田所修造の場合 55
「やぁ!やぁ!バアバア!もっと早く!」
「…」
ガキが、一昨日くれてやった紐で、大八車を押す俺を叩く。
ガキは俺が押している大八車に乗り込み、後ろからバシッバシッと馬を叩くように紐で俺を叩いている。
俺は皮の鎧の上に皮のマントを羽織っており、ガキの力で叩かれても、何も感じない。
痛くは無い。
痛くは無いが、何だ、これは。
先程までアンジエに俺を紐で叩くのをやめるように言っていたカークスが、俺を見ないようにして横を歩いている。
「カーくんうるさい!嫌い!」
先程アンジエへ「静かにしてようねアンジエちゃん」と優しく注意し続けていたカークスが、アンジエに言われたセリフだ。湖で2日間燻製作成に時間を費やし、その間にカークスはアンジエと随分仲良くなった、と思っていた。
しかし違った。
カークスはアンジエをべた可愛がりして、言うことを何でも聞いていたらしい。一緒に遊んでから始まって、お嫁さんごっこをやるためにお婿さん役をやるように言われ、次はお馬さんになれとか、挙句にはお姫様ごっこをやるので椅子役をやらされたらしい。
馬までは理解できたが、椅子とか、すでに生物ですらない。
先程、アンジエに嫌いと言われたカークスが、がっくりと肩を落としながらこそこそと俺に告げた。
「あんな小さな女の子、どう相手していいか分からずに、つい甘やかしちゃいました…ごめんなさいバアフンさん…」
そして今、ガキに嫌いと言われ傷ついたカークスは、俺の横を少し背を丸めて歩いている。幼児に嫌いと言われたくらいで、何故そこまで傷つく。
ガキはカークスの注意が無くなったのをいいことに、御者ごっこのつもりか、ムチ代わりの紐で俺を打つことに夢中になっている。
「やぁ!やぁ!遅い!早く!もっと早く!」
「おいその紐!次俺に当てたらお前の尻引っ叩くぞ!」
俺が低い声でガキにそう注意するが、ガキはそんな俺の注意も無視し紐で俺を叩き続ける。こいつ、完全に教育を失敗したバカガキに育ちあがってやがる。
ガキは俺が叩くと言っても、強く叩かないことを知っている。これは自動で身体強化の祝福がかかっていた時の後遺症で、ポンと軽く叩くのは問題無いが、それ以上はガキを怪我させそうで、身体強化の祝福を解いても怖くて叩けなくなってしまったのだ。
「やぁ!やぁ!バカフン!もっと早く!」
バカフン発言と一緒に、狙いが狂ったのか、背中を叩いていた紐が俺の横顔を打った。
俺は大八車を止め、アンジエへと振り向く。
アンジエは俺の表情を見て、俺が怒った事を理解したのだろう、動きを止める。
俺はアンジエから紐を引ったくると、そのまま手の中で火を操り、紐を燃やしつくした。
「尻、叩くって言ったよな、俺」
逃げ出そうとするガキを捕まえてズボンを脱がす。ガキがぎゃあぎゃあ騒ぎ出したが、もう許さない。
「おらぁ!次俺の言うこと聞かなかったら飯ぬきだ!分かったか!おらぁ!」
びーびー泣き叫ぶガキの尻を十回引っ叩きズボンを穿かせる。
「カークス!こっち来い!」
おずおずとカークスがやって来ると「カークスに謝れ!」とガキの頭を軽く小突く。
ガキが泣きながら「…カーくん、ごめんね」と言うのを聞くと「カークスはお前の兄貴なんだから、これからカークスの言うこと聞かなかったら、また尻叩くからな!」と脅す。
ガキもいけない事をしたと理解したのだろうか「…バアバア…ごめんなさい」と泣きながら言った。
「お前もガキの兄貴役なんだから、もっとしっかりしろ!わかったな!」
「…すいません、バアフンさん」
とりあえず、このまま舐められるわけにはいかないと、怒りのままに尻を叩いたが、胸がすごくドキドキする。ガキが怪我してないか、不安で仕方なく、こっそりと回復の祝福をかけてしまう。
カークスは俺が回復の祝福をかけたことに気が付き、ニヤ付きながら俺を見てきたので、思いっきり睨みつけておいた。
ガキはまだ大泣きしている。
「馬鹿馬鹿しい、休憩だ!休憩!」
俺はそう言うと、街道沿いに生えていた木の根元へと行き、ダイモーンよりパクったキセルを取り出し煙草の葉を詰めて火を付けた。
ダイモーンから煙草の葉を少々パクっていたが、もうその残りも少ない。
煙草をくゆらせていると、おずおずと目をごしごししながらガキが近づいてきて、ガキの後ろではカークスが心配そうにガキを見ている。
ガキは俺の近くまで来ると、泣きはらした目で俺を見てくる。カークスはそんなガキの後ろで、はらはらとガキと俺を交互に見ている。
「…休憩だから休まないとな、日陰になってるからこっち来て座れ」
俺がそう言うとガキは小走りで俺の隣に来て座り、俺のマントの端をつかんだ。カークスはほっとした様子で、ゆっくりとガキの脇に腰をおろす。
俺はイライラと、キセルを強く何度も吸ってしまい、軽く口の中を焼けどしてしまう。
つばを吐いて、口の中を魔法で回復する。
隣でガキがぐずついた鼻を吸う音をたてている。
俺はまだ治まらない胸の鼓動に、出来ればもう、ガキは叩きたくないと思った。
◆
休憩を終えて、また大八車を押していると少し先の街道上に懐かしい奴がいた。
「ゴブリンか…」
後ろでアンジエが恐慌をきたし、背中に張り付いて来る。カークスは片刃刀の大剣を引き抜き、まだかなり距離があるというのに緊張した様子で片刃刀を構えている。
風の精霊を使役し周囲の探査を行ったところ、見えている5匹の他に26匹両脇の林に隠れているようだ。
初めてあった時もそうだったが、こいつらゴブリンは狩りをする時、30匹くらいの群れで行動するのかもれない。
「カークス、俺ここでガキと待ってるから、あいつら片付けて来い」
「え?…えっ!!僕一人でゴブリンの群れと戦うんですか!!あいつら見えてる奴以外にも、絶対森に隠れている奴いますって!!」
「いるよ。魔法で調べたら森に26匹隠れてる」
「いるよって!!絶対無理ですって!!合わせて31匹もいるじゃないですか!!死んじゃいますって!!」
「お前、物心付いた時から剣を習ったって、たしか言ってたよな」
「言いましたけど…ゴブリンの群れの討伐は少なくとも5人からの小隊を組んで行うものなんですよ。本当に無理です。ねえバアフンさん!」
「だったら大丈夫だ。お前に身体強化の祝福をかける。俺は半月前、武術の心得がゼロの状態で群れを片付けたことがある」
そのまま続けて、泡吹きそうな勢いでてんぱってるカークスへ、
「それに、これから俺は他人がいる所では戦えなくなる。俺が戦ったら、軍にバレるからな。だから今後のためにも、ゴブリンの群れぐらいさっさと片付けて来い。いいな」
俺はカークスへ身体強化の祝福をかけると、カークスが足をがくがくさせながら片刃刀を構えているのに気が付いた。
「…お前、もしかして竜種以外だと戦うの初めてか?」
俺がそう言うと、泣きそうな目でカークスがぶんぶんと首をたてに振った。
怖くて怖くて、本当に助けて欲しいのだろう。カークスは声さえ出せないような状態となっているが、目が口ほどにも心情を語っている。
「…まあ、薄々気が付いてたけど、そんなんで竜種に挑むとか、逆に感心するな…」
しょうがないので、ユミルの方法で片付けることにする。
念のため土の系統の硬化をカークスにかけてから、カークスの襟をつかむ。
短い付き合いだが、襟をつかんだ俺の行動に、カークスは俺がやろうとしていることに気が付いたのだろう。
「ちょ、ちょっと!本当に無理ですからぁ!!」
「行けぇ!カークス!」
俺はこちらに向かって走ってくるゴブリンの群れ目掛けて、カークスを思いっきり投げる。
カークスは絶叫を発しながら弾丸のようにゴブリンの群れへと飛んで行き、土煙を上げて群れの中心へと着弾した。
派手に着弾したが、土の系統の硬化の魔法は土が体にまとわり付いて、対ショック対刃防御が上がる。
精霊の話では、たしかそんな感じだった。
少し不安になりながら、大丈夫かなと見ていると、ゴブリンの群れが慌しく乱れているのが分かった。風の系統の探査にてカークスがまだ生きており、動き回っているのは把握できている。
まあ、今のカークスなら陸竜が相手でも問題ないだろう。本人が冷静であれば、だが。
「…カーくん、飛んで行っちゃった…」
「勘違いしてるかも知れねぇが、おい、カークスは強いぞ」
不安そうな目で、混乱をきたしているゴブリンの群れをガキが見つめる。俺のマントをつかんだガキの力が強くなるのを、引っ張られることで俺は感じた。
ゴブリンの群れは相変わらず土煙を上げて混乱しており、カークスが生きて動き回っているということ以外、よく分からない。
俺も少し不安だったが、大丈夫だろうカークスなら。
俺はいつでも飛び立てるようにして、土煙の上がるゴブリンの群れを見続けた。