田所修造の場合 64
俺はカウンター周りだけ明かりが灯された暗い酒場で、ビクターが温めなおしてくれた残り物の揚げワンタンをつまみに、焼きワインを飲みなおしていた。
ビクターには付き合わなくていいと言ったのだが、自分のコップにも焼きワインを注ぎ、一つ席を空けた隣のスツールに座っている。
先程オルグとの戦闘を終え、俺とビクターが酒場へと帰ってくると、不安そうな顔をして老人とガキ共が待っていた。アンジエが何時ものように張り付いて来るかと思ったが、強張った表情で俺を見つめていただけだった。
考えてみれば、アンジエの目の前で俺が戦うのは初めてだ。そして、俺の戦い方は凄惨の一言につきる。ショックが大きすぎたのかも知れない。
俺は老人とガキ共を素通りしてカウンターまでやってくると、スツールへ腰掛け勝手に焼きワインの壷をカウンターの中から取り出して、焼きワインを飲み始めた。
後ろでビクターが老人とガキ共に部屋に行くよう指示をする声が聞こえ、テーブルに突っ伏して寝ているカークスを起こし、部屋の鍵を渡しているようだった。
カークスはまだしたたかに酔っているようで「店長さんが部屋に帰れって言ってます」と、たどたどしく俺に声をかけてきた。
俺はカークスへ、まだ俺は酒を飲んでいるので先にアンジエを連れて部屋に行くように言うと、カークスは黙って俺の言うことに従いアンジエの手を引いて部屋へと向かった。
何時もなら、俺が一緒に行かないと駄々をこねそうなアンジエが、このときは黙ってカークスに手を引かれ部屋へと行った。
アンジエの様子が少し気になったが、正直な話、今はそれどころじゃ無かった。
先程感じた違和感、どう考えてもオルグを殺していた時の自分はおかしかったと感じる。
あの体の奥から湧き上がってくるような熱、竜種との戦闘でも感じていたが、竜種に対しては俺もそれなりに思うところがあり、不思議には思わなかった。
しかしオルグに対して俺は、何故あそこまで強い怒りを感じたのか。
頭を潰された女を見た。だが、今の俺は日本にいた頃とは違う。
数日だが竜種との戦争に参加したことにより、体が欠損した死体はたくさん見てきたし、竜種の血肉も文字通り浴びるようにしてきた。
実際殺された女を見た時、アンジエに危機が迫る恐怖は感じたが、女に対する憐憫の情は一切沸か無かった。
だとしたら、俺は何故あそこまでの怒りを感じたのか。
気がつくとコップの中の酒が無くなっており、それに気づいたビクターが注いでくれた。
俺は注がれた酒を無言で一口飲む。
「あんた戦争がどうなったか、知らないか?」
黙って酒を飲み静まり返っていた酒場に、つぶやくような小声だが、はっきりとビクターの声が響く。
「戦争が始まって、キャラバンが来なくなり、この町には外の様子がさっぱり伝わってこない。だが、今日のオルグ共が賊にけしかけられたものだとすると、賊は何か知ってるんじゃないかと感じた。普通賊はこんな小さな規模でも町に仕掛けて来たりはしない。返り討ちにあう危険もあるし、町を襲えばさすがに国から討伐隊が派遣されるからな」
独り言でも言っているかのように、カウンターの先へと顔を向けたままビクターが話しかけてくる。
「戦争に動きがあったんだろう。勝ったか、負けたか。どちらにしろ賊にとっては動きにくくなるので、ここいらで大きな仕事をしておく。そんな風に俺は今回の襲撃について予想している」
「なんで俺に聞く」
俺が始めて口を開くと、口を大きくゆがめたビクターがこちらを向いた。
「あんたは賊じゃないが、商人じゃない。商人なら当たり前の常識的な事も知らないし、宿の宿泊料や食事代も俺に確認しない。トロル族の若いのは、あれはいいとこの坊ちゃんだな。あんたと一緒で常識が無い。素直すぎて人を疑うって事を知らない様子だ」
そう言われてみれば、まだ宿代も食事代も酒代も確認していなかった。久しぶりの食事に舞い上がっていたとは言え、日本にいた頃からの悪い癖だ。ホテルの手配は会社任せで、買い物も外食の際も値段などいちいち気にしなかった。
「脱走兵かと思っていた。それも賊になどにならないお人良しの脱走兵。しかし先程のオルグとの戦闘で、あんたは光の精霊と風の精霊、祝福の系統と水の精霊まで使役していた。しかもあんたに使役された光の精霊はものすごい量で、祝福も効果は分からなかったが精霊の量は普通じゃ無かった」
精霊魔法の使い手だったら、俺の使う魔法を見れば当然感じることだ。
俺は、酒の入ったコップを片手に黙ったまま、何も言えない。
「あんたが殺したオルグは25匹だった。常識で考えれば一人で殺れる数じゃない。だけどあんたは多数の系統の精霊魔法を使うことができ、戦い慣れているって感じもした。そんなあんたがこんな所に居るってことは、戦争に変化があって抜けてきたとしか思えない。……もしかして俺達妖精族の連合軍は、負けちまったのか?」
「勝った。そして戦争が終わり、軍を抜けた」
面倒だったので素直に答えてしまっていた。どうせすでに商人では無いことはばれている。軍の追手に追われていることがばれなければ、ほかの事は別に言っても構わないだろうと思った。
「そうか、戦争は終わったのか」
「いやに素直に信じるな。疑わないのか?俺は嘘を言っているかもしれないんだぞ?」
「あんたは異常に強い戦士だが、嘘は下手だ。嘘を上手くつけるような器量が無いってことは分かってる。今のは嘘を言っているように感じなかったから、本当に戦争は終わったんだろう」
人を器量無しみたいに言われて納得できない部分があったが、反論するのも面倒なので「そうかい」とだけ短く返した。
ビクターは酒のコップを飲まずに持ったまま、しばらく黙っていたが、ふと思いついたように話しかけてきた。
「あんた商人の真似事してるってことは、路銀が心もとないんじゃないか?」
言いにくいことをずばり聞いてくる。
俺だって駆け引きくらい出来る。たしかに路銀は厳しいが、それを正直に言う程馬鹿じゃない。
「そこまで厳しくない。ただ商品を手に入れる機会があったので商人の真似事をしているだけだ」
「しかし旅は物入りだぞ?見たところ着ている服にだって事欠いている様子だ。あんたの子供の服、ありゃ寝間着だろ?」
たしかに、準備をしっかりして出てきたわけじゃ無い。特にアンジエの服は寝間着のままだ。寒くないよう熱の魔法を常時かけることで誤魔化してきたが、新しい服は欲しい。
俺が言葉に詰まっていると、ビクターは真剣な口調で、
「別に俺は、あんた達の足元見てどうこうするつもりはまったく無い。警戒しないで欲しいんだが、どうだろうあんたの持ってる商品を俺がまとめて買い付ける。この町は町長である俺が市場へ物品を下ろす元締めも兼ねているから、物はすぐに捌ける。買値はあんたの商品が今戦時中で供給が途絶えている乾燥物の魚だから、ある程度融通できるだろう。その上でこの町の護衛としてしばらく雇われてくれないか?」
と言った。
悪い話では無さそうだと思ったが、ビクターの提案だとこの町にしばらく滞在しなければならなくなる。追手がかかっている状況で、一箇所に長く留まるのは考えものだ。
「護衛は賊がいなくなるまでか?」
「そうだ。あんたとトロル族の若いのに、日当で500ダッカそれぞれ支払う。その他に賊を仕留められたら一人につき1000ダッカ支払う。もちろんさっきのオルグも相場通りの報奨金だが一匹につき2000ダッカ、25匹で合計5万ダッカ支払う」
5万……たしかカークスは三人の一ヶ月分の生活費が6000ダッカと言っていた気がする。だとすると、オルグの報奨金だけで8ヶ月生活できることになる。
「……なあビクター、オルグとかゴブリンとかいったモンスターって、仕留めると報奨金が出るのか?」
「は?…あんたそんな事も知らないのか?普通町や村の付近でモンスターを仕留めれば、その町が報奨金を支払うのは当たり前のことだぞ?」
カークス……あいつ、本当に世間知らずだったんだな。ゴブリンも金になったって事じゃねぇか。
「ちなみに報奨金ってゴブリンや竜種の場合どうなるんだ?」
「ゴブリンは一匹500ダッカってのが相場だ。竜種は仕留めようもんなら1万から2万の報奨金ってのが相場になる。竜種の場合はその大きさによって報奨金が変わるんだ」
ゴブリン一匹500ダッカということは、今日町に来る前に倒したゴブリンは31匹いたから、1万5500ダッカもらえたと言うことになる。知らなかったとは言え、なんて事だ。
「…ゴブリンとかオルグを外で仕留めたら、どうやってそれを証明するんだ?」
「証明部位を剥ぎ取るんだ。ゴブリンとオルグは両方とも右耳で、竜種は現物を見せる必用がある。このナルカの町のように規模が小さい町や村は長に直接持って行けば報奨金が得られる。大きな町になると専門の役場があるからそこに行けばいい。しかし、本当に何も知らないんだな、あんた」
返す言葉も無く俺が黙っていると、ビクターが「まああんたが何者でも、俺にとってはどうでもいい事だがな」と言って酒を飲んだ。
俺は黙ったまま現在の状況について考えてみた。
予想外の事だが、すでに資金問題はほぼ解決したと言っていい。5万ダッカもあればカークスの剣を新調して、アンジエの服や必要な物を買ってもしばらく余裕で暮らせるだろう。
ビクターも余計な詮索はしないようにしているようだし、この町に雇われて路銀を稼いでおくのもいいかも知れない。
追手がある以上長居は禁物だが、いざとなればなりふり構わず逃げることで、何とかなりそうな気もする。
「じゃあビクター、その町の護衛の話受けることにする」
「そうか、あんたの実力があれば賊に町が襲われても安心できる。賊なんか居ないかも知れないが、今町の戦力と言えば老人と子供ばかりで、あんたが居なかったら相当な被害がでるだろうから、賊が居ようが居まいがどっちにしろ町長として日当は払う」
ビクターはそう言ってまだしばらく俺が飲むつもりかと確認してから、明日もあるし先に休むと宿内にある自室へと戻っていった。
よほどオルグが現れた件が賊によるものだと確信しているのだろう。俺が護衛を引き受けるといった時のビクターは、安心したためか一瞬表情が緩んでいた。
ビクターが去り一人になると、ビクターとの会話で中断されていた、戦闘時に感じる熱のようなものについて考えた。
自分に何が起こっているのかいくら考えても分からないが、何かが起こっているだろうという確信はあった。
自分の心の動きが信用できない。
そう思うと、これまで経験したことの無い激しい恐怖を感じ、俺は体の震えを抑えるため酒を飲み続けた。