みんなの場合 51
中桐と藤代は疲れ切ってしまったのだろう、椅子にもたれ掛かるようにして眠ってしまった。
暖炉に火がともり暖かい室内は、徹夜の身には快適すぎて起きているのが少々厳しい。
田崎が目の前の小田切へと目を向けると、小田切も限界らしく船をこぎ始めている。
田崎自身も、起きていても仕方ないと思ったが、昨夜から今朝までシュウゲと話すことで確認できた『異世界』への転移とも言うべき現象がこの身に起こったことで、一刻も早く確認したいことがあった。
確認したいこと、それは田所も一緒にこちらへ来ている可能性についてだ。
シュウゲは魔法の専門的な話となると自分は詳しく知らないため、阿形さんを治療してくれている魔導士のユエナさんとおっしゃる方に後ほど聞くといいだろうと教えてくれた。
しかしユエナさんは、阿形さんの治療を徹夜でしてくれた後そのまま倒れてしまい、今は部屋で休まれている。
一刻も早く田所先輩の生きている可能性について、専門家の話が聞きたい。
闇に飲み込まれるように外へと消えていった田所の姿が、焼き付いてしまったように頭から離れない。
胃が縮こまり、ひっきりなしに疲労しきった体が睡眠を要求してくるが、話を聞くまでは寝ることなど到底できない。
そうしている内に、不意に田所と初めてあった時のことを思い出し、田崎は口元がゆるむのを自覚した。
あの頃は、こんなことになるとは想像もできなかっただろうと。
◆
はっきり言って、初対面の時の印象は最悪だった。
タバコ臭く目つきの悪いその男は、新入社員に対する嫌がらせのために雇われた嫌がらせ専門の人間かと疑ったくらいだった。
泊り込みでの新人研修期間後半で、強面の営業部長という男と一緒に参加してきて、少しでも私たちが浮ついた様子を見かけると、怒鳴り声を上げた。
同期の近藤卓美達は、完全にその男の堅気ではないっぽい雰囲気に呑まれてしまっており、まさに不良に絡まれた進学校の生徒みたいになって、今にも自主的にサイフを出しそうなほどその男に怯えていた。
そして、会社の新人研修が終了し仮配属として営業課に配属となったのだが、私の教育担当がその堅気ではない疑惑が新人達の中で噂されていたその男――田所修造その人だった時には、思わず神の采配を呪って空をあおいだ。
(何でこんなヤ○ザに、仕事のいろはを教わらないといけないのだ、私は)
己の不幸を呪い、陰で笑っているだろう近藤卓美達同期に「彼らが不幸になりますように」と不幸の言葉をつぶやいた。
しかし、そんなことをしても事態が改善される訳もなく、私はこのヤ○ザっぽい人に仕事のいろはを教わらなくてはならない。泣きたくなるような現実だが、私には他に選択肢が無い。
私は気合を入れて(これは新人教育の間だけのしんぼう)と、ヤの人のところへ行き
「これから短い間ですけどお世話になります田崎静香です!よろしくお願いします!」
と頭をさげた。
ヤの人は「おう」と言ってこちらを見ようともしない。人としてどうなんだろうその態度はと、私は激しく疑問に思った。
ヤの人は、よく部活のマネージャーとかが使っていたクリップ付きのボードにコピー用紙を括りつけて、そのコピー用紙になにやらひたすらボールペンで書き込みを行っていた。
よく見ると、そのコピー用紙は不要になった印刷済みの裏紙であるらしく、時折めくられて、裏の印刷された内容が見えた。
――メモなら手帳、買えばいいのに
仕事場でありながら漂う生活感に、すこしげんなりとしてしまう。
ヤの人はそんなことを私が思っているとは思いもしないのだろう、
「よし、こんなもんか」
とつぶやきボードを見直して赤ペンでなにやら書き込んでいく。
「田崎とか言ったな、これから顧客と会う約束だから今から客先へ行くぞ。支度しろ」
いきなり私へヤの人はそう言い、どの客か、何の話をしに行くのか、まったく私への説明が無いままに、自分はさっさとオフィスを出て行こうとしていた。
慌てて私がカバンと上着を掴んで追いかけると、何とかエレベータのところで追いつくことができた。
「おう、遅いぞ田崎」
この人は、人間の中でも最低限の礼節を知らない下等な種族の人なのだと私は思うことにして、荒ぶる心を落ち着けた。
その後、顧客先に到着するまでたいした話もせずに移動し、顧客先と思われる会社へとやって来た。ヤの人は到着すると私に「何も分からないだろうから、俺が顧客と話す内容をメモって分からないところを後で俺に聞け」と言い、その後ヤの人は顧客と商談を始めたのだが、分からないところどころかすべてが分からなかったので、得意の速記で商談内容を大学ノートへ丸写しした。
商談が終了し電車に乗って会社へ帰る際、ヤの人はおもむろに
「さっき田崎すごい勢いでメモってたが、何か分からないところはあったか?」
と聞いてきた。
「ほぼ、すべて分からなかったです。社に戻り次第すこし内容を整理してから先輩へ質問させて頂きます」
私が先程メモした大学ノートを見ながら答えると、ヤの人はノートを私から奪い「どれどれ?」とか言いながら内容を確認しだした。
失礼この上ない態度に理性が決壊しそうになったが、ヤの人が言った次の一言が私を冷静にした。
「お前、入ったばっかりなのにちゃんと整理してメモれてるな。このまま十分議事録として使えそうだ。社に帰ったらこれをPCで打ち直して俺にメールくれ。先方に送って議事録にするから」
今のは、褒められたのだろうか。
「分かりました」と小さく答え、私とヤの人はその後とくに会話することも無くそのまま社へと戻った。
その日、定時を迎えるとヤの人は「田崎、今日はもう帰れ。議事録助かった」と言った。私は言われるままに社宅へと帰り、次の日も次の日も定時で家へと帰った。
他の同期達は当たり前のように残業しているのに、私は定時で家に帰る毎日を送った。
ふと不思議に思い「先輩、なんで先輩は毎日残業しているのに、私は定時上がりなんですか?」と聞いてみた。
「入社したばかりの頃は、生活環境が変わり価値観も次第に変わっていく必要がある。自分でも気がつかないだろうがストレスが溜まりやすい。だから最初はこの生活に慣れるまでゆっくりやりゃいいんだ」
私を見ずにPCへの打ち込みを続けながらそう言った。
この数日で分かったことなのだが、この人の仕事の進め方はかなり雑だ。手書きで裏紙にメモを書きなぐり、忙しそうにメモを引っ掻き回しながら電話をする。デスクは乱雑に散らかり、勢いと経験のみで仕事を無理やり進めていく。
不器用な人なのだと、私は思った。
彼の人となりが分かってくると、これまで感じていた嫌悪感が嘘のように消えた。
仕事の内容も、私がわからないことがあると嫌がらずに教えてくれる。
私は仮配属の身なので仕事を覚えるのが仕事だと言われたが、時間を見つけて名刺を整理し顧客先の詳細データ一覧を作成したり、取引アイテム詳細と客先のデータベースを作成した。それを彼に報告すると、たいそうビックリした様子で「お前使えるな!よし週末にお前の好きなもの奢ってやる!」と上機嫌に言った。
彼は私が何かすると、必ず私を褒めるようになっていた。
彼に褒められるために、彼の必要としていることを考えて仕事をする。必死に彼のしている仕事内容を見て、何が必要なのか、何を彼が求めているのかを考える。
分からないことは多かったが、私は情報を整理することが得意であったこともあり、彼が私を褒める回数も自然と増えていった。
そうして仮配属期間を過ごす内に、私の中で彼に褒められることがとても重要で、いつの間にか彼に、私の大部分を占拠されていることに気がついた。
それに気がついた時自分自身の変化に驚いたが、この気持ちは不快ではなかった。
しかし、仮配属の期間はもうすぐ終わる。
私は、すでに正式な配属先が決定しているかも知れなかったが、営業へ正式配属されるよう嘆願書を作成し、彼には何も言わずに人事へと提出した。
そして、もともと営業へ配属される予定だったのか、私の提出した嘆願書のおかげか、私は彼のもとへ正式に配属されることとなり、ペアで仕事をするようになる。
仕事は忙しくなったが、彼と仕事をする日々は私にとって、とても心穏やかなものだった。
そんな日々を送る私は、そんな事はありえないのに、この日々が永遠に続くと勘違いをしていた。
あの日、彼が闇に飲み込まれて私の前から消えてしまうまで、私は勘違いをしていることに、気が付くことが出来なかった。
バカだったのだ、私は。
だからもう、私は間違わない。