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第70話:鬼哭

スイが泣き疲れてナユタの背中で眠った後。

夕暮れの赤い光が、木々の隙間から朱音の横顔を照らしていた。彼女はいつもより少しだけ物憂げな表情で、遠くの山並みを見つめている。


「……優しいね、ナユタくんは」


朱音がぽつりと呟いた。その声には、からかうような響きは一切なかった。


「朱音さんだって、ずっとスイを庇ってただろ。本当は誰よりも情に厚いんじゃないか」


ナユタの言葉に、朱音は自嘲するように短く笑った。


「買い被りすぎだ。私はただ、人間という生き物の身勝手さが嫌いなだけさ。そういえば、私が千年前、どうして鬼になったか、ちゃんと話したことはなかったね」


朱音の視線が、夕闇に沈みゆく空に向けられる。

彼女がまだ、ただの人間だった頃。彼女の住む村を、深刻な不作と原因不明の疫病が襲った。

次々と人が死んでいく中、人々は恐怖で正気を失いかけていた。そんな極限状態において、集団の精神を安定させるために必要だったのは、神への祈りではなく、憎むべき明確な敵だった。


「身寄りのない私が、すべての災厄の元凶として仕立て上げられた。村人たちは、私に石を投げ、罵倒し、暴力を振るうことで、自分たちの底知れない不安と罪悪感を私に押し付けたんだ」


それは物理的な暴力というより、精神的な排泄に近い行為だった。

毎日、毎日、村人たちの真っ黒な感情を直接ぶつけられ続けた朱音の肉体は、やがてその負の感情の質量を自らの内側に取り込み、人間の限界を超えた異形、すなわち鬼へと変質してしまった。


「皮肉な話だ。私が本物の化物になった瞬間、村人たちは恐れおののいて、私を神の岩に封印した。でもね、私は一切抵抗しなかったんだよ」


「どうして。力があれば、村人たちに復讐できたはずだろ」


「怖かったんだ」


朱音の声が、わずかに震えた。最強の鬼が、初めて見せた明確な恐怖の感情だった。


「私の中に流れ込んできた人間の醜い感情が、私自身の心をどす黒く塗り潰していくのがはっきりと分かった。あのまま村にいたら、私は間違いなく、理性を失って村人全員を惨殺していた。自分がただの殺戮兵器になる前に、暗い岩の中で眠ることを選んだんだ」


朱音は、自らの魂が完全に壊れてしまうのを守るために、永遠の孤独を受け入れたのだ。


「でも、君が私を起こした。君のあの、理不尽に対する強烈で透明な怒りが、私の中に溜まっていた黒い感情の澱を完全に吹き飛ばしてくれたんだ。君の怒りには、他者を貶めようとする卑屈な計算が一切なかったから」


朱音はナユタに向き直り、穏やかに微笑んだ。

それは、恐ろしい鬼としてではなく、一人の不器用な少女としての、純粋な感謝の表情だった。

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