みんなの場合 45
中桐と藤代は最初何かの冗談かと思った。
黒い肌をした者達は、手に凶器を握りこちらを目指して一直線に駆けて来る。
近づくにつれ、彼の者達の異相がはっきり見えるようになると、その飛び出しかけた大きくギョロつく目が、狂気に彩られていることが分かる。
あまりの恐怖に動きが固まるが、それでも中桐はいち早く立ち直ると、
「あれはまずい、逃げるぞ藤代!」
と藤代に声をかけ、もと来た道を走り出した。藤代も慌てて「何ですかあれ!」と叫び、中桐を追うように走りだす。
中桐だってあれが何なのか分からない、教えて欲しいのは俺のほうだと怒鳴り返すのを何とか抑え「みんな逃げろ!」と、後方を歩いていた小田切達に声をかけた。
声をかけられた小田切を初めとする面々は、少し前を歩いていた中桐と藤代が、急に走り出し「逃げろ!」と叫ぶのに戸惑ったが、彼らの必死の形相を見て、これは冗談で無いと悟った。状況は今一理解出来ていなかったがもと来た道を走って戻り出す。
(こんな事なら真剣にダイエットしておくんだった…)
走り出していくらもしない内に藤代の息が上がり始めた。肥満した肉体に、長らく運動をしていない貧弱な心肺機能。藤代の全身が悲鳴を上げ始める。
あまりの苦しさに後ろを振り返ると、先程よりも黒い肌をした者達は距離を詰めてきており、そのおぞましい形相がはっきりと見えてしまった。殺意に彩られた大きすぎる目と、大きく頬の辺りまで裂けた口。口からは涎がだらしなく流れ出ており、黒い肌をした者達が何をしたいのか分かってしまう。
(こいつら俺を食うつもりだ)
叫び出したくなるのを何とか抑えながら、乱れる息、悲鳴を上げる体を何とか誤魔化して走る。すでに全身冷や汗まみれで、顔面の筋肉が緊張で強張っている。あまりの恐怖で涙がこぼれ(何だこれは!何だこれは!)と混乱した頭が叫び続ける。
再び後ろをちらりと振り返ると、黒い肌をした者達は、藤代までの距離を確実に詰めてきていた。
このままでは死ぬ。はっきりと悟った藤代だが自分ではどうすることも出来ず、老いた父と母の顔が頭に浮かんだ。
「きゃあぁ!」
阿形の隣を走っていた田崎が派手に転倒する。阿形が急ぎ近づき「大丈夫田崎ちゃん!?」と叫ぶが、田崎は足を抱きかかえて返事をしない。阿形が田崎の抱えている足に触れると、田崎が短く悲鳴を上げた。よく見るとパンプスのかかとが片方取れており、これが転倒の原因のようだ。田崎は顔をゆがめながら「阿形さん、先に行ってください」と言った。
少し遅れて小田切が追いついて来て、田崎が倒れている所まで来ると座り込んでしまった。
荒い息が静まらないようで、もう走ることは難しいように見える。
阿形は走ってきた方向へと振り返ると、中桐がすぐそこまで来ており、藤代が少し遅れていた。
そして藤代のすぐ後ろを、黒っぽいものが追いかけているのが見える。
「よぉーし!」
阿形は両の頬を軽く叩き、気合を入れると黒っぽいもの達へと向かい走り出した。
田崎と小田切は突然の阿形の行動にあっけにとられてしまい、けっこうな速さで走り去っていく阿形の後姿を口を空けて見つめた。
実を言うと阿形には、何故もと来た道を走って戻らなければならないのか理解できていなかった。ただ前を歩いていた自分の上司から「逃げろ!」と命令され、周りのみんなが走り出したので、田崎の隣を並走していただけだった。
田崎が転んで動けなくなったのを見て、おぶって走ってあげようかなと考えていたら、今度はもう限界そうな小田切が近くに座り込んできた。さすがに二人は抱えて走れんぞと思い上司の方を見ると、藤代の後ろに黒っぽい小さいのが三つ見える。
そこでようやく阿形は状況が理解できた。
状況を理解すると、これは自分が待ち望んでいた展開であることに気が付き、すぐさま走り出す。
(来たのか?来たのか?俺の時代がようやく来たのか!?)
毎日走りこみを行っているため、少し田崎の隣をゆっくりと並走したくらいじゃ体力はまったく問題無い。己の栄光のため全力で敵目掛けて走る。
すぐに中桐を抜きさり藤代と黒っぽいもの達へと肉薄する阿形。
(見ていてください師匠!)
そう毎週週末に通っている剣術道場の師匠へ心の中で叫び、地面を蹴って跳躍し、藤代をかすりながら後ろの黒っぽい小さい者へドロップキックを放った。
身長189cmの大男が全力疾走の助走をつけて放つドロップキックを、黒っぽいものはかわそうとしてかわしきれず、ガードした両腕ごしに胸へ直撃を受けてしまう。そして直撃を受けた瞬間、軽い交通事故にでも遭ったように地面へと吹き飛ばされて、全身を強く打ちつけながら転がっていった。
阿形は蹴りを放ったあと無難に着地し、敵を確認する。すぐ近くに二人残っていて短刀を構えているのが分かった。阿形は少し飛び退り、右手を軽く前に出して構えると、左側に居る黒っぽいものの左側へと移動する。黒っぽいものが右手に持った得物を阿形へと叩きつけてくると、阿形は少し前に出て右手で相手の腕を取る。そして左手で相手の肘の内側を押さえて腕をきめると、そのまま黒っぽい者の腕を力任せに折った。
激しい叫び声を上げる黒っぽい者から西洋風の短刀を奪うと、尻を蹴りつけてもう一匹のほうへ蹴飛ばす。
阿形は蹴飛ばされた仲間によって体勢を崩した黒っぽい者へ回りこみ、首筋へと剣の柄を振り下ろす。鈍い音がして黒っぽい者が倒れると、腕を折られたもう一人が逃げようとしたので同様に柄を振り下ろす。首筋を強打された黒っぽい者は、力なく地面へと倒れこんだ。
蹴りを入れた奴の様子を見ると気絶しているようなので、周囲を見回し他に危険が無いか確認をする。
とりあえずは大丈夫そうなので、阿形はみんなの方へ向き直るとニッコリ笑いながら「もう大丈夫だぁみんな!」と叫んだ。
間近で自分を驚いたように見上げる藤代の視線も心地よく、己が春の到来を確信した阿形は笑い出したいのをこらえながら、まず固まっている藤代を助け起こす。
「大丈夫ですか藤さん!」
誰かの物まねをしているのか、阿形の物言いが安い芝居のようで藤代は感謝の気持ちが急速に萎えていくのを自覚した。
◆
「それにしてもすごいもんだな、阿形」
中桐に褒められ、褒められ慣れていない阿形は赤面した。
あの後、黒っぽい何かから武器を取り上げてそのまま放置し、みんなで集まって田崎の怪我の具合を見たが酷い捻挫らしく歩くことは困難そうであった。
「あっと言う間に三匹片付けたからな、さすが未だに剣道を続けているだけあるな」
藤代の言葉に「剣道では無く剣術です」と阿形は答え「俺が使うのは山岸流と言って実戦形式のものですからね」と胸を張りながら言った。まさか山岸流を名乗る日が来るとは思っても見なく、師匠と二人で作り上げた流派の晴れ舞台に胸が熱くなった。
普段なら気持ち悪がられそうなものだが、今は阿形のそんな話を聞いても、みんな「すごいなお前」と賞賛の嵐だ。
夢にまで見たような展開に、感無量となる阿形。そんな絶好調の阿形を近藤と君島は冷ややかな目で見ていた。
「…まさか、これがフラグだったのか?」
「…いや、でもこっち丸腰っすからね、あの馬鹿じゃなきゃ突っ込んでも返り討ちにされたんじゃないっすか?」
「だよな、ってかこれ無理ゲーっぽくないか?」
「ぽいっすね…これ」
二人は最後尾を歩いていたのだが、遠くに見える中桐が慌ててこちらへ叫びながらかけ戻ってくる様子を確かめると、道の傍の茂みに身を隠し様子を伺っていたのだ。
すぐにモンスター、それも背丈の低い序盤に出てきそうなものに中桐達が追われているのが分かったが、相手はそれぞれ得物を持っており、まだ武器も何も無い状態では返り討ちに遭うのが目に見えていたので、このフラグの意味がわからず茂みの中でもじもじとしていた。
そうしている内に田崎は転倒して動けなくなるし、藤代は今にも追いつかれそうになっており、二人してもう突っ込むしか無いと悲壮な決意をしているところ、阿形が二人に先んじて突っ込みモンスターを蹴散らしたのだった。
結果的にみんなが窮地に陥っている時に自分たちだけ逃げ出したみたいになってしまい、二人がみんなのところへ戻ると、気のせいか二人へ向けられる視線が冷たいものとなっていた。
「身内の微妙なフラグは立ったみたいだな…」
「それシャレになってないっすね…」
相変わらず有頂天の阿形が、黒っぽい者から取り上げた三振りの短剣を持って「中桐さん、これどうしますか?」と聞いた。近藤と君島はのどから手が出そうになるくらい短剣が欲しかったが、まさか先程失態を演じたばかりの身で剣が欲しいとも言いにくく、心配そうに短剣を見る。
「そうだな、一本は俺が持つとして、藤代お前使えそうか?」
「いや、無理そうですね、恥ずかしい話先程少し動いただけで息が上がってしまいましたから」
「そうか、じゃあ近藤か君島。お前達どちらかが持て」
中桐がそう言うと、はっとして近藤と君島は無言でお互いを見る。
「俺、実は大学で運動系サークルに参加してたんだ」
「運動系サークルって、あれ仲良しテニスサークルじゃないすか。俺なんて中学ハンドボール部だったし」
「いや、ハンドボール部ってなくね?下手したら運動部系で一番マイナーじゃね?てかハンドボール短剣関係なじゃん」
「いやマジ、ハンドはんぱないっすから。いやマジで、足腰とかすごいことなってますから」
「しかも中学の時っしょ?何年前だって話じゃね?」
一振りの短剣のため仲たがいを始めた近藤と君島を、皆が少しイライラしながら見守っていると、道の脇に腰掛けていた田崎が声を上げた。
「みなさん!あれ!」
田崎の切迫した声に、指差された方向を皆が見ると、先程襲ってきた黒っぽい者がわらわらと湧いて出ていた。少なく見積もっても20匹ほどいそうである。
「やはり、二振りとも俺が使います。時間かせぎますんで、みんな逃げてください」
皆が動けずに居ると、阿形はそう言って両手に短剣を持ち、20匹の黒っぽい者へと駆け出した。
「え!?阿形さん!いくらなんでも無理です!」
背後から聞こえる田崎の声に、阿形は感動した。
絶体絶命の状況で、仲間のために自己を犠牲にする。そして、それを止める美女の声。まるで阿形の敬愛する時代小説の世界だ。
さすがに20匹ほども相手がいると勝てるとは思えない。だが、これまで師匠と仲間達で追い求めてきた世界に自分はたどり着けた。
悔いは無い。
黒っぽい者たちも阿形目掛けて群がって来て、阿形はあっと言う間に群れの中へと飲み込まれ見えなくなった。