75番地 レイド18
俺(道夫)は、少年2人の姿が消失したところ、そのすぐそばまで行き、真上からのぞき込む。まさに跡形もなく消失しておった。
手に持ったままの三助がこちらを見上げておるのに気付き、床におろしてやる。しばらく、そこを行ったり来たりして探っておったが――床下へ隠れておるとでも想ったか――ただ、ここは俺のマスターの間であれば、隠れる空間など無いのは明らかだ。やがて再び見上げる。ただ、互いに首をかしげることしかできぬ。
「勝ったということでごわすか?」
オムスビ兄弟の1人が尋ねてくる。
「どうやら、そのようだ」と俺。
「あっちの方は、私に譲ってくださらぬか?」
そう言われて振り向き、その姿を近くに見てヒェーとばかり悲鳴をあげそうになる。セントバーナードサイズの巨大クモであった。ああ。シャクトリンゴ(見た目巨大シャクトリムシ)や地走り(見た目巨大ゴキブリ)タイプね。彼らで慣れていて良かった。特にシャクトリンゴには鍛えられたからね。
8本脚のうちの1本で指し示した先から、あっちが不動明王であると分かる。でも、譲ってなんて、もしかして食べちゃうの? あるいは体液をすするの? とビビっておったが、口から糸を出して縛り上げ、俺の視線が気になったのか、
「申し遅れましたが、私は『存在の空処』に属するクモりんという者です。マスターの下に連れて行きたく想います。こたびのことについては、マスターもいろいろ聞きたいことがあるでしょうから」
その後のこと。俺は皆に今しばらくここに留まるよう、お願いした。これは敵の次の1手が不明なためだった。本来なら、もう1つの攻略を受けておる『地獄巡り』の状況を確認すべく誰かを発するべきだが、それに当てられる人的余裕がない。それもこれも、俺が戦闘で役に立たぬ者を全員無勝堂に送り、また応援に駆け付けた者の多くを戻したせいだった。今となっては、せめてリス吉は残しておくべきであったと分かる。俺って落ち着いているななんて想っていたが、まったく、俺、どんだけテンパってんだよ、というのが実情であった。
クモりんによれば、『地獄巡り』には、『存在の空処』の誇る最強の者たちが応援に行っているとのこと。また、運営使者たちも『地獄巡り』にて待機すると言っておった。なので、ここの人員を割いて応援に向かわせる必要はないと想われた。
そして、ここの持ち場確保こそが重要と考えたのだ。仮に『地獄巡り』にて敵が勝利して、他ダンジョンに攻め込んだ場合であるが。その先がここ『運ゲー野郎』であれば、勝つのは難しくとも、時間稼ぎはできるはず。そして、その場合、地走りに三助を乗せて『無勝堂』に発する気でいた。地走りが話せたら、彼のみを発するのだが、それはしようがない。その報告を受ければ、『無勝堂』も備えよう。何より女神様を守りたいというのが俺の本心だった。三助の抜けた穴は痛いが、そこはクモりんに埋めてもらうつもりであった。一応、彼女にはその話はしてある。つまり、腕自慢が敵の足をがっちり抑え、クモりんが糸で上半身を縛り上げ、そこへ俺が右手を硬化させて突撃というのが、考えられる勝ち筋であった。
沼の水の如く、時がとどこおる中、俺は気分の悪さを感じ始めていた。緊張から急に解放されたからだろう。しかし、弱えな、俺。ただ下手に口に出して皆に心配をかける訳にも行かねえ。
そう想いつつ、待つ。やがて、皆の動く気配もないことに気付き、その姿を目で確認しようとするが、首が動かぬ。それどころか、手も足も動かぬ。ここでようやく皆に助けを求める決心がつき、声を出そうとするが、口が動かぬ。何やってんだ。俺。
そんな中、聞こえて来た。聞き覚えのある甲高い声が。
「うーん。効いてる。効いてる。タナトスの死の魔法。でも、バカだね。こいつら。まんまとだまされて」
「知らなければ、仕方ないさ。運営政府の反徒どもがいれば、勘づいたかもしれぬが。いや。どうだか、あいつ。何だ。あいつ、縛られてるぞ。まったく俺たちを痛めつけたのが運の尽きか。そのあいつでさえ、知らなかったからこそ、俺たちにヒュプノスとタナトスに与える愚を犯したのだろうが」
甘えを帯びた声が答える。
「タナトス。愚なんていわないでよ。僕たちにはラッキーに他ならないんだから。でも、そうだよね。何せ、僕たちが2人で使う唯一の術は極上だからね。タナトスの死の魔法に僕が特別な魔法をかぶせるんだけど。そうすると、追加効果として、僕ら自身には仮死の効果を発揮しちゃうんだよね。本当に姿まで消えちゃうんだから。だまされない方がおかしいよね。ごめんね。バカだなんて言って。」
「どうする?」
「どうするって、決まっているじゃない。楽しい上書きタイムだよ」
果たして、会話を理解できたのか、不動明王がくぐもったうめき声をあげ、暴れ始めるも、糸で封じられておることもあり、やがて大人しくなる。
「心配しなくていいよ。こいつらにするのは、あなたと違って完全上書きだからね。どうせ、死ぬんだし。あっ。でも、こいつらって復活するんだよね。でも、上書きしたら、どうなるんだろう。まあ、いいや、そんなこと。さあ、誰からする? まずはマスターから? それとも。こいつ、このちっちゃいスライム? ねえ、タナトス。誰がいい。決めてよ」