田所修造の場合 56
ぐったりとしたカークスが荒い息を吐きながら、地べたに力なく横たわっている。
精霊に確認したが、怪我は無い様子だ。
ゴブリンとの戦闘はかなり長引き、カークスの鎧は血で汚れて、片刃刀はかなり打ち合ったのだろう、刃こぼれが酷く血油がまいている。
俺は無言で水の入った木の水筒をカークスに渡すと、カークスは少し乱暴に受け取り、口から水がこぼれるのも構わずに水を飲んだ。
「やれば出来るじゃねぇか、18匹殺ったな、お前」
最初の方は多分カークスが逃げに専念していたのだろう、一向にゴブリンの数が減らなかったが、一匹倒したかと思うと立て続けに18匹をカークスは殺した。
カークスがゴブリン共を殺しだすと、群れから逃げ始める奴が出たが、それは俺が魔法で仕留めた。
恨めしそうに俺を見るカークスを無視して、カークスのマントと皮鎧を外し、水の精霊にマーナを投入して洗濯機のように水を操り水洗いする。そして熱の精霊を使役して乾燥させると、片刃刀も同じようにして洗う。
握りの部分まで水洗いしても良いものか迷ったが、乾燥させれば問題無いだろう。
少し魔法の熟練度が上がった俺は、付近の木から枝を貰い変化加工にて継ぎ目無しの桶を作成して、中に熱い湯を満たし布と一緒にカークスへ渡した。
「お疲れ」
カークスは無言で受け取ると、深いため息を付き「死ぬかと思いましたよ」と言った。
「その割りには傷一つねぇし、一匹殺した後はあっと言う間だったけどな」
「必死だったんですよ!ほんと死ぬかと思った…」
「俺の時は、肩に矢を受けたな。他にも傷を受けて夜発熱した。やっぱりお前は強かったな」
ふて腐れたような様子で、水を飲み続けるふりをするカークス。
心配だったのだろう、ガキがちょこちょことやってきて「カーくん、大丈夫?」と聞いた。近寄ってきたガキは、大きい目一杯に涙を溜めていた。
「アンジエちゃん、大丈夫だよ。お兄ちゃんは強いからゴブリンなんて何匹居ようがへっちゃらなんだ」
カークスがそう言うと「カーくんスゴイ!カーくん!」とアンジエがカークスへと張り付き甘えた。アンジエも奴らが怖くて仕方なかったのだろう。
カークスがまんざらでも無い様子で、抱きついて来たアンジエを嬉しそうに撫でてやっている。どうやら少し、カークスの機嫌が直ったようだ。
涙を流しながらカークスに甘えるガキ。俺以外の人間に、こうやって慣れて行ければいい。
俺が居なくなっても大丈夫なように。
「じゃあよけいな時間をくっちまったし、そろそろ出発するぞ!ガキは大八車に早く乗れ!」
俺の言葉に従い、カークスがガキを大八車へと乗せ「じゃあ出発しましょうか」と声をかけてきた。
ガキがカークスに甘えているのを見てから、少し苛立った胸の内を馬鹿馬鹿しいと打ち消すように、力任せに大八車を引き始める。
後ろからガキの「バアバア!ゆっくりにして!バアバア!」と叫ぶ声が聞こえたが、俺は無視して、大八車を力任せに引きつづけた。
◆
「うわぁ、やっぱりぼろぼろになってる」
情けない顔で片刃刀の刃こぼれ具合にカークスがへこみながら言う。
「何だ、その剣大事なものなのか?」
あまりのへこみ具合に少し気になって声をかけてみると「…ええ」と、落ち込んだ様子でカークスが返事をした。
「…この剣は道場で免許を貰った時、剣の先生に頂いた大切な物なんです。僕が未熟なばかりに、こんなにぼろぼろになっちゃって…」
確かにカークスの剣はそこかしこに大きな刃こぼれがあり、酷い有様だ。
俺には分からないが、この剣はカークスにとってとても大切なものなのだろう。カークスは歩きながら、ぼろぼろとなった剣の刀身を悲しそうに見つめている。
「剣をくれた先生は、喜んでるんじゃねぇか?」
「…笑いますよ、初めての一人での切り合いで、大切な剣をぼろぼろにして」
「そんなもんか?」
俺は自分の大切なものを思い浮かべて見るが、そこまで思いつめるほどのものは思い浮かばない。しいて上げるなら、会社のPCくらいか。
「最初はお前、酷い腰抜け具合だったからな、逃げ回ってばかりで、でも最初はみんなそんなもんじゃねぇのか?」
「…バアフンさんは、どうだったんですか?」
少し目を伏せがちにして、ちらちらと俺を見ながらカークスが聞く。自分の初めての切り合いが散々たるものだとでも思っているのだろう。だから他の人間がどうだったか、気になっている様子だ。
「あ?俺か?俺は悲惨だったよ。こっちの世界に来たばっかりで、ゴブリンの奴らがどういう奴らかもわからねぇし、ガキがいたから死ねねぇし、殺し合いは初めてで、そういう訓練とか一切やったことねぇし、無い無いづくしで今生きているのが不思議なくらい悲惨だったな」
「そう…だったんですか。てっきりバアフンさんのことだから、強引に突っ込んで、あっという間に終わらせたと思ってました」
「そんなわけねぇだろが、こっちの世界にもいると思うが、俺はもとの世界じゃ商人をやってて殺し合いなんて無縁の生活を送ってたんだ、めちゃくちゃビビッたつうの。…後、お前にしかこの話しゃべったことねぇから、誰にも話すなよ。俺がビビッたって話し」
「ええ!!バアフンさん商人だったんですか!!…全然、商人に見えない…」
「…お前…失礼なこと言ってると、耳、引っこ抜くぞ…」
俺の脅しも耳に入らないようで「商人…バアフンさん商人…」と、腹を抱えて身をよじらせながら笑いをこらえているカークス。失礼この上無い奴だ。
「ちっ、笑いたきゃ笑え、人相が悪いなんて言われ慣れてるからな。でも、これでまた必用な金が増えちまったな」
「え?」と涙を流しながら顔を上げるカークス。泣くほど、俺が商人だと可笑しいのか?
「お前の剣、買わなくちゃなんねぇだろ、新しいやつ」
「え、でも片刃剣は結構な額しますよ…僕達の所持金じゃ、とても買えないくらい…」
「剣くらい、何とかするさ」
ためらいがちに「でも…」と言うカークスへ言う。
「なんたって、俺は商人が本職だからな」
失礼にも、疑わしそうに俺を見るカークスへ俺は自信ありげに言い切ってやる。本職を舐めた事をこいつに後悔させて見せる。
大八車に乗せた、虎の子の燻製品をちらりと見てから「お前がびびるぐらい立派な剣、買ってやるぜ」と言った。
カークスは俺の隣で、まだ疑わしそうに俺を見ている。
ほんとに失礼な奴だ。
◆
日が傾き、赤く染まり始めた空が街道の両脇に広がる麦畑を包み始めた頃、街道の前方に集落が見えた。集落は街道沿いに道を包み込むようにして出来ており、高い土壁にて囲われている。麦畑が多く見られるようになり、農家らしきものがぽつぽつと見え初めていたので、カークスがそろそろ宿場町でもありそうですねと言っていたとおりとなった。
「僕達が今歩いているこの街道は、マーリンからミュートへと通じる街道で、今はほとんど使われなくなったと聞きます。でも、だからと言って宿場町まですぐに消えるわけも無いし、今日はようやくベットで休めそうですね」
嬉しそうにカークスが言って「アンジエちゃん、今日はベットで寝れるよ」とガキへ話しかける。
「アンジエ、美味しいスープと、やらかいパン食べたい」
ここ数日、魚以外のものは焼いた芋や、食べれる野草を軽く煮ただけの料理とは呼べないものばかりだったので、いくら魚が大好きなガキも、そろそろまともな食事をしたいのだろう。
かく言う俺も、丸焼きの魚は飽きた。まともな料理が食いたい。
「スープもパンも今日は何でもありだ。もう食えないって言うくらい食わせてやる」
俺がそう言うと、目をらんらんと輝かせ始めたガキが「バアバア!アンジエ、スープはお肉が入ったスープがいい!」と言って、あれが食べたいこれが食べたいと騒ぎ始めた。
「酒も飲むぞカークス!美味い飯と美味い酒、そうと決まればちんたら歩いてなんていられねぇな!カークス大八車に乗れ!集落まで飛ばすぞ!」
俺が大八車を引きながら走り出すと、慌ててカークスが大八車へ飛び乗る。カークスがアンジエを抱えて落ちないようにしたのを確認すると、マーナを奮発して身体強化を強める。
「舌噛むから口閉じとけよ!」
そう叫ぶと、集落まで馬並みの速度で駆け出した。
日暮れ時、麦畑にはさまれた街道を駆ける。
煙草も補給できたら最高だなと考えながら、ぼんぼん跳ねる大八車から荷物が落ちないか確認しつつ、心はすでに集落での食事の事でいっぱいとなっていた。