みんなの場合 59
烈迫の気合声が狭い道場を震わせる。
やや切っ先が上を向いた癖のある正眼から、渾身の力にて握りが太めの木刀を振るう。
上背のある阿形の渾身の打ち込みは長年繰り返してきた型と言うこともあり、淀みなく、留まることなく流れるように振り続けられる。
山岸流にある14の型を遣い己の全てを見て欲しいと、振るう木刀にも力が入る。
剣道などではまず使いようの無い八双からの切り下ろしを終えたところで、じっと腕を組み阿形の型を見続けていたシュウゲが口を開いた。
「大体貴君の剣術は理解した。一つ一つの動作には目を見張るものがあるが、型としては実戦に即していないと言わざるを得ない」
重々しい表情で言うシュウゲからは、少し緊張した様子が感じられた。シュウゲとしては己の使う剣術の型が実戦では使えないなどと阿形に言うことが心苦しかった。
阿形の性格は剣を遣う様子から実直な人間なのだろうと見て取れる。
振るわれる剣は真っ直ぐで力強く、揺るぎの無い切っ先から下半身も相当鍛えていることが分かり、阿形の剣に対する真摯な思いを感じた。
しかし使えないものは使えない。
この者の遣う剣術は危ない。切り合いにでもなろうものなら、その型の隙から切り捨てられる光景が容易に目に浮かぶ。
自分で作り上げた剣術だと言っていたし、さすがにショックを受けただろうとシュウゲが沈痛な面持ちでいると、
「さすがはシュウゲ殿です!実戦に即していない、一度型を確認頂いただけで的確なご指摘を頂けるとは!」
己の使う剣術を否定されたはずの彼の者は、ショックを受けるどころか、感激した様子でシュウゲの前に平伏した。
普通、自分の剣術を否定されようものなら剣士として立ち行かなくなるため、決して認められぬはずなのだが、目の前の男は平伏し、あまつさえシュウゲに深く心酔している様子さえ見受けられる。
その様子に、シュウゲはこの阿形と言う男がよく分からなくなってしまっていた。
「何卒!何卒門下に加えて頂けますよう!」
シュウゲは戸惑ったが、相手は異世界の人間だから常識も異なるのだろうと理解する努力を放棄した。
少なくとも、この男の剣に対する思いは嘘では無い。
だったら他のことはたいした問題では無いか。
「貴君の入門を認めよう。と言っても門人は貴君一人の弱小道場だがな」
阿形は少し呆けたような顔でシュウゲを見上げると、言葉も無く再度平伏した。
みんなと見た夢が実現していく。
静かで物音一つしない道場に阿形は平伏しながら、日本の師匠や友人達を想い、万感の思いが胸にこみ上げ、顔を上げることが出来なかった。
特に強く思ったのは、師匠と過ごしたあの日々であった。
◆
あの日、趣味の会初参加以来、中学生の俺は趣味の会に参加するようになった。
今考えると酒の席に中学生が参加するのはどうかと思うが、保護者の爺さんが嬉しそうにしていたし、俺の理解者は趣味の会にしかいなかったので、参加しないという選択肢は当時の俺には選ぶことは出来なかった。
趣味の会に参加するようになり、俺は人と話をする楽しさを覚え、学校でも最初は同じ部活の人間や道場の同輩やらと話をするようになり、回りからは急に性格が明るくなったと言われた。
今までとはまったく異なる、毎日がキラキラ光って見えそうな楽しい日々。
中学3年に上がり剣道部部長に選ばれ、趣味の会のおかげで心にゆとりがあるためか、勉学のほうも順調だった。そんな日が毎日続くと思っていたある夏の日、俺をこれまでで一番の変化が襲った。
俺の生活を激変させたのは、爺さんの死だった。
親の離婚、父親の死などは俺がまだ小さな子供だったり、嫌いな肉親だったりということで特に何とも思わなかったが、爺さんの死は駄目だった。
唯一の肉親であり絶対的な俺の理解者で保護者、それが突然居なくなってしまう。
後から聞いた話では、倒れた爺さんを発見した俺は救急車を呼んで病院へ付いて行き、爺さんの死が確定すると発狂して気を失ったという。その後も一切動かなくなった俺は、爺さんの死を知った趣味の会のみんなが葬儀などの手配を行っているのを、ただ見ていたらしい。
俺には爺さんの死の前後の記憶が、未だに思い出せない。
聞いた話だと当時の俺は廃人寸前だったらしい。
爺さんを亡くした俺は、家に閉じこもり何もしなかった。
そんな俺のまわりには、遺産目当ての見たことも無い親戚が集まってきて、俺を引き取ると言い出していたらしい。
趣味の会も交代で俺の面倒を見てくれたが、みんなもそれぞれ自分の生活があり、生きているだけで何の反応もない俺をいささか持て余していたそうだ。
当時、精神科の病院に入院したほうがいいのではと意見が出始めていたらしい。
そんな中、俺を趣味の会の一人が引き取ると言い出した。
言い出したのは師匠――山岸辰三だった。
何故他人である師匠が、親戚達を差し置いて俺を引き取ることが出来たのかは分からない。多分趣味の会に所属する弁護士が動いたのだろうが。
とにかく、師匠は完全に気力の無くなった俺のそばに泊り込みで付いていてくれるようになり、俺に剣術について語り続けたと言う。
なぜ廃人寸前の俺に剣術について語り続けたのかは、未だに謎だが、師匠は俺の世話をして剣術の話をつづけたらしい。
そして、秋口のある日、俺は長い精神の眠りより眼を覚ました。
はじめは状況が分からずに混乱したが、そばにいた師匠がここ3ヶ月俺は精神的に休んでいたと説明をしてくれた。
そして最後に、爺さんが死んだと俺に告げた。
俺はどうしようもない、抵抗のしようが無い悲しみに襲われ、大声を出して暴れた。
床を蹴り、障子を蹴倒し、窓を割ってテーブルを外に放り出し、大暴れに暴れた。
師匠はそんな俺を止めるでも無く、俺が暴れている脇で酒を飲んでいた。
長時間暴れた俺は、疲れて床に倒れこんだ。今でもあれだけ大騒ぎしてよく警察を呼ばれなかったものだと思う。
そして、床に倒れこんでいる俺に対して師匠が「健二、一緒に新しい剣術の流派を作るぞ」と言ってきた。
その時の俺は疲れ果て、気力も無く、からっぽの状態だったので師匠の問いかけは聞こえていたが聞き流していた。
師匠は続けて「俺達の道場を建てたんだ。3ヶ月の突貫普請だったがいい道場ができた」と言った。
何となく聞いていた俺だったが、ひっかかりを覚えた。
俺達の道場?
たしか道場を建てたと言う山岸辰三(師匠)は、剣術どころか剣道の経験も無かったはず。
はっと起き上がり山岸辰三を俺は見た。
「昔から剣術道場を開きたいと考えていた。しかし俺は剣を振ることが出来ないから、健二お前が代わりに振れ」
この人は一体何を言っているのか、何故、剣が振れないのにこの人は道場をたてたのか…
俺が山岸辰三という人間を、まったく理解できないでいると、山岸辰三は俺に言った。
「これからは、俺とお前二人暮らしだ。俺のことは山岸先生と呼べ」
この時、混乱しながらも中学生の俺は思った。
この人の言っていることが、まともでは無いと。
その後俺は、混乱しつつも荒れに荒らされた家から身の回りの荷物だけまとめて、師匠に連れられ道場へとやってきた。
道場は本当に建てられており、外観は見事な書体で書かれた『山岸流道場』という看板が掛けられている堂々とした門構えの道場で、道場主以外は立派な剣術道場であった。
実際に建てられた道場を見てあっけにとられていると、師匠に道場内へと連れられ、道場の脇に造られた一室に案内された。
「健二、お前の部屋だ。俺の部屋は隣で、台所と風呂と厠は奥になる」
俺の部屋だと言われ、俺は更に混乱した。どうしてこうなったのか、意味がまったく分からない。
その日、混乱した俺は師匠と店屋物で夕食を済ますと早く休むよう言われ、現在の状況に対する説明などは一切受けられなかった。
翌朝、早朝5時に師匠に叩き起こされた俺は、師匠特製の8キロ弱もある木刀を素振りさせられた。
訳もわからず木刀とは思えない重さの木刀を振り、腕が馬鹿になりかけながら100回素振りをこなすと走って来いと師匠より命じられた。さすがに理不尽に思えたが、なんとなく逆らいがたく言われるままにランニングへと行った。
ランニングから帰ってくると、師匠が朝食の準備をすませて待っていた。
正直走ってきたばかりで食欲が無かったが、無理やり飯を3杯も食べさせられた。
そして、長期の不登校という状況になっていた学校へ行き、学友にずいぶん心配されながらも、特に問題無く過ごして道場へと帰った。
道場へと帰ると、やはり特製の木刀を持った師匠が待っており、素振りを100回行い、また走りこみへと行かされる。
ボロボロとなり道場へ帰ってくると、店屋物だが夕食の準備をしてくれていた師匠と一緒に飯を食べた。
「山岸先生、何で俺は先生と暮らして剣術の練習を行わねばならないのですか?」
混乱するままに同居して剣術の練習を押し付けられていたが、さすがにこの不可解すぎる状況が気になって、食事中に聞いてみた。
もしかしたらこの山岸辰三という人は、正常な心の働きをしていない人なのかもしれないから。
「俺にはお前しか居ないし、お前ももう俺しか居ない。そして同じ夢を見れると思ったからだ」
師匠からの説明は短く、頭がおかしいという疑いを晴らすものでは無かったが、正しい部分もある。
俺にはもう、爺さんが居ない。
「剣術は極めると人間性も昇華できると言う。俺はお前なら昇華した人間の姿を見せてくれると思っている」
夢とか昇華した人間とか少し気持ち悪かったが、俺に話をする師匠の目は真剣だった。
俺はその後黙って食事を済ませて、自室へと戻った。
翌日も素振りとランニングを行い学校へ行き、帰ってくると素振りとランニングを行った。やはりボロボロとなり、特に筋肉痛がある分昨日よりも辛かった。そしてその翌日も同じ事を繰り返す。
そんな日々を送り週末になると、師匠が出かけるので付いて来いと言った。
師匠は着物姿でやはり着流しは楽だとか何とか言っていたが、背の低い師匠の着物姿は落語家にしか見えなかった。
行き先は深川で、蕎麦を食って江戸資料館へ行き、江戸時代の庶民の暮らしを再現したセットを見て、夜はどじょう鍋を食った。
「今度健二にも着物買ってやる」
蕎麦に江戸資料館、そしてどじょう鍋、深川の下町の風情も相まって悪くは無かった。
着物は恥ずかしいので嫌だったが、師匠と一緒に出かけたのは楽しかった。
まるで、自分が時代物小説の登場人物となったようにさえ感じた。
それからの日々は繰り返しだった。剣術の修行を行い、週末は出かける。出かける先は江戸時代関連のところ、もしくは作者ゆかりの場所。
俺は中学を卒業し、志望校から大分ランクを落とした近所の男子高校へ入学したが、その生活は変わらない。
師匠との生活は、本当に江戸時代へタイムスリップしたかのような感覚を覚えるものだった。
いつの間にか木刀の重さは15kgまで増やされ苦しい思いをしたが、さすがに毎日やっていると慣れる。
師匠と偽江戸時代生活を送ることで、俺は爺さんを失った悲しみから逃げることが出来た。
ふとした瞬間、爺さんを思い出し苦しくなることはあったが、木刀を振ることで誤魔化した。
そして俺と師匠は俺の体がある程度出来上がると、文献や他派の剣術を参考に『山岸流剣術』を造り始める。
趣味の会もメンバーも加わり、江戸時代ごっこと『山岸流剣術』の創作は徐々に進められていった。
その代償として、高校で俺が同級生と交流を行うことが再び困難になるという現象が発生したが。