田所修造の場合 1
まぶしい
まぶたの内側がまぶしいと感じた。
おずおずと目を開けると目が慣れずしばらく苦しむ。
目が慣れてくると周囲が木に囲まれていることが分かる。
先ほど酷くまぶしいと感じていたが、実際は薄暗く木々の背丈がやたら高いずいぶん深い森の中にいるようだ。
光が届きにくい関係か、藪はそれほど茂っておらず、地面一杯にコケが生している。
目の前の状況が理解できず周囲を眺めていると急に寒気を感じた。
自分の格好を確認するとサマースーツのズボンに上は長袖のシャツ。オフィスの中で椅子に掛けていたため上着は着ていない。
混乱しながら手をこするとずいぶん体が冷えてしまっていることに気が付く。
呼吸すると木の匂いと湿度の強い空気を感じた。
混乱する頭で目覚める前の記憶を確認すると、地震にあってオフィスの外に弾き飛ばされたことを思い出した。
現在地は森の中。
東京の街中にあるような貧弱な森ではなく本気の森。
それこそ屋久島などに行ったらようやくお目にかかれそうな森。屋久島の森がどんなものなのかは、見たことなど無いので分からないが。
そんなことよりも、さっきまで東京で地震にあっていたはずなのに、なぜ森の真っ只中に居るのか理解が追いつかない。
冷えた体を温めるように体をさすりながら、再度あたりを見回す。
よくよく森の中の木を見てみると、木一本一本がとてつもなく太いことに気が付いた。
また藪はそれほど茂っていないが、明らかに人の手が入っているような森ではない。
俺にはどう見ても日本の森に見えない。
「日本じゃない?」
自分の想像に、またの間が急に冷えたような寒気を感じた。
気が付くとタバコを取り出し火をつけていた。
深く煙を吸うことで気持ちを落ち着ける。
気が付くと指を焦がしそうになっていた。
どうやら軽く意識が飛んでたようだ。
フィルターを携帯吸殻入れに放り込み、火をねじり消す。
寒さのためか俺がパニックなのか、手が震え火を消すのに手間取った。
ここに居ても状況が改善されるとは思えない。
若干勾配が下っていると思う方向へ歩き出す。
強い湿度と低い気温で寒さが体にしみるようだ。
吐く息は白くとても真夏だと思えない。
馬鹿な想像をしそうになり、考えるのを止めてただ歩く。
しばらく歩くと小さな沢があった。
沢の水を見て酷くのどが渇いていることに気が付く。
過去タイに行った際、生水にやられて酷い目にあったことがあるので、沢の水を飲むにはかなり抵抗がある。
ただ、のどの渇きがあまりに酷いので、見た感じきれいそうだと自分に言い訳をして、少量だけ飲むことにした。
沢の水は冷たくとても美味かった。
水を飲むとすぐに沢沿いに歩き出した。じっとしていると体温が奪われる。
しばらく沢を下っていると急に勾配がきつくなってきた。
足を滑らさないよう気をつけながら、ゆっくりと足場を確認しながら歩く。
気が付くと少し前のほうが明くなっている。森が開けているのか?
足場を注意しながら進むと川があることに気が付いた。
川そばまで行くとしばらくぶりに太陽の光を浴びることができた。
日光があるだけでかなり暖かい。
手ごろな石の上に腰を下ろし少し休むことにした。
タバコの煙をくゆらせながら、すごい景色だなと周りを見回す。
アウトドアの趣味も無く、子供の頃以来本当に久しぶりの山のため感慨深いものがある。
ただ、今の状況が遭難でなければ更に良かったのだが。
しばらくきょろきょろしていたら視界の端に黒いものが見えた。
狸か何かかと思ったが違和感がある。まだ距離があるので分かりにくいが大きすぎるように思う。
森の中にいるその黒いものは、すぐに木に隠れて見えなくなってしまった。
野犬とかだったら厄介なので、急いで川下へ向かい歩き出す。
歩きながら警戒のため後ろに振り返ると黒いものが川辺へ降りてきていた。
黒いものの全体が見えるようになり心臓が止まりそうになる。
それがいびつながら人のような外見で、こちらをじっと見つめていたからだ。
距離があるがあれが人のようにはとても思えない、肌が黒に近い灰色のように見え、背丈も俺のヘソぐらいまでしかなさそうだ。
黒人の子供とも思えない、ぼろ布を腰に巻いているだけのその体は、下腹がぼっこりとふくらみ足が大きい。全体的なフォルムがおかしい上に口が大きすぎる。目はぎらぎらとしていてこちらをじっと見つめている。
獲物としてねらわれていると感じた。
危険を感じ、すぐに黒いものに背を向けて走り出した。
川辺は小石が敷き詰められたような状態で、森よりは走りやすい。が、後ろを振り返る余裕などは無い。
すぐに後ろから「ギギギャギャァアー!!!」と叫び声が上がり、あまりの恐怖に飛び上がりそうになるが歯を食いしばって耐え走り続ける。
走っていると川が左手にカーブしており、前方の川辺は切り立った岩場に変わっていた。
このままでは再度森に戻らねばならない。
やむを得ず森へと顔を向けると、進行方向の森に黒いものが居た。
(嘘だろっ!)
あわてて後ろへ振り向くと黒いものが増えている。
10匹近くいる…
森に戻ることが出来ず、後ろからも黒いものが追ってきている。
進退窮まり川へ突入し、水かさが腰くらいまでの所まで進む。
川の水は冷たく、流れもかなり早いことが分かった。
川辺へ振り返ると黒いものがまた増えている。もう何匹いるか分からないが30匹以上いそうだ。
なんだか皆で集まってギャアギャア言ってる。
距離もかなり近くなっているので、黒いものの外見もはっきり見ることができた。
完全に人間じゃない。
目玉が飛び出しかけているのかというくらい突出していて、俺を食い入るように凝視している。口からよだれがガンガン出ているところを見ると、俺はあいつらにとって食事として見られているようだ。
黒いものの中には鉈のようなものを持っている奴や、剣なのだろうか?小ぶりの直刀を持った奴がいた。
水の中はかなり冷たく耐え難いものがあったが、先ほどまでの鬼ごっこよりはよほど落ち着くことができた。
なぜなら、奴らはいくら武装していようとも背が低すぎるため俺の所まで来れない。
川に入ろうものなら奴らは流されてしまう。
「バァアアカァ!!! このド低脳どもがぁ!! 来れるものならこっちまで来てみやがれやぁ ボケェエエエ!!」
さっきまでの恐怖から小学生のような罵声を上げた。
黒いもの達は、興奮したようにギャアギャア言っているが、川には入ってこない。さすがに流されることぐらいは分かるのだろう。
さっきまで、久方ぶりの全力疾走を行ったため呼吸が乱れていた。
息を整えようとしていると、黒いもの達が弓を取り出しているのが目に映る。
反射的に川へ潜る。
最悪すぎる。さっきまで安全地帯と考えていた場所が、そうではなかった。
川へもぐると川の流れに対して踏ん張れなくなり、そのまま流された。
俺は流れに逆らわずそのまま水面には出ないようにし、体のバランスだけをとるようにして流された。
(死にたくねぇ)
呼吸は乱れたままのため、そんなに長い時間は潜水できない。
だが命が掛かっているのだ、限界まで潜っているべきだろう。
必死に手足を使いバランスをとり流されて行く。川の中心のほうへ来ているのだろう川底が急に深くなった。
もう限界だと感じ、ゆっくりバランスをとりながら浮上する。
水面から顔を出し、平泳ぎの要領でバランスをとりつつ荒い呼吸を整える。
奴ら、黒いものがどこまで追って来てるか確認しようと川辺へ振り向くと、俺の真横に変なのがいた。
ゼリーのような、水がそのまま立ち上がったような、人型の何かだ。
あまりに俺のすぐそばに、異常な物体?が居たため俺はあせってバランスを崩してしまった。
バランスを崩した俺はすぐに川に沈んでしまい、その際水まで飲んでしまう。
気管にも水が入ってしまい、あまりの苦しさに空気を吐き出してしまう。
再び空気を吸うため浮上しようとするが、川の流れに体が翻弄されており、どっちが水面なのかも分からない。
洗濯機の中にいるような状況で、ひたすら空気を求めもがくが水面がどこにあるのか分からない。
空気を求めてもがき続け、あまりの苦しみに頭が真白になり何も考えられない。
徐々に薄れる意識の中、何かに包まれるような感覚を感じたその直後、俺は意識が完全に途切れた。