り上げの動作が完了する前に、再び地面を軽く蹴りつけ距離をとると、宙に血がしぶいた。
首を失った賊の体が血しぶきを上げながらゆっくりと倒れ、足を切りつけられた賊は驚愕の表情でカークスを見てから、自分の足を見る。
腿が、まるで新しい関節が出来たかのように血を吹きながら折れていき、そのまま体勢を維持することが出来ずに地面に倒れる。完全に断ち切られた自分の足を見て、賊が絶叫の声を上げた。
魔法を使う者が多く居るようなので、狙われないようカークスはすぐに横手に飛び、先程と同じように先頭に居た賊を丁寧に撫で切ると、再び地を跳ねて移動する。
剣をいたわるように遣い、刃筋を乱さぬよう細心の注意で振るう。
力をほぼ入れないため手打ちのようなっている斬撃は、通常なら軽い手傷を負わせるだけのあまり意味を持たない攻撃だが、反則技である『身体強化の祝福』を使った状態ではそれさえも必殺の一撃となっていた。
熱心に通っていた道場では刃筋が良いなどと褒められ、自分でも丁寧な剣を遣うタイプだと剣士としての自分の事を理解していた。
道場の稽古などでは剣筋が綺麗すぎて、お前の剣はとても実戦向きでは無いと、先輩の免許取りに注意を受けたこともあったが、こと『身体強化の祝福』が掛けられたという条件下において、自分の遣う剣ほどこの魔法と相性が良いものは無いと、剣より伝わってくる感覚が教えてくれている。
『身体強化の祝福』が掛かった状態では、少しでも刃筋を乱すことが剣の破損に繋がってしまう。それは力が強すぎるため一瞬でも刃筋が乱れると、相手の肉により剣に余計な圧力がかかってしい剣がその負荷に耐えられないためだ。
つまり『身体強化の祝福』が掛けられた状態では、必要以上に丁寧に剣を遣わねばならない。
だがその条件は、自分の遣う剣にとってなんら足枷とならない。なぜなら元より自分が、己が剣を大事にするあまり『必要以上に剣を丁寧に遣う剣士』だったからだ。
手打ちの小手技さえも必殺の一撃となる現在の状態なら、竜種ならまだしも、賊などは敵では無い。そう愛刀が教えてくれている。
――バアフンさんが僕のことを強いと言っていた意味、本当は、僕には分かっていた
武器の修練を積んだ者が『身体強化の祝福』を掛けられると、そうで無い者とは比較にならない程の効果が現れる。そのことをゴブリンとの戦いでカークスは実感していた。
『身体強化の祝福』が掛かった状態だったら、自分がバアフンより接近戦においては圧倒的に強いだろうとも。
宙に舞う血しぶきを残して、引き絞られた弓より放たれた矢のように、すばやく移動するカークスを賊は捕捉することが出来ない。
攻撃を防ぐことすらままならずに、ただ一方的に狩られていく。
カークスに振るわれる剣はその光芒のみを残し、カークス自身は返り血さえ浴びていない。
静かに煌きその都度死を振り撒いていく。
突如として現れた不条理によって、賊はその数を減らしながら混乱の度合いを深め、統制が一切とれなくなっていた。
◆
「なんなんだよ…あれ…」
賊共が町へと入れぬよう牽制しつつ、確実にその数を減らすカークスの動きに、アレンは信じられぬものでも見たかのような驚愕の表情を浮かべていた。
やぐらの上からはカークスの動きの全貌を見ることができ、壊れたデッキで再生された歪なコマ送りの映像のように、跳ねては止まり、飛んでみてはいきなり離れた場所に移動していることが確認できる。
それは、あまりに力の差がありすぎる一方的な殺戮の光景だった。
「何であんなこと、出来んだよ…」
呆然とつぶやくアレンを横で、俺もカークスの動きに見入っていた。
いくら自分を強化しようともあれと同じ真似は絶対に出来ない。そもそも攻撃の時にカークスは的確に相手の急所のみを攻撃しているようだが、そんな芸当素人には無理だ。
俺が想像していたよりも武術の心得がある人間というのは、『身体強化の祝福』と相性が良いらしい。
賊共がまったくカークスの相手にならず、どんどん崩れていく様を見届けてからアレンへと声を掛けた。
「おいアレン、見張り台へ行くぞ」
「…え?何しに行くんだよ、賊とカークスがまだ戦ってるのに」
「もうすぐ賊は逃げ出し始めるだろうから、見張り台から逃げる賊を魔法で狙い撃ちにしに行く。お前をここに残しておいて魔法で狙い打たれたら面倒だから、一緒に来い」
下を見るとカークスの圧力に耐え切れずに、賊共は今にも壊走し始めそうになっていた。
再び先程のようなミスを犯すことは許されない。アレンの返事を待たずに腕を引っ張り無理やり見張り台へと向かう。
門の外側が見渡せる見張り台に到着すると、我先にと集団から離脱したらしい2名の賊が、街道へと走っているところだった。
俺は逃走する賊の背中へ向け、無言で風の精霊魔法『風の刃』を放つ。
かざした右手より狂喜するように荒れ狂った風の精霊が放たれ、乱れた気流が二人の賊へと接触する。
俺の放った『風の刃』はコントロールが甘いため、アーンスンが以前見せてくれた時のような一つの刃にはならず、無数の刃となって賊の二人を細切れにした。
まるでミキサーにかけられたような状態へと賊の肉体が変化したことを確認し、隣で引きつり短い悲鳴を発したアレンを無視して、俺は門へと注意を戻した。
――先程のようなミスは、もうしない
人殺しとなった俺は門を見ながら、怒りの感情が、これまで俺をどれだけ助けてくれていたかを痛感していた。