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第16話:黄昏

町を離れ、街道沿いの荒れ寺で夜を明かすことになった。 雨風をしのぐだけの朽ちた堂内。 火を焚き、スイが慣れた手つきで木の実や野草を煮てスープを作る。 孤児として一人で生きてきた彼女にとって、それは生きるための当たり前の技術だった。


「おいしい……」


ナユタがスープを口にすると、スイは嬉しそうに、けれど少し寂しげに微笑んだ。


「お婆ちゃんに教わったの。……死んじゃったけど」


焚き火の爆ぜる音が、堂内に響く。 外は漆黒の闇だ。街灯などない平安の夜は、文字通り「魔」が潜む深淵だ。


「ねえ、朱音さん」


ナユタが炎を見つめながら口を開いた。


「昼間、宿の主人が言ってたこと……なんとなく分かる気がするんだ」


「何を?」


「この時代の人たちが、どうしてあんなに冷淡なのか。……みんな、諦めてるんだね。戦っても無駄だ、逆らっても殺されるだけだって、学習しちゃってる」


姥捨ての村も、疫病の町も、人柱の宿場も。 悪人がいるから悲劇が起きるのではない。 「どうせ変わらない」という巨大な諦めが、人々の心を麻痺させ、現状維持という名の緩慢な自殺を選ばせている。


「賢くなったつもりなんだよ」


朱音が静かに言った。 彼女はスイの頭を優しく撫でている。


「子供の頃は、誰だって理不尽に怒り、泣き叫ぶ。でも、大人になるにつれて、壁の厚さを知る。叩いても壊れない壁なら、叩くのをやめて、壁の影で小さくなってやり過ごす方が『賢い』と思い込む」


朱音の瞳に、炎が揺らめく。


「そうやって心を殺して、感情を捨てて、老いていく。……それが、この国の『平和』の正体さ」


重い沈黙が降りた。 ナユタには返す言葉がなかった。現代社会でも同じようなことはある。けれど、この時代のそれは、あまりに露骨で、逃げ場がない。


「……ねえ、あにさま」


スイが小さな声で呟いた。 彼女は焚き火の炎ではなく、その向こう側にある、底知れない闇を見つめていた。


「この闇のずっと向こうにも、人は住んでるの?」


「ああ。もっとたくさんの人がいるよ」


「その人たちも、みんな『壁の影』に隠れてるの?」


スイの純粋な問いが、ナユタの胸に刺さった。 この国のどこへ行っても、同じ景色が広がっているのかもしれない。 どこまで行けば、この閉塞感から抜け出せるのか。都へ行けば変わるのか、それとも都こそがその元凶なのか。


「……分からない。でも、確かめに行こう」


ナユタは自分に言い聞かせるように言った。


「壁がない場所があるのか、それとも自分たちで壊すしかないのか。……旅は、まだ始まったばかりだから」


「うん」


スイは頷くと、何気ない仕草で、床に転がっていた欠けた茶碗を拾い上げた。 ただのゴミだ。 だが、スイがそれを両手で包み込み、じっと見つめると、不思議なことが起きた。 ひび割れていた茶碗のふちが、月明かりを受けたように微かに、本当に微かに光った気がしたのだ。


「スイ?」 「……これ、泣き止んだ」


スイは茶碗をそっと元の場所に戻した。 それは、ナユタには見えない、物の「声」や「痛み」を聞いたかのような仕草だった。 朱音が、鋭い視線でスイの手元を見つめていたが、何も言わなかった。


「寝ようか。明日は早い」


朱音が立ち上がり、入り口の戸板を直した。 隙間風が止む。 外の世界は広く、果てしない。 地図もない、道標もない。 この泥沼のような平安の世を、三人は手探りで進んでいく。


その旅路がどれほど長く、過酷なものになるか。 今はまだ、闇の彼方に隠されていた。

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