第2話:因果
死が落ちてくる。 ナユタは歯を食いしばり、その瞬間を待った。
だが、痛みは訪れなかった。 代わりに聞こえたのは、男の狼狽した声だった。
「……な、なんだ!?」
ナユタがおそるおそる目を開けると、異様な光景があった。 振り下ろされたはずの太刀が、ナユタの頭上で止まっている。 いや、止まっているのではない。 男の両腕が小刻みに震え、太刀の軌道が無理やり捻じ曲げられようとしているのだ。 まるで、見えない力が切っ先を男自身に向けているかのように。
「う、腕が……勝手に……ッ!?」
男が必死に抵抗するが、太刀はゆっくりと、しかし確実に男の喉元へと向きを変えていく。
「すごい……」
鈴を転がしたような、透明な声が響いた。 空間が揺らぎ、そこから一人の少女が姿を現した。 透き通るような肌、夜空のような黒髪。 伝説の鬼のような禍々しさはない。ただただ美しい、儚げな少女だった。
彼女――朱音は、ナユタの顔をじっと見つめていた。その瞳は、宝石を見つけた子供のようにキラキラと輝いている。
「こんなに震えてるのに、一歩も引かないなんて。……君の魂、すごく綺麗」
朱音は嬉しそうに微笑むと、青ざめる検非違使たちの方へ向き直った。
「き、貴様、何をした!?」 「私は何もしてないよ」
朱音は静かに告げた。 その声には怒りも嘲りもなく、ただ冷厳な事実だけがあった。
「ただ、アンタたちの『殺意』が、本来あるべき場所に帰ろうとしてるだけ」
彼女の言葉と共に、男の手の中にある太刀が、強い磁力に引かれるように加速した。
「や、やめろ、俺の体だぞ! 動け、止まれぇぇぇッ!!」
男が絶叫する。 だが、太刀は止まらない。 自分自身が振り上げた暴力。その因果が、今まさに自分へと返ってくる。
ズシュッ。
「ぎゃぁぁぁッ!!」
男の太刀が、男自身の太ももを深々と貫いた。 鮮血が飛び散る。 自らの手で自らを刺した男は、苦悶の表情で泥水の中に転がり落ちた。
「ひ、ひぃぃ……兄貴が、自分で……!?」
残りの二人が腰を抜かす。 朱音は彼らを見下ろし、悲しげに首をかしげた。
「次は誰? 誰かを傷つけようとすれば、その痛みは全部自分で引き受けることになる。……それでも抜く?」
その言葉は、どんな脅しよりも恐ろしかった。 刀を抜けば、その刃は必ず自分を殺す。 それが分かっていて戦える人間などいない。
「ば、化け物……ッ!」
男たちは這いつくばって逃げ出した。 朱音はそれを追うこともせず、ただ静かにナユタの方へ振り返った。
「大丈夫?」
差し出された手は白く、華奢だった。 そこには鬼の恐ろしさはなく、ただ純粋な優しさだけがあった。




