第60話:論理
白い回廊に、蘇芳の静かな足音が響く。
彼の体には、白露が展開した空間の圧力がいっさい働いていない。
「なぜ動ける。私の規則は絶対のはずだ」
白露の透明な瞳が、わずかに揺らいだ。
蘇芳は煙管を指先でもてあそびながら、嘲るように口角を上げた。
「君の規則は、対象の『闘争心』や『敵意』を検知して作動する。機械的で実に正確だ。だが、私には君を害する意思など微塵もない」
「詭弁だ。現に貴様は、私に敵対している」
「いいや、違う。私はただ、道を通るための『作業』をしているだけだ。そこにある石をどけるのに、いちいち石を憎む人間はいないだろう?」
蘇芳の手から、数枚の形代が滑り落ちた。
それらは殺気を持たず、ただの落ち葉のように白露の足元へ舞い落ちる。
だが、白露がそれに気づいた瞬間、形代が発光し、白露の周囲の空間を四角く切り取ろうとした。
「第三条、術式の行使を禁ず」
白露が静かに宣言すると、形代は空中でピタリと静止し、光を失って紙屑に戻った。
空間の規則が更新されたのだ。
「これで貴様も何もできまい。規則に抗うことは、この世界そのものに抗うことと同義だ」
白露が袖から取り出した短刀の切っ先を、蘇芳に向ける。
呪術を封じられ、格闘の意思を持てば圧殺される。完璧な詰みだ。
だが、床に縫い付けられていたナユタの脳内で、現代の知識がフル回転していた。
(どんなシステムにも、必ず矛盾がある。全ての動作を禁じるプログラムなんて、それ自体がエラーを起こすはずだ)
「スイ……」
ナユタは、自分の背中にしがみついているスイに、かすかな声で囁いた。
スイは小柄なためか、空間の圧力による影響がナユタたちより少なかった。
「この空間の繋がり、どこから来てるか分かるか……?」
「……うん。あの白い人の足元。そこから、冷たい糸がいっぱい床下に伸びてる」
スイの言葉で、ナユタは確信した。
この規則は、白露自身を中心とした物理的な陣によって維持されているのだ。




