68番地 レイド11
ダンジョン『地獄巡り』のマスターの間でのこと。
恐怖のあまり、目をつぶった鉄チン(鉄スライム)はガキッとの金属と金属がぶつかり合う音を聞く。マスターの体は固い鱗でおおわれておるとはいえ、しかし、これまで度々敵に斬られるのを見て来たが、そのような音がすることはなかった。
マスターが斬られたのではないと頭は訴えるも、もしマスターが無残に殺されていたら――それは敵の武器がマスターの骨を断った音ではないかと――心は恐れ、なかなか目を開けることができない。
「マスター。ダンジョン『存在の空処』の神将にして言葉無き者ミノタウロスに代わりて言上いたします。私は『存在の空処』に属する陽炎1族の者にして、姿なき者。他に2人、1族郎党が来ております。あいや。私たち1族の体が見えぬとて、不審に想わないでください。もともと、このような体なのです」
その言葉に誘われるようにして目を開いた鉄チンに見えたものとは、地に着けてしまっておるマスターの頭のかたわらに、巨大な斧を両手で頭上に持ち上げ、身構える者。その両肩の筋肉ならば、確かにその斧でさえたやすく扱い得ようと想わせるほどに、分厚く盛り上がっておる。角を冠する顔はある方向に向けられておったが、そこには敵がおった。恐らく先ほどの音は、この者が斧にて斬撃を受け止めたときに発したものであろう。
他に明確に見えるは、やはりマスターの頭を守るように立てられた2本の槍、そして鉄チン自身の近くの地に伏せられた槍。恐らくは槍を手に脇侍して立っておるのであろう2名も、槍を置きひざまずいておるであろう1名も、その姿ははっきり見えぬ。ただ、その背後が揺らめいて透かし見えるので、その存在が知れるのみ。
「マスターが助太刀を望んでおられぬのは、私たちも良く分かっております。それゆえ、こたびの行いはマスターの処罰を覚悟してのこと。ただ、少しばかり説明させて下さい」
その直後、敵が動いた。少し離れたところまで伸びているマスターの尾の方へ跳ぶが、立てられた槍の1本がそちらに飛んで至り――恐らくたずさえ走っているであろう者はしかと見えぬので、まさにそう見えた――迎え撃つ動きをすると、槍の穂先を横にないで、その反動で左方に着地し、ついで大きく跳んで再び距離を取る。
それを見て取ったゆえであろう、ひざまずいておるであろう者が言葉を再開する。その声は丁度、私の上あたり――私はマスターの右手につかまれたままであった――から聞こえて来る。
「私たちは『存在の空処』の召喚師様より話を聞き、また『必ず仇を討て』との命を受けております」
「マスターからではないの?」鉄チンは想わず問うておった。
「はい。召喚師様は男まさりといいかすか、かかあ天下といいますか、尻に敷いているといいますか。召喚師様がマスターを怒っているのを見かけることもしばしばではあります。
ただ、先の命を下されたのはその気性ゆえばかりではありませぬ。召喚師様は『地獄巡り』の召喚師様と馴染であり、『あれは、少し年の離れた妹の如く我についてまわっておった』と言われておりました。『2人して、探検と称してあちこち出歩いては、学校で叱られた』とも」
「なんと。そうであったか。妻から聞いたことはあった。『『存在の空処』の召喚師様は私の憧れの人なのよ』と。てっきり、挑戦権の行使における勝利を飾り、攻略とは無縁の存在になりえたそのゆえと想い込んでおったが。そうか。妻がそれほど親しく……」
マスターの言葉はそこで途切れた。しばし考える風のマスターの発言を待っているのであろう陽炎の者も今回は言葉を継がぬ。
「うむ。危うく我も妻に怒られるところだったわ。妻の馴染みの方の助勢を断っては、なんという礼儀知らずの、恩知らずの、情け知らずの者よと。許そう。いや、その言い方は正しくない。どうか妻の仇を討ってくれ。頼む」
それを聞く鉄チンの目からは涙があふれ、ために陽炎の者ばかりかマスターのこともぼやけて見える様となる。そして、マスターの言葉を邪魔してはならぬと想うゆえに、ただ、ただ、心で念じておった。ありがとうございます。ありがとうございますと。