第33話:鉄鎖
翌日。
黒金谷に、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。
いつもの始業の合図ではない。緊急事態を告げる早鐘だ。
「なんだ!? 何事だ!」
代官屋敷から、きらびやかな直衣を着た小太りの男が飛び出してきた。
この谷の支配者、鉄鼠だ。
「だ、代官様! たたらが……溶鉱炉が止まりました!」
「なんだと!?」
鉄鼠が現場に駆けつけると、そこには信じられない光景が広がっていた。
数百人の労働者たちが、道具を置き、腕を組んで座り込んでいたのだ。
その先頭には、源次とナユタがいる。
「貴様ら! 何の真似だ! 作業に戻れ!」
鉄鼠が喚き散らすが、誰も動かない。
「戻りません」
ナユタが静かに告げた。
「全員の借金の帳消しと、安全な労働環境。それを約束するまで、この炉には火を入れさせない」
「ふざけるな! 貴様ら、処刑されたいのか! 五人組の掟を忘れたか!」
「忘れてないよ」
ナユタは後ろの労働者たちを振り返った。
「だから、全員で止めたんだ。全員が共犯なら、誰を処罰する? 俺たち全員を殺せば、誰が鉄を作るんだ?」
「ぐ、ぬ……ッ!」
鉄鼠は言葉に詰まった。
彼の権力は「鉄」を生産することでのみ保証されている。労働者を皆殺しにすれば、彼自身の地位も終わる。
ナユタは、システムの急所を突いたのだ。
「おのれ……小賢しい真似を! 兵を出せ! 見せしめに数人斬れば、残りは動く!」
鉄鼠の合図で、武装した護衛たちが刀を抜く。
恐怖で支配し直すつもりだ。労働者たちが怯えて後ずさる。
「……往生際が悪いね」
朱音が、ナユタの前に立った。
彼女は鉄鼠を見据え、冷ややかに言った。
「アンタが彼らを縛ってきた『連帯責任』という鎖。……今度はアンタが味わう番だ」
【重罪・鉄鎖連環】
朱音が地面を蹴る。
だが、彼女が狙ったのは鉄鼠ではない。
谷に積まれていた、出荷前の大量の鉄塊の山だ。
ガァァァン!!
朱音の一撃が、鉄の山を崩した。
雪崩のように崩落した鉄塊が、鉄鼠と護衛たちの退路を塞ぐ。
そして、不思議なことが起きた。
鉄鼠の体が、まるで磁石になったかのように、周囲の鉄くずや鎖を吸い寄せ始めたのだ。
「な、なんだ!? 体が……重い!」
「アンタは言ったよね。五人組は運命共同体だって」
朱音は冷たく宣告した。
「なら、アンタもその鉄と運命を共にしな。……この谷の重み、全部アンタの腰に乗せてやる」
ガシャン、ガシャン!
無数の鉄鎖が鉄鼠の体に巻き付き、彼を巨大な鉄塊へと縛り付ける。
彼が労働者たちに背負わせてきたノルマの重さが、物理的な質量となって彼を圧迫する。
「ぎゃあああッ! 重い! 潰れるぅぅッ!!」
「助けてくれ! 俺たちは関係ない!」
護衛たちもまた、鉄鼠に巻き込まれて動けなくなる。
支配者が、自らの欲した鉄の重さに押し潰されていく。
「……行こう、みんな!」
ナユタが叫んだ。
支配者が無力化した今、止める者はいない。
源次が立ち上がり、拳を突き上げた。
「おぉぉぉッ! 自由だ! 谷を出るぞぉぉッ!」
数百人の労働者たちが、一斉に走り出す。
彼らは長屋に火を放ち、自分たちを縛っていた帳簿を燃やし、谷の出口へと殺到した。
ナユタたちは、その濁流のような人の波を見送った。
黒煙に包まれていた谷に、久しぶりに青空が覗いていた。
「……あにさま」
スイが、空を見上げて言った。
「山が、笑ってる」
「うん。……いい風だ」
ナユタは煤で汚れた顔を拭った。
鉄鼠は死ななかったが、失脚は免れないだろう。
何より、人々は知った。「連帯」は縛り合うための鎖ではなく、理不尽と戦うための武器になるということを。
三人は、解放された人々の歓声を聞きながら、静かに谷を去った。
旅は続く。
だが、その足跡は確実に、この時代の歪みを一つずつ正していた。




