始まり
もうすぐ高校生。そんな中学最後の春休みの3月末。
近所の親戚の人の畑で手伝い――ちょうど欲しいゲームがあり、そのための小遣い稼ぎでもあった――をした帰り道。ちょうど曲がりくねったカーブのところ。猫が地べたにへたっていた。ずいぶんとやせた小振りの三毛。エサにありつけていないのか。心配して近くに寄ろうとすると、すっくと立ち上がると逃げ出してしまった。走る元気はあるようだ。休んでただけか。安心して家路に再び向かおうとする。
突然、大きなクラクション。そして衝撃。意識を・・・そして恐らく命を失いながら、俺は想った。
こんなさびれた田舎の山道。どこかへの近道という訳でもないし、まして観光名所に通じている訳でもない道。ここを上って行ったって、畑があるばかりだ。車が通ることさえ珍しい。しかも平日の夕暮れどき。町へと下る方向なら、まだ分かるが。しかも暴走車なんて、ついてねえ。
「道夫よ。目を覚ましなさい。」
女性の声がする。その声に導かれ、どうやら、俺は意識を取り戻したようだった。うながされるままに、目を明ける。すると、何か白いものがぼうっと目の前に浮かんでいた。背景は薄暗い。
「近えぞ」
俺は跳ね起きようとするが、どうやら、体に力が入らぬようで、もがいただけで終わる。
病院だろうか?
焦点が合うと、あどけなさが印象に残る少女の顔と分かる。看護師さんとも想うが、若すぎるか? 同級生と言われた方がしっくりくる。それとも童顔なだけか?
ただ、白いと想えたのが、身にまとう白衣と透けるような白い肌に留まらず、その白髪のゆえと分かれば、看護師さんという可能性はおのずと消え去る。より正確を期すならば、白銀色といった方が近いか? 何せキラキラしている。その顔の中で唯一赤い小さな唇が開き、言葉を続けた。
「汝の新たな運命を受け入れますか?」
そしてつぶらな大きな黒瞳が返答を待ち焦がれるように俺を見つめる。加えて言うなら、間違いなく美少女だった。そしてこれはあれだ。アニメや小説で良く見たあれ。なら、こいつは。俺の口は答える前に、そのことを我知らず、問うておった。
「あんた。女神だろ」
相手の仕草は小首をかしげるかわいらしいものではあったが、その言葉は遠慮会釈のないものであった。
「違うぞ。召喚師だ」
そこは女神で良いだろう。こっちの希望に合わせてくれよ。そんくらい。こっちはさっき死んだばかりなんだから。相手のかたくなさに戸惑いつつも、ただ、もっと情報が必要だと考えた俺は問う。
「なら、あんたが俺を召喚したのか?」
「そうだ」
「運命って何だ?」
「私のダンジョン・マスターとなれ」
そう来たか。とすると、やはりあのゲームなのだろうか? あれに転生したというのか? 『ダンジョン征討記』。さんざんやった。やり尽くしたというほどに。
ということは、これへの転生って、勝ち確か?
「断ったら、どうなる?」
「戻す」
「何だって」
「イヤなら、無理しなくて良いぞ」
待て待て。向こうの俺。多分、既に死んでるって。万が一、生きているかもに賭けて、戻れってのかい? 俺の判断を重んじるように見えながら、その実、全然、優しくないぞ。戻されて0.1秒後に死ぬのか? しかもちょうど火葬場で焼かれていたなんてなったら、もっと悲惨だ。洒落にならんぞ。
「分かった。受けよう」
「最初から、そう答えれば良い。断られると想い、どきどきしたぞ」
こっちの方こそと言うは、さすがに控えた。
そして寝かされている俺をのぞきこんでいた少女は、身を起こす。
「儀式を始めるわよ」
そう。おごそかに言う。いや、言いたいのだろうが、その舌ったらずさのために、むしろ可愛らしさが際立つ。そうして、再び顔を近づけて来る。もしかして、儀式ってキスか? 俺のファーストキスが、こんな美人に。俺は想わず口をとがらせていた。
ただ、彼女の唇は、すーっとばかりに上方に行き、それが触れたのは額だった。
そして、そうするためであろう。彼女の体は俺と密着することになった。胸が当たってるって。俺はいたく気が動転していたが、体の方はピクリとも動かない。その態勢のまま、彼女は吐息混じりの声で、ささやく。その言葉は分からなかった。
気付いたら、俺は彼女を押しのけていた。どうやら、体を動かせたらしい。
「何するのよ」
彼女から聞く初めてのきつい言葉であった。そうだ。その通りだ。俺は心の中で激しく後悔する。あのままじっとしておくべきだった。何で俺は。
「まあ、いいわ。体が動くってことは、儀式が成功したということだから。ということで、貴方はここの主よ。しっかりね。頼むわよ」
「頼むって何を?」
と尋ねる俺に、相手は質問の意味が分かりませんとばかりに小首をかしげるのみ。一緒になって小首をかしげていたいところだが、そうも行かない。
「ちょっと時間をくれないか? いろいろと整理したい」
「仕方ないわね。でも、敵はすぐにも来るかもしれない。一応、注意しておくわ。隣の部屋にいるから、何かあったら声をかけてね。勝手に入って来てはだめよ」
そう言い残し、彼女は扉を開け、その中へと消えた。
互い違いにプヨプヨしたものが出て来る。どう見てもスライムだ。ただし、半透明ではなく、濃い三色だった。そして猫の如く体をすり寄せて来る。
それが彼女のムニュっとした感触を想い出させ、俺を失意の底にいざなわんとする。俺は何とか踏みとどまり、この状況について考える。少しばかり慎重を要するのは、やったゲームとはいえ、2年ほど前のこと。想い出す必要があったのだ。
ダンジョン征討記。その名の通り、ダンジョン攻略がメインのゲームであり、無数のダンジョンを取りそろえているっていうのが売りだった。確かAIを使って自動生成するので、その数は無限とまで喧伝していた。確か千以上はクリアしたはず。俺がはまったダンジョンものはこれだけだった。
やりこんだゲームに転生する。何らかの因果律により。この難しい言葉も実のところは、転生アニメで憶えたのであったが。恐らく俺もそうなのではないのか? 違うんなら、お手上げだ。このスライムもゲームの序盤で見た記憶がある。何せ、三色。他のゲームで見かける輩とは一線を画す。
そういえば、こんなことになったそもそもの始まりは、あの三毛猫がきっかけだった。何で、こんなことになったんだろう。残して来た家族や友人の顔が浮かび、想いは錯綜し、心は乱れる。ただ、しばらくして、現実に戻る。というより、戻らざるを得ない。こちらで生き抜いて行くには。泣いている暇はねえぞ。俺。
始まりといえば・・・・・・俺はふと疑問に想い、立ち上がる。一瞬、彼女に尋ねるかと想い、隣室に行きかけたが、止めにした。こうしたことは、自分の目で確かめることが一番だ。地上への階段がないかと想い、彼女が消えた隣室と逆側の扉を開いてみる。そこには縦に伸びた小さな空間があり、上への縄ハシゴがしつらえてあった。その向こう側にもずっとダンジョンが続いてくれたなら。ここが大きなダンジョンの最下層であってくれたなら。ただ、見上げるうちに、不安はより大きくなる。
恐らく上方を板か何かでふさいでいるのだろう。ただ、遮蔽は完全ではないらしく、灯りが洩れて来ておった。それを頼りにハシゴをのぼる。ただ、ダンジョンのものにしては明るすぎないか? 踏み外さぬよう、気をつけながら。縄ばしごは不安定で、ときに大きく揺れ、それが収まるのを待つ必要があった。
そして、潜水艦のハッチというほどに頑丈だったら、どんなに良かっただろう。多少は防護の役に立ってくれようから。実際は、井戸のフタていどのもの――その板一枚をどけてみると、果たして、そこには地上があった。
ついてねえ・・・・・・そう口走りつつ、フタを戻す。そのまま、何かを調べるために、外に出る必要もなかった。
彼女の言いぐさによれば、俺はダンジョン・マスターとの称号で呼ばれるほどのものらしいが。その内実はゲーム序盤――つまり始めたばかりのプレイヤーが手習い代わりにやる――いわゆるチュートリアルとして退治する、しがないダンジョンの主の可能性が高まった。
もちろん、俺はまだ下を確認していない。この下にも広大なダンジョンが広がっており、俺がそれを知らないだけとの可能性もなくはないが。ただ、俺の転生の儀式は地下一階で行われ、彼女の居室も地下一階である。そして、彼女は敵が来るかもと言った。安全確保したいなら、彼女の居室は深層にあろうし、また、俺もそこへといざなおう。