田所修造の場合 39
「…何をしているのかの、おぬし達は…」
俺は全裸で腰の下まで湯で隠し、ニグリスは体のラインが完全に分かる薄着で、お互いに緊張した面持ちで見つめあっている。
一種異様な状況だが、声をかけてきたダイモーンは気づいただろう。
俺が喰われる寸前だということを。
ニグリスはダイモーンの登場にひどく狼狽していた。
羞恥心から顔を真っ赤にして両腕で胸を隠したが、両腕で圧迫された乳は余計強調されてしまっている。かなり目に毒な状態だ。
小鹿のように腰が引けながら、ちょっとずつ後ずさりするニグリス。
ダイモーンはため息をつきながら後ずさるニグリスに近づくと、持っていたフード付きのローブを渡し「この場は何も見なかったことにする。口止めもしておくのでニグリス殿はそっと静かに出て行かれるのがよいの」と言った。
ニグリスは羞恥のあまりか、ダイモーンにローブを渡されると礼もそこそこにローブをまとい、ものすごい勢いで陣幕より出て行った。
あんな勢いで走っていったら目立ってしょうがないだろうに。
「おぬしも隙だらけだからイカンのじゃ」
「そうは言ってもしょうがねぇだろ、今回の場合…」
ニグリスが走り去るのを見届けると、困ったもんじゃと言いながら俺に小言を言うダイモーン。
助かったのは事実だが、まるで親に秘め事が見つかったときのように気まずい。
「ふん、まあええわい。風呂が終わったらおぬしと二人で話したいことがある。マーナが枯渇した状態で悪いが、待っておるので急いでくれ」
そうダイモーンは俺に告げると、さっさと陣幕より出て行った。
とりあえず永住決定の危機は乗り越えられたが、じじいに弱みを握られてしまったのが面白くない。
冷えた体を湯船に沈め、体を温めながら冷静に考えると、あの場合ダイモーン以外では仲裁する事自体難しいことに気が付いたが、それでもやはり面白くなかった。
俺はダイモーンに急げと言われたが、ゆっくり温まるまで風呂に漬かっていることにした。
俺を急かすように新しい服を持ってきたエルフの女達を無視して湯に漬かり、温まってから風呂を出て着替えを済ますと、少し怒った感じの女達にダイモーンの元へと連れて行かれた。
俺の中で、エルフの女は怒りやすい傾向にあるとの予想が、事実であるとの認識にかわった。
罪人のようにせっつかれながら歩き、ダイモーンが居ると言う陣幕までやって来ると、女達に早く入れと無言の圧力をかけられる。
エルフの女ってこんなんばっかりかよと思いながら陣幕をくぐると、ダイモーンがパイプをふかしながら座っていた。
「俺もパイプ吸いたい」
「おぬしは本当に自由だの…」
軽くため息をつきながら、口ではそう言いつつも予備らしきパイプと葉が入った箱をダイモーンが差し出してきたので、急いで受け取り葉を詰める。
ギュッギュと詰めて火種を貰い火を着けると、久しぶりのタバコの良い香りがした。
うかつにもダナーンを離れる時ラハムに貰ったパイプを忘れてきてしまっていたので、強制禁煙状態にあったのだ。
葉が違うのか、パイプの形状が異なるためなのか、ラハムに貰ったパイプと違い、ずいぶん香りが良く吸いやすいパイプだった。ダイモーンのパイプは吸い口が長く、キセルに近い形状をしている。
上機嫌でぷかぷかやってると、ダイモーンがあきれながら、
「おぬしの性格にもだんだん慣れて来たわい。どうせ小言を言っても無駄じゃろうからさっさと話をすませるとするかの」
そう言うとダイモーンは表情を引き締め、俺を見据える。
「おぬし、精霊の声を聞けるようになったのであろう?」
俺はダイモーンに「ああ」と短く返事を返した。
「わしが精霊の声を聞くことが出来る事は、おぬしももう分かっているであろう」
「ああ、精霊が見えるようになって何となく分かった。他の奴らが精霊魔法を使うときだけ精霊を使役するのに対し、じいさんも俺と同じである程度精霊と同化してる」
俺にそう言われるとダイモーンは表情を崩し、満足そうにパイプを吸った。
多分、ダイモーンは初めて俺に会った時から、俺が精霊と同化していることに気が付いていたはずだ。アーンスン達では同化した精霊が見えないため分からなくとも、俺と同じようにダイモーンには分かったはずなのだ。当初俺は感覚を開けずに精霊を知覚することが出来なかったが、ダイモーンに会った時、俺はすでに精霊と同化していたはずなのだから。
「まあ、そんな顔するでない。わしもおぬしと初めてあった時、おぬしと精霊が同化しておるのは分かったが、おぬしが精霊を知覚できていない理由についてはわからなんだ。そもそも精霊と同化するという現象自体、わし以外では先代のマーリン王ぐらいしか例が無いのでの。返って混乱すると思ったのじゃ」
隠し事をされていたので機嫌が悪くなったのが顔に出たのだろう。ダイモーンが孫をあやすように笑いながら俺に言う。
「それにの、初めて会った時に『戦わなくても良い』と言ったのは本音じゃ。おぬしが居なくても、この戦いは勝てる予定だった」
ダイモーンの表情を確認するが、嘘を言っているように見えない。ただし、じいさんが表情に出してないだけなのかもしれない。
疑問は残る。ダイモーンのマーナ量が俺の半分も無く、肉体的にも俺のように戦働きができないだろうからだ。
「あまり納得できていないといった様子だの。ちなみに、おぬしこの戦いが後どれくらい続くと考えとる?」
「そりゃ、ズメイ殺すまでつづくだろ。あいつが元凶なんだから」
「やはり勘違いしとるようだの。戦いはおぬしが先ほどの襲撃を返り討ちにしたので終わりじゃ。まだ、わししか気づいていないがの」
「え!?…戦いはもう終わり?…でも精霊からは『ゆがみ』によってズメイが暴走してると…」
俺が驚いているのを見て笑いながら、
「マーナ量は多いが、まだ情報を正確に得られないようだの。どこまで正確に把握しとるかわからんので簡単に説明するが、この世界を覆うマーナとマーナを糧に世界を構成する精霊、これが世界の理じゃ。まあ精霊の代わりにルーンを使って理を成す業もあるがの」
「それぐらい分かってるって…」
俺が口を挟むがダイモーンが笑いながら続ける。
「まあ聞くが良い。この理にはマーナが必用不可欠であるが、マーナは変質しやすい物でもある。おぬしが精霊を知覚できるようになった切欠も、感情の起伏がマーナの変質を引き起こしたのが原因かも知れん。はっきりしたことは分からんがの」
ものすごい適当な感じで俺に説明するダイモーン。
「分からねぇのかよ」と言う俺の突っ込みを無視して、ダイモーンが説明を続ける。
「マーナの変質は主に生物の感情に起因する。そして本来変質したマーナは一定期間過ぎれば元の状態に戻り、なんら問題ない。ただし生物の発する負の感情によって変質したマーナは元の状態に戻るのに時間がかかる。その変質した状態が集まった物が『よどみ』じゃ」
だいたい俺が精霊より教えてもらっていたことと同じだ。
「『よどみ』は生物へ取り付き、その本質を変えてしまう。過去大きな『よどみ』が発生した際、妖精族がモンスターへと変わり果てた。ゴブリンやオルグなどがそれじゃ。今回は竜種やゴブリン、オルグの凶暴性が増すといった形で変化が現れた。そしてその中でも竜種の被害が増大した。おぬしが凶暴性の増したズメイを殺すまで戦が続くと考えたのはこのためであろう」
その通りだ。すべてお見通しといったじいさんの顔がムカつくが、反論できん。
「だが、正確にはズメイは影響を受けとらんし、変質もしておらん。かの竜は太古より生きる者。自己の持つマーナにより『よどみ』による変質などそもそも起こらん。しかしズメイは此度の『よどみ』を自らの種族の繁栄のために利用した。眷属の凶暴性が増したことを逆手にとり、この地を竜種が治める土地にするよう妖精族に対して攻勢をかけてきた。すべては己が種族の繁栄のためで狂っとるわけではない」
「俺はてっきりズメイが変質したのかと思った…」
「そう考えても無理は無いがの、ただ己が種族の繁栄のために妖精族へ攻勢をかけているズメイが、現在片っ端からおぬしに身内を皆殺しにされておる。妖精族に再攻勢をかけるとしても残り200を集めるのがせいぜいじゃろう。しかもそれを破られたら下手をするとズメイの眷属は滅びかねん。ズメイ本体が出てくるのは論外じゃ。下手すればおぬしと相打ちして死んでしまう。本末転倒だの、それでは」
「戦争が終わりってのは、理解できた…」
「まだおぬしが戦に参加しなくても、勝てる予定だったというのが説明できておらんの。おぬしが今回ユミルに使った加護、身体強化の加護を決戦で軍全体にかけるつもりだった」
「…失われた加護じゃなかったのか?…それにそんな事出来んのか?」
「失われてはおらん。わしとおぬし以外使えんと言うだけじゃ。それと加護を全軍にかける件じゃが普通は無理じゃ。ただ、命と引き換えであれば可能じゃろう。マーナ量は感情によってある程度増減するのでの」
死ぬつもりだったのか、じいさん
「先代のマーリン王の死因もそれが原因じゃ。まあ、大分昔の600年以上前の話となるがの」
「…600年前って、じいさん年いくつだよ…いったい」
「たぶん700歳くらいだと思う。正確には覚えとらん。これも精霊と同化した結果だの」
「それ、俺もってことじゃねぇのか?…」
「そうだの。多分そうじゃ」
そうじゃじゃねぇよ、絶対このじいさん俺が気づかなかったらそのまま流して説明しなかったな。
「ただ、おぬしには感謝しとる。すでに嫌と言うくらい長生きしたわしは、たとえ死ぬこととなろうと嫌は無いが、おぬしのおかげで妖精族全体の被害が少なくなった。わしだけでは無いだろう、妖精族でおぬしに感謝しておらん者はおらん」
ダイモーンの口調が改まり、そう俺に告げた。
真剣な口調だったので、俺はダイモーンから顔をそらしてしまう。
「戦が終わったところで今後の話をしたい。おぬし王になる気はあるかの」
「無いな」
そんな気は無い。王になる気があるのなら、さっきあんなに我慢して無い。それどころかヴィリの時にマーリンの王になっいてた。
「…分かっとったが、即答だの。しかし、おぬしこれからどうするのじゃ?妖精族の国は今回の戦いで各国被害が多すぎる。多分一国にまとまり合同統治することになるの。その上でおぬしが妖精族の国に残れば、周囲から王になるよう迫られるぞ」
国を統一するのか、それも仕方ないだろう。
今回の戦いで被害を抑えられたのは第二陣だけで、他は全滅に近い打撃を受けたのだ。
「じいさん。前に俺が言っていた元の世界に帰る方法だが、本当に知らないのか?それだけ生きてりゃ1つか2つ心当たりあるだろ?今回の戦いの褒美としてその情報を教えて欲しい」
「…あくまで帰るか、まあそれも良いか。わし自身は本当に知らん。多分精霊も知らん。知っているとすればバロールに居る東の魔女くらいだの。それも知っとるか分からんし、そもそもマルタ山脈の竜種はまだ数が多い。おぬし一人でバロールへ行くのは大変だと思うがの。ちなみに妖精族はおぬしに感謝しとるが、現状マルタ山脈の竜種まで敵に回すことはできん。恩のあるおぬしに手助けできないことは心苦しいが、そんな事をすれば本当に我々が滅んでしまうからの」
本当に知らなかったのか、じいさん…
てっきり知ってはいるが、俺を引き止めるために教えてくれていないだけかと思っていた。
「マルタ山脈って、ダナーンの南にあるアンジエの村がある所だったな、たしか」
「そうじゃ。現在バロールとマルタ山脈の竜種が争っておる。バロールはその規模が妖精族の国すべてを合わせても及ばない程の規模じゃが、マルタ山脈の主はズメイと同じ古代より生き続けた白竜ヴィーヴィルと赤竜ギーヴィルがおる。厳しいのは我々とかわらんじゃろう」
「…確かに、それだと一人で山脈越えは厳しいか…」
気落ちした俺に、ダイモーンがなんとも軽い感じで「まあ、しばらく王をやるのも良いだろ。わし隠居できるし」と言った。
だから、王になったら永住決定じゃねぇかよ!お前の隠居なんて知らねぇよ!
ダイモーンは嬉しそうにパイプをふかし、俺はイライラしながら煙を吹きだす。
このままでは非常にまずい。ぼけっとしてたらダイモーンの言うとおり、周囲に押し切られてしまう可能性が高い。
何か方法があるはずだと、俺は静かに思考の海へと沈んでいく。
考え事をしながらも、ニヤニヤとダイモーンが俺を見ているのが分った。イラついたがじじいに構わず回避する方法を考える。
じじいの思い通りに、俺は絶対ならねぇ
俺はじじいに見られながら感情を殺し、最善の方法を考え続けた。