みんなの場合 58
浅く椅子に腰掛け、力なく背もたれに倒れるように君島と近藤が座っている。
暖炉の火が暖かく居間は居心地のよい空間だったが、二人にとってはその温かみをありがたがっている余裕が一切無い。
昨日ユエナより手ほどきを受け魔法の練習を開始したのだが、その結果は、散々たるものであった。
予想外にも小田切がマーナのコントロールに秀でており、小田切程ではないが田崎も、異常な速さでマーナのコントロールを習得した。二人は午後より『ルーン文字』の暗記をユエナより指示されて、ダイニングに移動し他の者とは別メニューとなった。
明確な差をつけられた残りの者達は、午前にも増してマーナを操る練習に力を入れたが、夕方中桐のマーナコントロールレベルが合格ラインに達したとユエナに認められただけで、他の君島・近藤・藤代の三人は、最初の「ルーン文字にマーナを投入し光らせる」と言う課題さえクリア出来なかった。
中桐がマーナのコントロール訓練をクリアしたところで夕食となり、食後は各自自主訓練するようユエナより指示された。同じ部屋に寝泊りしている君島と近藤は部屋へと帰ると、一日中集中して慣れないマーナの操作を行っていたにも関わらず、疲労した体に鞭打つように、夜更けまで紙を光らせようと必死にマーナを操作しようとしたが、結局その日、紙が光ることは無かった。
何時寝たのか、分からぬまま寝入ってしまった二人が、朝食が出来たと呼ばれて目を覚ましダイニングへと行くと、田崎が片手の5本の指を光らせ、その光を凝視していた。
近藤は思う。入社したての頃、田崎はその容姿のため目立っていた。癖の無いセミロングの髪型は垢抜けていなかったが、小さい顔にアーモンドのような大きな目、そして左目の脇に添えられた控えめな泣きボクロ。
正直言ってかなりの美人で、泣きボクロが整いすぎた田崎の顔を可愛い印象へと変えていた。
すぐさま近藤は田崎にちょっかいをかけ始めたが、しばらくして性格がまったく合わないと見極め、その後は同期の同僚としての付き合いしか無い。
入社から二年。田崎は髪型やメイクなど大分垢抜けてきて、外見だけならちょっとやそっとじゃ見かけないくらいの美人となっていた。
その田崎が、鬼のような形相をして自分の指を見つめている。
見開いた目は、田崎の精神状態が異常をきたしているのではないかと疑いたくなる光りを灯しており、はっきり言って怖い。
今まで、ここまで己をさらけ出し本気となっている田崎は見たことが無い。
寝不足のためか、見開いた目が血走っている。すごい怖い。
近藤の隣では、君島も田崎の様子にどん引きしており、先にダイニングに来て席についていた中桐や藤代、そして小田切も居ずらそうに少し離れて静かに座っている。
「あら!シズカさんマーナ投入量の調整もうほとんど大丈夫そうね!すごいわ、こんな短時間でマスター出来るなんて」
「本当ですか!では次の練習を教えてください!」
田崎の充血した目を見てユエナは優しく田崎の肩に手を置く。
「シズカさん、まずは朝食ね。そして貴方は少し休憩なさい。一晩で34文字の『ルーン文字』を完全に暗記して、今はさっき教えたばかりのルーン魔法『魔法光』まで安定したマーナの投入量で発現できてる。普通の魔導士だったら何ヶ月もかかる人だっているのよ?貴方無理しすぎです」
「無理なんてしてないです!私は大丈夫ですから!」
「だめ!部屋に帰ったら勝手に練習しそうだから、午前中は居間でゆっくり過ごすこと!いいですね!」
強い調子でユエナにそう言われた田崎は、不服そうに「…わかりました」とつぶやいた。
朝食は各自疲れているためか誰もしゃべろうとせず静かにすまされた。その後、居間に皆集まり昨日の練習の続きが始められた。
そして、しばらくすると初日にゴブリンとの戦闘にて倒れた阿形がようやく目覚めたのだが、すぐに興奮状態となり、何故かシュウゲへと弟子入り志願し、そのままシュウゲと出て行ってしまっていた。
そして現在、君島と近藤は他の者と一緒に居間にて紙を光らせる訓練を行っているのだが、未だにコツが掴めない。
気合を入れれば入れる程、紙は光る気配が無くなるような気がする。
「…このままでは、マジでヤバイ」
田崎や小田切や中桐、はては3日も寝ていたはずの阿形にまで差をつけられてしまった気がして、君島は昨日よりも焦っていた。
「…聞きますか、コツ」
君島と同様に焦っているはずの近藤が、少しあきらめの色をうかがわせる顔色で君島へと聞く。
「聞くって誰に…」
「田崎に」
「…」
田崎に、聞く。田崎に弱みを見せることに、酷く君島は引っかかりを覚えてしまう。
「…田崎だったら、小田切や中桐に聞くほうが、まだマシじゃね?」
「でも、小田切も中桐も『ルーン文字』の暗記で手一杯そうっすよ」
近藤の目線の先を追うと、近藤の言う通り、小田切と中桐は紙に書かれた『ルーン文字』を指でなぞりながら必死にその形を暗記しようとしている。
「…田崎、か」
君島は近藤と比べ、田崎とこれまであまり絡んで来なかった。東京へと転勤で来た当初は、目立つ田崎に君島も関心があったが、すぐにつるむようになった近藤より田崎の性格が少しクセが強いと教えられた為、ほどほどの付き合いしかしてこなかった。
確実に自分より田崎の性格を理解しているはずの近藤が、田崎を頼る様子を見せていることで、君島は近藤の限界が近いことを悟る。
「…田崎か…」
もう一度君島はつぶやき、黙って君島へと頷いた。君島も頷き返して、二人は椅子に座り気だるそうにしている田崎に近づいていく。
昨日あまり休んでいないのか、眠そうな目を近づいてくる君島と近藤に向ける田崎。
「田崎、休んでいる所悪いんだけど、マーナの操作についてコツを教えてくんない?」
「いいわよ。暇だし」
君島と近藤の予想を裏切り、田崎は即答で答えた。
君島は思った。よくよく考えてみれば、異世界に来てから田崎は大分落ち込んだ様子で、普段なら考えられない事だが、泣き顔まで他人にさらしている。
いくら気が強く、会社では目上の人間に対しても物怖じしない態度で我を通せていても、見知らぬ土地で田崎の女性としてのメンタリティーの弱さが露呈しているのではないかと。
ほっとしてニヤニヤしている君島と、まだ不安そうな近藤の前に田崎が自分の手のひらを差し出した。
「二人で500ダッカになります」
「たけぇよ!なんだよ500ダッカって!用心棒の給料5日分以上じゃねーか!」
ある程度予想していた近藤が、田崎の提示する高額の授業料に反発し、君島は会社にいる時と変わらぬたくましさを示す田崎に引いた。
「500ダッカ。貴方達二人の現在の状況を考えると、決して高くないわよ。ほら後ろを見てみなさい」
暗い微笑みで田崎が二人の後ろを見ている。嫌な予感がしつつも君島と近藤が後ろへと振り返ると、藤代が紙を光らせていた。
藤代の後ろには、先程まで『ルーン文字』暗記に必死になっていたはずの中桐が、藤代へ何か話しかけている姿があった。どうやら藤代は中桐にマーナ操作のコツを教えてもらい、紙を光らせることに成功した様子だった。
これで、紙を光らせていない者は自分たち二人だけと、最悪の展開となっていることに二人は気が付いた。
「二人ともすごくルーン魔法習得に固執しているようだけど、二人の操作するマーナの様子を見ていると、マーナの操作ファーストステップである紙を光らせる練習、つまり『ルーン文字』へのマーナ投入のことだけど、このままだとまだまだ成功しそうにないわよ。このまま他の人達において行かれるので良ければ好きになさい。ただし、マーナの操作は次のマーナを体内で移動させる練習、その次のマーナの投入量の調整とだんだん難易度が上がっていくわよ。一ヵ月後、私達がこの屋敷を出て自立しなければならないと言う時に、二人だけ魔法がまだ使えない、そんな事態も十分ありえる事だと覚悟しておいたほうが良いわね」
「…こいつ、嫌なことをはっきりと…」
近藤は、嫌な未来をあえて見せ付けるように言う田崎に、プルプルと震えながら怒りをこらえる。
「あと、私が貴方達に割ける時間は今日の午前中しか無いわ。午後から自分の練習を再開するからね。こうしている間にも、その貴重な時間は失われているのだから早く決断したほうがいいと思うわよ」
「「…」」
確かに、田崎の言うことは正しいのかも知れない。未だにマーナは操れる気配も無いし、こうしている間にも貴重な時間は失われていく。
500ダッカと不当な高額を請求されているのは明白だが、今のままでは確実にまずい。
どうすれば良いか途方に暮れ、震える二人を安心させるように田崎は笑顔を作る。
「500ダッカだけど安心して、1ヶ月後まで無利子で返済を待つわ。それにユエナさんに色々な物の物価を教えてもらったのだけど、大体1ダッカは50円くらいの認識で合っていると思うの。つまり、500ダッカは2万5000円程にしかならず、魔法を覚えさえすれば返済なんてすぐに出来るわよ。そして何より、私は午前中の時間内に二人をマーナの操作練習セカンドステップである、マーナを体内で移動する練習をクリアさせられる自信があるわ」
「「…マジで?」」
ニッコリと笑顔を作った田崎が自信満々に言い切る様子に、君島と近藤は驚きを隠せない様子で聞き返す。
「マジでよ。もし二人がセカンドステップをクリア出来なければ、報酬は半額の250ダッカでいいわ。でもそんな事はないでしょうけどね」
あくまで自信満々の田崎の様子に、二人の心は折れた。
魔法の練習2日目にして、何時まで経っても最初の課題さえクリアできない状況は、自分達が特別な存在であると信じる二人には受け入れられない現実であったから。
しかも、先ほど同じ最初の課題で苦しんでいたはずの藤代までが、自分達より先に課題をクリアしてしまっている。
心に一切の余裕をなくした二人は、目の前にいる二人の課題クリアを保証する田崎が女神のように見えた。
確かに金銭を要求はされているが、2万5千円と言えばとるに足らない金額のように思える。
「「田崎先生、ご指導よろしくお願いいたします」」
心の折れた二人の返事を聞くと、田崎は満足そうに頷く。実は中桐は『ルーン文字』の暗記を終えたようで椅子に座り休憩している。小田切も暗記に疲れたのかお茶を飲みながら休憩している。
もし君島と近藤の二人がコツを教えて欲しいと頼めば、意外に面倒見の良い中桐や、お人良しの小田切が教えない訳が無い。幸い二人に余裕が無く、田崎の話に集中するあまり中桐と小田切が休憩していることに気が付か付かなかった。
「では契約成立ね。早速マーナ操作のコツ、教えてあげるわ」
金、魔法、手に入る物すべて、手に入れられるものはすべて手に入れる。
それが田所を探すことに助けとなるはずと、田崎は信じて疑わない。
一刻も早く田所を見つける。
その思いだけが、今の田崎を支えていた。