第59話:伏兵
「成功だ。上の儀式は完全に停止したはずだ」
蘇芳が崩れゆく術式を見ながら言った。
天井の圧迫感が消え、スイの顔色も元に戻っていた。
「急ごう。大混乱になっている今なら、一気に本殿まで抜けられる」
ナユタたちは、柱の裏に隠されていた大内裏へと続く秘密の石段を駆け上がった。
分厚い隠し扉を押し開けると、そこは煌びやかな灯りがともる、果てしなく続く白い回廊だった。
だが、彼らが回廊に出た瞬間。
周囲の空間が、カチャリ、と鍵をかけられたような音を立てた。
「……何だ?」
ナユタが立ち止まる。
振り返ると、通ってきたはずの隠し扉が消え失せ、ただの白い壁になっていた。
前も、後ろも、全く同じ白い回廊が無限に続いているように見える。
「結界の一種か。空間が歪められている」
蘇芳が呪符を構えたその時。
回廊の奥から、白装束に身を包んだ一人の男が、足音一つ立てずに歩み寄ってきた。
年齢は二十代半ば。雪のように白い肌と、感情の一切抜け落ちた透明な瞳を持つ男。
右大臣の懐刀であり、この都の秩序を設計した天才陰陽師、白露だった。
「儀式を邪魔したネズミは、お前たちか」
白露の声には、怒りも焦りもない。
ただの事実確認のような、平坦な響きだった。
「私が設計した無菌の回廊に、泥のついた足で踏み入るとは。……これ以上の汚染は許されない」
白露が静かに指を交差させる。
その瞬間、朱音の体が目に見えない力に押され、床に膝をついた。
「な……重い……!?」
「私の空間では、規則が絶対だ。第一条、暴力の禁止。第二条、走る事の禁止。……これに反する意思を持った瞬間、空間そのものが対象を圧伏する」
物理的な重力ではない。
空間のルールそのものが、朱音の闘争心を感知して彼女を縛り付けていた。罪や心を対象とする朱音の力に対し、白露は「環境の規則」で対抗してきたのだ。
「馬鹿げたルールだね……ッ!」
朱音が力ずくで立ち上がろうとするが、床板がミシミシと悲鳴を上げるだけで、体が動かない。
ナユタも動こうとしたが、足が鉛のように重く、一歩も前に進めなかった。
「無駄だ。心を持たぬ規則に、感情で抗うことはできない」
白露が袖から細い短刀を取り出し、ゆっくりとナユタたちに近づいてくる。
絶体絶命の状況。
だが、ただ一人。
蘇芳だけが、全く影響を受けていない様子で、静かに煙管の灰を落としていた。
「心を持たぬ規則、か。……だからお前は昔からつまらない男なのだ、白露」
蘇芳が薄く笑う。
「お前のその綺麗な規則。……バグだらけだということを、先輩である私が教えてやろう」
秩序の天才と、混沌の呪術師。
白い回廊で、相反する二つの術理が激突しようとしていた。




