田所修造の場合 68
静まりかえった見張りやぐらの中で、暗い表情の少年――アレンとリックが表情を引きつらせながら、外の見張り台にいるバアフンに聞こえないよう注意して話をしていた。
「めちゃくちゃ、怖かったね、あの人…」
「殺すって、言ってた…」
二人は強張った表情に怯えた様子を浮かべ、先程怒鳴られたショックを話すことで少しでも和らげようとしていた。
二人ともバアフンへ含むところがあったとは言え、さすがに自分達の態度が露骨過ぎたと反省はしていた。しかしそれは先程自分達に怒鳴ったバアフンが正しいと認めるわけでは無く、ただあの恐ろしい男を不用意に怒らせてしまった自分達の無用心さを反省しているだけだった。
オルグの群れを一人で仕留めるという、普通では考えられないような常識外の男。そんなバアフンにいくら含むところがあるとは言え、直接怒りをぶつけられるとは想像していなかった。自分達の態度がどのような結果をもたらすか、先程はあまりに考え無しだったと二人とも後悔していた。
「二人ともそんなに落ち込む必用無いよ。あの人は怒りやすい人だけど普通に接していれば問題無いし、いつまでも怒りつづけるような人じゃないから」
落ち込んだ様子でひそひそと話し合う二人を心配したカークスが声をかける。
――いきなり大の大人にあのように怒られてはさすがにショックを受けただろう。バアフンさんは普段から怒りやすいタイプの人間だが、今日はなんだかずっとイライラした様子だった。何か心配ごとでもあるのかな?
自分が今日剣にずっと心を奪われていたことをよそに、カークスは先程急に怒りだしたバアフンの態度について不思議に思っていた。まさか自分が剣を褒め続けていた事がバアフンの神経を苛立たせる一因になっていたなど、カークスは夢にも思っていない。
アレンとリックは、若く優男然とした外見でとても強そうには見えず、昨日の夜に会った時、嬉しそうに自分のボロボロになった剣を自慢していたカークスに対し、なんら反感を感じていなかった。
そこら辺にいくらでもいる竜種の恐怖から逃げ出した脱走兵、それも世間知らずな害の無い男。特に珍しい存在でも無く、あの男――バアフンのように力があるのに戦場から逃げ出すような、弱くとも戦場で頑張っている戦士達を馬鹿にした存在とは違う。
声を掛けてきたカークスへ振り向くと、アレンがイラついた様子で言った。
「別に怒られてショックだったから落ち込んでるわけじゃ無いよ。確かにあの人に怒鳴られたのは怖かったけど、あんな危険な人に対して少し態度が露骨だったと反省していただけだよ」
ばつが悪そうに「これからはあの危険人物の怒りに触れないように気をつける」とアレンは言葉を続け、忌々(いまいま)しそうに見張り台を睨んだ。
「危険人物?バアフンさんが?あの人は人相悪いけど別に危険な人じゃないよ。何か知らないけど今日は機嫌がずっと悪いみたいで、タイミングが悪かっただけさ」
アレンは「そうじゃなくてさ…」と言ってから、自分達が感じている不快感をカークスがバアフンに対してまったく抱いていない事に気が付いた。考えてみればカークスは実際に竜種の恐怖を目の当りにし、その恐怖から逃げ出したはずだ。そのカークスが人並みはずれた力を持つバアフンと一緒にいて、商人と偽り旅をしている。
――カークスはバアフンが戦争から逃げ出したことに対して、何も思うところは無いのか?この男にとって妖精族の存亡はそんなに軽い事なのか?
ありふれた弱そうな脱走兵のためアレンはカークスの事を深く考えてみなかったが、よくよく考えてみるとカークスにも少し違和感を感じる。昨日の夜はとても上機嫌で酒を飲んでおり、今日も新しく新調したと言う片刃剣の大刀に夢中になって喜んでいた。
あの恐怖の塊のような竜種から逃げ出す、それは理解できる。脱走兵も珍しくないし戦場へ行っていない子供の自分達が脱走兵を批難する資格は無いと思っている。だけどカークスには戦場から逃げ出したと言うのに、後悔の念を感じている様子が一切無い。よくいる脱走兵は一様に翳りのある表情を見せるというのに。
――こいつは…馬鹿なのか?
カークスのことが理解出来なくなり、アレンはカークスから顔をそらした。隣にいるリックの表情が目に入ると、先程バアフンに怒鳴られたショックがまだ抜けてないのか表情を強張らせたままでいる事に気が付く。
馬鹿?のカークスと腰抜けバアフンのことは正直よく分からない、しかしリックの考えていることは手に取るように分かった。
親や兄弟が戦場で竜種と戦っており死んでしまうかも知れないと言う恐怖。出来るだけ戦場へ行った家族の事は考えないようにして、自分達は帰ってくる場所を守ることに専念する。
そうやって今を耐えていたのに、戦場にいる戦士達を馬鹿にしたような存在の男に怒鳴られた。弱い自分は、その男に逆らえない。
強張ったリックの表情からは、悔しさからか時折口元が歪んでいた。
「兄ちゃん達、今頃戦場で必死で戦ってるだろうに、あいつ強いくせにこんな所で…」
リックの表情を見て、アレンは戦場に行った兄のことを思い出し、バアフンに感じていた不快感が口から漏れ出すようにつぶやいた。
「うちの父ちゃん、大丈夫かな?アレンの所のマルスさんは、槍も魔法も町一番だったから大丈夫だろうけど、うちの父ちゃんは…あんまり体強くないからな…」
「そんなの、無事に決まってるだろ」
リックはアレンのつぶやきを聞き、戦場へと行った自分の父親の心配を口にした。
弱気になったリックに対し、「無事」とアレンは言い切ったが、言ったアレンも言われたリックも分かっていた。竜種との戦争が被害無しで済むようなものでは無いと。
一度戦場に行った家族に想いを寄せると、普段から抑えてきた家族に対する心配が幼い二人の胸に溢れそうになり、バアフンへの不快感もそれに比例して大きいものとなっていく。
「あいつは強くても腰抜けなんだ。リックの父ちゃんや俺の兄ちゃんとは違う。賊が来たら、あいつ逃げ出すかも知れない。だから俺達でちゃんとあいつを見張らなくちゃな」
アレンは強い調子でリックへ言うとリックも同意するようにアレンへ頷き返す。ふとアレンがカークスの方を見ると、カークスは泣いているアンジエの頭を撫でながら泣き止むようにあやしている所だった。
戦士とは思えない優しい口調でアンジエをあやすカークスは、アレンの目に非常に頼り無く、本当に頭が少し足りていないように映った。
◆
見張り台でパイプを吸い気分が落ち着いてくると、先程怒鳴ってしまったことがあまりにも大人気なかったと俺は後悔の念がわいてきていた。
あの無礼なガキ二人はどうでもいいが、アンジエは今日俺に初めて服を買ってもらい喜んでいただけなのだ。
初めてアンジエと会ってからこの町に来るまで、俺はアンジエにはまともな衣服を買ってやることがずっと出来なかった。
ダナーンにいた時だってダーナの時だって、戦時中だからか簡素な服しか貰えず、あいつに新品の服を着せてやることは出来なかった。それがこの町に来てようやく新品の服と真っ白で綺麗なポンチョを買ってやれたのだ。たしかにポンチョの色と値段には少し引いたが、アンジエが新しい服を着ている姿を見て俺も嬉しいと感じていた。
服を汚してしまったのだって子供なのだから仕方の無いことだ。俺だってガキの時分はよく服をどろどろにしてお袋に怒られた。
アンジエは何も怒られるようなことはしていない、俺はそれを十分わかっていたはずなのに、それなのに俺はアンジエを頭ごなしに怒鳴りつけた「服を汚すな」と。
――この町に来て自分自身に言い知れぬ違和感を感じ始めてから、俺はかなり不安定になっている
急にパイプの味が苦く感じられ、火を消し吸うのをやめる。
俺がアンジエやカークスに怒った理由はあえて考えなくてもすぐに分かった。いや、俺は分かっていてあいつらに怒鳴りちらした。
言い知れぬ不安を解消するため、俺はあいつらにやつ当りしたのだ。
たしかに今日のカークスは少し度が過ぎていたし、アンジエもうるさかった。そのおかげで夜勤前寝ることが出来なかった。でも、あそこまで怒る必要は無い。
分かってはいたが、考えれば考える程、今の俺は情けない。見張り台で一人、情けない自分を直視していると、どんどん惨めな気分になってくる。
深く息をついてからこれ以上一人で考えていても何にもならんと、俺はやぐらの中へ入りアンジエの様子をうかがった。
アンジエはカークスに抱きついて、まだ泣いていた。
俺はガキ共の視線を感じながらアンジエに近づいて行く。
「おい、汚れた服脱げ。洗ってやるから」
できるだけ優しく言ったつもりが、低いぶっきらぼうな物言いしか出来ていないことに気が付き、思わず舌打ちしそうになる。
「アンジエちゃん。バアフンさんがお洋服洗ってくれるって。良かったね」
カークスが優しくアンジエの背中をさすりながらそう言うと、アンジエがおずおずと顔を上げた。
「バアバア、怒ってるの?」
アンジエの怯えた表情で俺を見上げる様子に、自分の馬鹿なやつあたりのせいでアンジエがどれほど傷ついたかを思い知り、頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。
「いや、怒ってない… さっきは、怒鳴って悪かったな」
なんとかそれだけを言うと、アンジエが汚れたポンチョを渡してきた。黙って受け取り、魔法で洗濯している様子をガキ共に見られる訳にはいかないので、見張り台へと出ようとアンジエに背を向けた。しかし、ズボンを引っ張られているのに気が付き、後ろを振り返る。
「アンジエも、一緒にお洋服きれいにする」
泣きはらした顔でアンジエが言った言葉が何故か胸に深く突き刺さり、俺は返事を返すことが出来ないまま固まってしまった。
「バアバア、アンジエにお洋服買ってくれてありがと」
頭が真っ白になった。アンジエのなんでもない一言が先程とは比較にならない程に俺の胸をえぐり、俺は何も言葉を発する事が出来なくなった。
息をするだけでこみ上げてくるものがある。とても耐えられないような気持ちの波に襲われる。
――このままではカークスやガキ共の前で醜態をさらしてしまう
アンジエを抱き上げ逃げるように見張り台へと急いで出て、アンジエにも俺の顔を見られないよう肩車する。
戦闘の時の異常な怒りどころの騒ぎじゃない、何故俺はこんな気持ちになるのか。理解のできない感情に直面し、俺はアンジエを肩車して見張り台で門の外を呆然と眺めた。
俺が呆然としている間、アンジエは俺の肩の上で俺の髪をつかみ、じっと静かにしていた。