第14話:覚醒
死が、目の前に迫っていた。 スイは宙に投げ出されながら、灰色に濁った空を見た。 怖かった。ずっと怖かった。 親もいない、家もない。誰からも必要とされず、「忌み子」と石を投げられて生きてきた。 だから、死ぬのは仕方ないと思っていた。でも…
『やめろぉぉぉッ!!』
聞こえた。 自分のために、泥だらけになって叫んでくれる人の声が。 生まれて初めてだった。 誰かが、自分の命のために怒ってくれた。 誰かが、自分を生かそうとしてくれた。
(あのお兄ちゃんを……殺させないで)
スイの心に、これまでにない想いが溢れた。 それは死への恐怖ではない。 自分を助けようとしてくれた、あの優しい人たちを守りたいという、純粋な願い。
(私が死ぬのはいい。でも……あにさま達はダメ)
スイの体が水面に叩きつけられる直前。
「……あっ!」
離れた場所にいた朱音の体が、ビクリと震えた。 彼女の中に、今まで味わったことのない感覚が流れ込んできた。 ナユタの「怒り」とは違う。 もっと透明で、痛いほどに澄み切った、献身に近い叫び。
「……そうか。あなたにそんな想いがね…」
朱音の瞳が、鮮烈な蒼色に輝いた。
ドッパァァァァン!!
川面が爆発した。 スイの体が沈むどころか、まるで巨大な手で受け止められたかのように、空中に弾き出されたのだ。 そして、彼女を優しく抱きとめたのは、水面を蹴って飛んだ朱音だった。
「あ、姉さま……?」 「よくいままで頑張ったね。君の思いを力に変えてあげる」
朱音はスイを岸に下ろすと、呆然とする道冬の方へ向き直った。
「な、なんだ貴様は! 水神の使いか!?」
道冬が後ずさる。 朱音はニヤリと笑った。それはいつもの余裕のある笑みではない。新しい力を得たすがすがしいほどの残酷な笑みだった。
「水神?アンタが相手にしてるのは、そんな曖昧なもんじゃないよ」
朱音の足元から、影ではなく、青白い光が波紋のように広がっていく。 ナユタの「怒り」と、スイの「献身」。 二つの純粋な魂が混ざり合い、朱音の力を新たな次元へと押し上げていた。
「アンタは言ったよね。水神の怒りは『重い』って」
朱音は右手をかざした。 その先には、今まさに決壊しようとしている対岸の濁流があった。
「なら、見せてあげる。一人の少女が、命を捨てて誰かを守ろうとした……その『命の重さ』を!」
【重罪・審判】
朱音の手が振り下ろされる。 その瞬間、物理法則がねじ曲がった。 決壊しかけていた対岸の濁流が、見えない壁にぶつかったように逆流し、巨大な水の塊となって空中に舞い上がったのだ。
「な、川が……逆流した!?」
「水よ、裁け、竜となれ」
朱音の号令と共に、数百トンの水の塊が、道冬と祭壇めがけて襲いかかった。 それは水神の罰ではない。 彼らが軽んじ、捨てようとした「純粋な魂」の質量そのものだった。
「!!!!」
声を発することすらできずに、道冬と、彼に従っていた部下たちが、濁流に飲み込まれ押し流されていく。厳密には…強烈な水圧で彼らの五体はあっという間に引きちぎられていく。 祭壇は跡形もなく粉砕されたが、不思議とナユタや町民たちのいる場所には、水一滴も飛んでこなかった。
轟音が止むと、そこには青空が広がっていた。 雨は、いつの間にか止んでいた。 ナユタは泥だらけのまま立ち上がり、堤防の上に立つ朱音と、彼女に寄り添う小さなスイを見上げた。
「……助かったのか?」
朱音がこちらを見て、微笑した。
「ナユタくん、大丈夫? ……この子は、強くて、とても、きれい…」
スイが、恥ずかしそうにナユタに手を振る。 その笑顔は、雨上がりの空のように澄み切っていた。 ナユタは力が抜け、その場にへたり込んだ。 震えは止まっていた。代わりに、胸の奥が熱かった。




