みんなの場合 46
とにかく止まらない。そして受けに回らない。
黒っぽいもの達の群れの中をひたすら駆ける。
黒っぽいもの達は体格に合っていない得物を持つ者が多く、その攻撃のほとんどが大振りであったため、攻撃を避け、打ち払って群れの中を駆ける。
攻撃することは、残念ながら考えないほうが良さそうだ。一匹に一瞬でも集中すると、そこで囲まれてしまいそうな程一人対二十匹と言うのは不利な戦いだった。
おまけにこちらは群れが仲間を追わないよう、群れ全体の注意をひきつけておかねばならない。
慣れない短剣、慣れない二刀流で必死に走りながら、群れの作り出す凶器の雨を避け続ける。
阿形が師とあがめる人物と造った『山岸流剣術』には、残念ながら二刀流の型は無く、脇差を使った短刀術も大刀を使ったものに比べると形しか出来ていなかった。あまり格好良くないからと短刀術に力を入れなかったことに後悔しながらも、しかしと阿形は思った。
この状況では多少扱いに慣れていても、結果は変わりはしないだろうと。
とにかく動く。
時間の経過情況が、激しく動き続けているので把握できないが、もう少し粘る必要があるだろう。なんせ、田崎ちゃんが足を怪我している。
阿形は出来るだけ群れ全体から注意を引けるように走り回り、短剣を振り続けた。
しかしいくら相手が大振りだからと言って、避け切れるものでもない。
左腕上腕には浅くは無い深手を受け、他にも右頬に深めの手負いを受けた。小さい傷ならどれだけあるか分からない。
出血によるものなのか、無理な運動量によるものなのか、体が先程から限界の悲鳴を上げており、酸欠状況特有のめまいがする。
でも、もう少しだけ。
せめて、あと1分だけでも。
みんなが一歩でも離れられるようにと、阿形は動くことを止めなかった。
そして、どれだけ時間が経ったか分からなくなった時、阿形は右ふとももに深々と深手を受けた。
攻撃してきた相手を切り払いながら、阿形はようやく終わりが来たと思った。
大恩のある師匠。そして共通の夢を持った友人達。
申し訳ないと心の中で詫び、大好きだった育ての親の爺さんに、もうすぐ会えるからとつぶやいた。
左腕はもう動かないので、右手に持った短剣を腰溜めに構え、何匹かは道連れにしようとした。そんな時だった、それは突然目の前に現れた。
動く姿はゆっくりと見えるのだが、その者が振るう剣が見えない。
自然にすっと動き、次の標的へとゆっくりと緩慢に、だがあっという間に近づいて行き、すっと通り抜ける。
後に残るのは、信じられないことに両断されかけた、あるいは両断された黒っぽいもの達の骸の山だった。
本物の剣術。
『山岸流剣術』では決してたどり着けないものが、そこにあった。
何も言葉を発することが出来ずに、ただ阿形はその光景を見続ける。
綺麗だと阿形は思った。
血煙渦巻く凄惨な現場だが、綺麗としか言えなかった。
出来るなら、自分もこんな剣を振ってみたかった。
気が付くと暗闇が阿形を包み込み、何も見えなくなり、頭が重くなった。
最後にいい物見れたと思い、そこで阿形の意識は暗転した。意識が落ちる時、阿形は幸せな気持ちに包まれており、意識の無くなった阿形の表情は、幸福そうに微笑んでいた。
◆
夢を見ていた。
夢の中で俺はまだ13歳らしく、爺さんもまだ生きていた。
どうやら今日はあの日らしく、爺さんがせっせと出前の寿司桶を運んできたり酒屋へ酒の宅配を頼んだりと、嬉しそうに立ち働いていた。
今日は爺さんが共通の趣味を持つ友人達を家に招いて、寿司を食べながら酒を飲むことになっていた。今までも爺さんはその友人達とよく飲み歩いていたのだが、家に呼んで酒を飲むということは無かった。
爺さんは俺のことを大事にしていたし、俺が死んだ親父の酒癖の悪さを嫌っていたから、家では酒自体晩酌で少しやるくらいしか爺さんは飲まなかった。
俺の家は、俺がまだ小さい頃お袋が親父に愛想を尽かして家を出て行っており、俺には母親がいなかった。俺はまだ小さかったからぼんやりとしかお袋のことを覚えていなく、特に悲しかったという記憶は無い。
その後、近くに住んでいた爺さんと同居することになり、爺さんと親父と俺の生活が始まった。
親父は近くの工場で働いており、勤務態度は真面目だとの話だったが、家では酒びたりとなり意味も無く俺を叩いた。
爺さんはそんな俺をよくかくまってくれ、俺は自然と爺さんの部屋で過ごすことが多くなった。爺さんの部屋は爺さんの蔵書がたくさん置いてあり、俺は親父に占領されたテレビを見ることが出来ない代わりに、爺さんの蔵書を読んで時間を潰した。
爺さんは俺が本を読む姿を嬉しそうに、眺めていた。
そして、そんな生活は唐突に変化を迎えた。
親父が工場での作業中に事故死したのだ。工場で使っていた大釜に押しつぶされたとの事だったが、あまり詳しい状況は分からなかった。
親父が死んでからは会社側が一連の手配をしてくれ、通夜、告別式と気が付いたら親父は灰になっていた。特に悲しいとかは感じなかったが、爺さんが泣いているのを見るのは辛かった。
親父が死んだ後、生活が苦しくなると言うことは無かった。
労災がおりたらしく、会社より1億弱の金が爺さんに支払われた。その時は、何となく人一人一億円なんだなと感じた。
その後の爺さんと俺の生活は単調だが穏やかに過ぎた。
俺はその頃すでに、爺さんの蔵書が時代物ばかりだった影響から剣道の道場へと通い、中学に入ってからは部活にも参加した。俺が剣道を始めると爺さんは非常に喜んでくれ、試合があれば必ず応援に来てくれた。
少し恥ずかしかったが、嬉しかった。
そしてあの日、俺は師匠と友人達に初めて会った。
俺は爺さんから事前に参加するように言われていたため、日曜だったが道場の稽古を休んで家にいた。昼前くらいにぞろぞろと爺さんの友人達が集まり始め、到着したら勝手に酒を飲み寿司を食い始めた。
どうやら爺さん達のルールでは、集まってから一緒に食事を始めるというのは無いみたいだ。
俺も寿司は大好きなので、大人や老人達に混じって寿司をほおばった。寿司は爺さんの友人の一人がやっている寿司屋の寿司で、よく爺さんと二人でここの寿司を食べるがネタが新鮮で大きく、美味かった。
俺が夢中になって寿司をほおばっていると、隣の会話が聞こえてきた。
「いや『新妻』だろ?鷲巣見平助が出てくるのは」
「ちがうちがう、鷲巣見は結婚直後じゃなかったからもっと後の『狂乱』か『隠れ蓑』だったはずだ」
「『新妻』であってるよ。植村友之助が出てくる『いのちの畳針』の次の話だね」
つい、話をしている内容が分かってしまったため口をだしてしまった。
子供の俺が突然口をだしたためか、話をしていた大人二人は俺を見て黙っていたが、すぐに
「ぼうず詳しいな、ぼうずは亀さんの孫だろ?名前なんて言うんだ」
と聞いてきた。ちなみに俺の爺さんは亀冶という名前だった。
俺が「健二だよ」と答えると、幾つだ?と聞くので「13歳になった」と答えた。その後も時代小説好きなのか?とか作者は誰が好きだ?とかどの作品が好きなんだ?と質問攻めにあい、いつの間にかその場にいるみんなの注目を浴びていた。
俺がすこし戸惑いながらも、素直に答えていくと、一部の大人や老人が発狂したり狂喜したりした。
あまりの光景に幼い俺は警戒したが、その後話しを聞いていると状況がわかった。
この集まりはどうやら時代小説愛好家達の集いで、それぞれ自分の崇める神(作者)がおり派閥を形成しているらしかった。
ただ、少し故意にやっている部分もあり、派閥もごっこ遊びに近いものだとのちのち分かってきたが。
ちなみに俺は最大派閥の池波神派に加えられることとなった。
あの日の出来事はすべてが新鮮で、ぼんやりとモノクロに映っていた世界が急に彩を加えられたような衝撃を覚えた。
俺は普段、真面目君と呼ばれ、いじめられてはいなかったが学校の同級生達に一線引かれているような状況だった。なぜそんな事になったのか、それは会話がほとんど成立しなかったからだ。
同級生達は昨日やっていたテレビ番組の話をし、野球の話をした。しかしテレビを見る習慣の無くなっていた俺はまったく話の内容が理解できなく、野球もほとんど分からないため話の輪に入っていけなかった。
その為、やむを得ず爺さんの蔵書を休み時間に読んで過ごしていたのだが、そうすると周囲からは『なんか難しそうな本読んでて近寄りがたい』と思われてしまい、次第に孤立するようになってしまった。ただ剣道道場の同輩や同じ剣道部の同級生がいたため完全な孤立とはならず、いじめまで発展しなかったのはそのおかげだったのだろう。
そのような状況であったため、俺は無口な子供となり、剣道道場へ行くのと爺さんの居る家で過ごす時間以外は、楽しくなく口を開くこともほとんど無くなっていった。
無論友達と呼べる存在もいない。
それが、あの日一気に変化を遂げた。
親父の影響か、老人は問題ないが壮年の男性が少し苦手となっていた俺だったが、彼らと話をしている内に恐怖心が薄らいでいった。彼らとは共通の趣味を持っていることから話が弾み、大口を開けて愉快そうに笑う彼らを見ると、自分とそう変わらないんだなと思えた。特に酒が回ってどの女が最高かという話題になった際、『三冬派』と『佐知派』などに分かれて論争になり、どうしようもない議題で馬鹿な論議を延々と続ける彼らを見ていると、可笑しくてしょうがなく自然と笑い声が出てしまった。
その内泥酔した老人が「夜鷹じゃぁ~夜鷹じゃぁ~夜鷹が最高じゃぁ~」と、訳のわからないことを言ってどこかに行こうとするのを、周りの人間が必死に止める姿さえ滑稽でユーモアに溢れて見え、酒を飲む大人に対する見方さえ変わってしまった。
多分生まれてこの方、俺はこの日ほど笑ったことは無かっただろう。
「健二、剣道は好きか?」
いつの間にか隣に座っていた、同じ池波紳派閥の大人が聞いてきた。その大人が後に師と崇めることとなる山岸辰三であった。
「うん、大好きだ。学校は面白くないけど、剣道の練習は大好き」
俺がそう答えると、
「そうか、大好きか」
と師匠は俺の頭を嬉しそうに撫でた。俺は気恥ずかしくて俯いてしまったが、この大人の手を拒絶することはしなかった。