第10話:水神
連日の大雨で、淀川は荒れ狂っていた。 濁流が岸を削り、今にも堤防が決壊しそうな轟音が響いている。
ナユタと朱音は、川沿いの宿場町・山崎で足止めを食らっていた。 ここは京へ入るための重要な水運拠点だが、今は川止めにより、数千の旅人と荷物が滞留し、混沌としていた。
「……ひどい雨だ」
宿の軒下で雨空を見上げるナユタの横顔は険しい。 ただの雨ではない。上流で何かが起きている気配がした。
「おい、聞いたか? 『水神様』がお怒りだそうだ」 「ああ……都から来られた陰陽師様が、そう仰ったとか」
宿泊客たちの噂話が聞こえてくる。 彼らの顔には、災害への恐怖以上の、「見えない力」への畏怖が張り付いていた。
その時、宿場の広場にある高札場に、新たな達しが張り出された。 役人が大声で読み上げる。
「静粛に! 都の陰陽寮より派遣されし、芦屋道冬様のご神託である!」
ざわめきが静まる。 芦屋。 あの大陰陽師・芦屋道満の血を引く一族の名だ。
「この長雨は、水神の怒りによるもの! 鎮めるには、清らかなる『人柱』を捧げる他なし! 明朝、刻限までに『忌み子』を選出し、川へ沈めるものとする!」
「ひ、人柱だと……?」
ナユタは耳を疑った。 治水工事をするでもなく、土嚢を積むでもなく、生きた人間を川に投げ込むというのか。
「馬鹿げてる! そんなことで雨が止むわけがない!」
ナユタが叫ぼうとした瞬間、周囲の空気が凍りついた。 旅人たち、宿場の住人たち、全員がナユタを睨みつけたのだ。
「よそ者が! 貴様、都の陰陽師様に逆らう気か!」 「水神様が暴れたら、この町ごと流されるんだぞ!」 「誰かが犠牲にならなきゃ、全員死ぬんだ!」
彼らの目は、恐怖で血走っていた。 論理ではない。「誰かが死ねば助かる」という安易で残酷な救済に、彼らは縋っているのだ。
「……ナユタくん、引こう」
朱音が低く囁いた。
「今のこいつらは、洪水の水よりタチが悪い。正論を吐けば、君がその『人柱』にされるよ」
ナユタは唇を噛み切り、拳を握りしめて沈黙した。 群衆の熱狂の裏で、役人たちがニヤニヤと笑いながら視線を交わしているのを、ナユタは見逃さなかった。




