田所修造の場合 15
目が覚めると部屋はまだ薄暗い。
リジルが昨日『目覚めの時間』にならないと明かりは明るくならないと言っていたのを思い出した。
さすがに昨日は飲みすぎたようで、頭の芯が濁っているような不快感がある。
起き上がろうとすると、ガキが俺に抱きついているのに気が付いた。ガキを引きはがして起き上がる。
昨日となりのベットに寝かしつけたのに、いつの間にこっちへ来たんだ?
ガキの尻をさわり漏らしていないことを確認する。
昨日2本目のワインを空けた後、念のため寝る前にガキを起こして小便に連れて行ったのが良かったのだろう。
朝からパンツを洗わなくて済み、満足した俺は酒を抜くために風呂へと入ることにした。
温泉で朝風呂、本当に湯治に来たような感じだ。
原始時代の生活から、一気に文明社会の生活へとランクアップし、風呂から立ち上る湯気に包まれながら「ほんと、悪くねぇなぁ」とつぶやく。
首まで温泉につかって、湯気を鼻から吸い込み大きく息を吐き出しながら体のこりをほぐす。
「あああぁぁ」と声が自然にもれるのにも満足し、俺はしばらく風呂でくつろいだ。
風呂を済ませて部屋に戻ると部屋が少し明るくなっていた。どうやら急に明るくなるのではなく、だんだん明るくなるようになっているらしい。
魔法の便利さに感心しながらガキのほうを見ると、ガキがすごい寝相で熟睡している。どうやったらその姿勢で寝られるんだ?と不思議に思いながら俺は身支度を整えた。
少し時間をもてあまし、棍棒をいじくっていたらリジルの部屋をおとなう声が聞こえた。
ドアを開けリジルを迎い入れると、朝食を持って来たと言い、テーブルの上にバスケットからパンやスープポットや食器などを取り出して手早く準備を整えてくれた。
リジルに礼を言い、俺はガキを「飯だぞ、起きろ」と起こして、ガキと一緒にリジルの用意してくれた朝食の席についた。
朝食は芋系のポタージュっぽいスープとパンでとても美味かった。
ガキは寝起きだというのに、口の周りをべとべとにしながら飯にがっついていた。こいつ将来太るだろうなと考えながら「おら、こぼすな、ゆっくり食え」と注意して、口の周りをナプキンでふき取る。
リジルは楽しそうにそんな俺とガキの様子を見ていた。
朝食を済ませるとリジルが一度部屋に戻ってからまた来ると言って、汚れた食器をバスケットにしまい部屋に帰って行った。リジルが戻ってきてから一緒に例の高名な精霊魔法の使い手に会いに行くらしい。
ガキの身支度を整えているとリジルは思っていたよりも早く戻ってきた。
高名な精霊魔法の使い手が俺を待っていると言うので、俺とリジルとガキは三人で屋敷内にいるというそいつの元へと向かった。
部屋に着きリジルが「お連れしました」とおとないを入れるとドアが開けられた。
部屋は広く中央におおきなテーブルがあり、会議室のような雰囲気で、上座に貧相な爺さんが座っていた。
脇にアーンスンもいて俺を見ると会釈をよこした。
リジルが俺とガキを席に案内し、俺達が席につくと貧相な爺さんがしゃべりだした。
「わしはアエロー氏族の長で、このダナーンの王ダイモーンじゃ。戦士バアフンの来訪を歓迎する」
魔法の使い手に会うとばかり思っていたので、突然国のトップだと紹介され戸惑いながら脇に立っているリジルに「魔法の使い手に会うんじゃなかったのか?」と聞くと「ダイモーン様がその高名な精霊魔法の使い手でいらっしゃいます」と返された。そうならそうと先に言っておいてほしかったなどと考えていると、冗談みたいな名前の爺さんは話を続けた。
「話はアーンスンより聞いておる。今回ソール村がゴブリンどもの襲撃を受ける被害が発生し、多くの同胞が被害にあった。しかしアンジエの一件はそんな中で唯一の吉報であった。氏族を代表し礼を言わせてもらう」
「いや、俺のほうこそ困っているところをアーンスン達に助けられ、この国まで連れて来て頂き心から感謝している」
「同胞の危機を救ってもらったのじゃ、アーンスンは当然のことをしたまでだ。それよりアーンスンの話では、おぬしは異なる世界よりまいったと言う話だったが、それは本当かの?」
爺さんは疑っているという感じではなく確認をするかのように問いかけてきた。
「本当だ。元いた世界はこことはまったく異なる世界だった。地震に遭い、気が付くとこの世界にいた。正直な話非常に困っている。元の世界に帰る方法を知っていたら教えて欲しい」
「そうか、別の世界へ行く方法なのだが残念なことに今まで聞いたことが無い。力になれず申し訳ない」
俺が何も言えずにいると、とりなすように爺さんが提案をしてきた。
「おぬしは我が一族の恩人じゃ。どうであろうこの国で暮らすというのは?おぬしは勇敢な戦士だというし、我が氏族の者と身を固めるのも悪い話ではあるまい」
「え?いやちょっと待ってくれ、てっきりもといた世界に帰れると思っていたので混乱している。それに俺は戦士ではない。ゴブリン共は襲われる危険があったから戦ったまでで、戦い方も知らない素人なんだ俺は」
「そうだの、話が急すぎたか、いやゆっくり考えてくれれば良い。おぬしの話はアーンスンから良く聞いておる。おぬしであれば我が国は大歓迎だ。ゆっくり考えてから決めてくれ」
「…ああ」
「勘違いしないでほしいのだが、おぬしが希望すれば戦士にならずとも生活のたつきが立つようはからうつもりじゃ。考えがまとまるまで身の回りの世話はリジルを使ってくれ。これはまだ若いが気の利くいい娘じゃから」
「…ああ、悪いがしばらく甘えさせてもらう」
爺さんは俺の返事を聞くと好々爺然とした笑顔を浮かべた。
「それから本当は精霊についておぬしと話をするつもりだったのじゃが、少し火急の用ができてしまっての、すまないが後日改めて説明させて頂きたい。おぬしの精霊の具現化という状況は、わしらもまだ考えをまとめられていないといった事情もあるのでの」
「…ああ」
◆
気が付くとリジルとガキと三人で廊下を歩いていた。
どうやって部屋を出てきたのか、思考が飛んでたらしい。
当然予想はしていた、もともと魔法が一体どういうものなのかも理解していていないのだ。しかし、何となく不思議なちからでこの不思議な世界から俺を現実に帰してくれるとも期待していた。いやそうなると思っていた。
それが爺さんに「この国で身を固めろ」と言われた瞬間、なんと言うか急にこの世界がリアルに感じた。
身を固めるか、そう言えばお袋には三十歳に近づくにつれ結婚についてよく言われた。
「シュウちゃん、あんたいつまで一人で楽しようと思ってるの?お兄ちゃんもお姉ちゃんも立派に家庭を作って生活してるのにあんたときたら、東京出てからこっちにもあんまり帰ってこないし、連絡もほとんどよこさない。お父さんも口には出さないけどあんたの事心配してるんよ」
お袋の奴、きまってこっちが仕事で忙しくしている時に電話してくるもんだから「お袋、その話は分かってるって言ってんだろ」と俺はろくに相手をしなかった。
親父の仏頂面が浮かんできた。いつも不機嫌そうにしかめっ面してる。子供の頃はおっかなくてしょうがなかったが、大人になり不思議と口数が少ない親父の考えていることが分かるようになって、いつの間にか怖くなくなっていた。お袋はお兄ちゃんとシュウちゃんはお父さんそっくりだからとよく言っていた。俺はきまって「兄貴はそっくりだけど俺は全然ちがう」と言い返していた。
兄貴に姉貴。偉そうにいつも俺に説教をする。二人とも田舎に残っていて、俺が帰郷する度に田舎へ帰って来いと言った。
家族を思い出すと、故郷の風景や匂いまでが一気に頭の中にあふれた。
もう戻れないのかもしれない。
服の袖を引っ張られているのに気づき見てみると、ガキが俺の顔を覗き込んでいた。
脇でリジルも心配そうな顔をしている。
感傷を吹き払うように「早く部屋へ行くぞ」とぶっきらぼうに言い、早足で二人の前を歩いた。
自分の甘さ加減に腹が立つ。
俺の現状を把握できていなかったのは、俺だけだったらしい。
イラつく頭にタバコが欲しいと強く思った。