第35話 地下室
私は地下室を放置してはいけないと直感がささやいた。すぐに、ゲームの知識で知っていた1階のホールの左隅にある金属製の頑丈そうな収納棚へ向かった。
「お兄様、この収納棚を押してください」
「え!……わかった」
どうみても男性1人で動かすのは不可能な金属製の収納棚だが、私のお願いを断ることができなかった兄は、苦悶の表情を浮かべながら収納棚の方へゆっくりと歩きだす。
「メッサー様、私も手伝います」
心優しいローゼは、少しでも兄の力になりたいと思い助太刀を申し出る。
「ありがとう、ローゼ嬢。でも、ここは俺1人で問題ない」
兄は愛くるしいローゼの姿を見て決心した。自分1人で収納棚を移動させると。兄は全身に魔力を通わして身体強化を図る。
「あ!お兄様、その収納棚は……」
私は説明不足だったことに気付くのが遅かった。兄は渾身の力で収納棚を押すと収納棚は吹っ飛んで壁にぶつかり木っ端微塵となる。そして、収納棚が置いてあった場所から地下に通じる階段が姿を見せた。
「これは……どうなっているのだ」
兄は2つの意味で呟いた。
「お兄様、申し訳ありません。あの収納棚は地下に通じる階段を隠すためのハリボテだったのです。身体を強化しなくても簡単に移動させることができたのです。ごめんなさい、私の説明不足でした」
「あ……そうだったのか」
兄は口をぽかんと開けて呆然と立ち尽くす。
「メッサー様、ドンマイです」
ローゼは兄を慰めるように優しくほくそ笑む。
「弁済義務が発生する可能性はありますが、私が尽力を尽くしたいと思います」
イーリスはすこし笑みを浮かべながら兄を励ます。
「協力に感謝する」
兄は心もとない声で返事した。
「お兄様、気を取り直して地下へ向かいましょう」
「そ……うだな……」
兄は気分を切り替えて地下室へ向かうことにした。
「リーリエさんは地下室の存在を知っていたのでしょうか」
私を試すようにイーリスは疑惑の目で問いかける。
「いえ、なんとなく怪しく感じたのです。それよりも、うめき声が聞こえます。急いで地下室に降りた方がよいでしょう」
私は詮索されることを恐れて話題を変えた。
階段の下の方から微かだが人間のうめき声が聞こえる。ゲームでも私がこの隠し階段を見つけた時にシェーンのうめき声が聞こえてきた。
「誰か居るのか!今すぐ助けに行くぞ」
兄は真剣な眼差しに変わる。イーリスは緊縛した雰囲気の状況下の為、私への詮索はやめることにした。
「少し薄暗いようだけど問題はない。俺が先に行く」
地下へ続く階段を照らす照明は少なく、階段の奥がどのようになっているのかわからない。
「メッサー殿、私が先に参ります」
兄が先に階段を降りようとした時、イーリスが兄を止める。
「この先は何があるのかわからない。ご令嬢を先に行かせるわけにはいかない」
教室棟別館の扉の時とは違い、地下室へ向かうのは完全に未知の領域だ。危険地帯へ先に進むのは騎士として当然の選択だ。
「私とローゼさんには光の加護があります。暗闇も太陽の下も私たちには関係はありません」
イーリスとローゼはデバフ・バフ無効化のスキルを光の加護と呼んでいる。2人には暗闇でさえ意味はない。
「そうです、メッサー様。騎士と魔法士は対等な間柄です。適材適所の行動を致しましょう」
「そうだな。ここは2人に任せたぞ」
兄は潔く2人に任せる。
「ちょっと待ってローゼ、イーリスさん。こんなところに魔法灯があったので問題ありません」
私はわざとらしい演技で偶然にも魔法灯を見つけたと主張する。もちろん、これはゲームで得た知識である。実は隠し階段の壁に小さな棚があり、そこに魔法灯が隠されている。私は3人が話をしている隙に取り出したのであった。(魔法灯とは懐中電灯のような魔法具)
「でかしたぞ、リーリエ」
兄は満面の笑みを浮かべて私の頭を撫でてくれる。私は少し罪悪感を抱きながらも暖かい兄の手で頭を撫でられてほっこりとした気持ちになる。
「先を急ぎましょう」
イーリスは私と兄のやりとりを横目で見ながら冷静に促す。私と兄は魔法灯の明かりを頼りに階段を降り、ローゼとイーリスは普段通りに階段を降りる。
「あぁぁぁぁ~~~~」
私たちが階段を降りると男性の悲痛なうめき声が聞こえた。私と兄は同時にうめき声が聞こえた方向へ魔法灯を向ける。するとそこには犬のように首輪をつけられて鎖で拘束されているマルスの姿があった。マルスはリューゲの時に付けていた金髪の長髪のカツラと黒縁の眼鏡を外していたが、ゲームでマルスの顔を知っていたので、私はすぐにマルスだときづいたのである。
マルスの綺麗な顔は大きく腫れあがり、かろうじてマルスとわかる原型をとどめていた。着ていた白の学生服もズタズタに切り裂かれていて、上半身はほぼ裸で青いあざが無数にあった。おそらくマルスはシュバインを裏切ったことにより酷い暴行を受けたと思われる。マルスは冷たいコンクリートの床に犬のように四つん這いになり、異形の表情でうめき声をあげている。しかし、そのうめき声は全身の痛みから発せられたと言うよりも、何か体に異変が生じて助けを求めるような声に聞こえた。
「あぁああああぁぁ~~~~」
マルスは絶望の慟哭をあげる。青く腫れあがった目から赤い涙を流し、強く歯を食いしばった口からは血がしたたり落ち、額にはミミズのような血管が無数に浮き出てる。そして、あざだらけの細身の体は、ドーピングをしたような筋骨隆々の肉体に変わり至るところの血管は切れて血が噴水のように噴き出ていた。
「うぉぉぉ~~~~~」
マルスは雄たけびを上げると丸太のように太くなった腕を動かして鎖を握り簡単に引きちぎる。
「マルスさん」
すぐにマルスの元へ駆けつけたのはローゼであった。そして、ローゼはすぐに光魔法を唱えた。
「浄化の神ライニグング様、私にお力をお貸しください。愚者の呪いにより体を蝕まれた迷い人に救いの手を差し伸べください。邪悪の根源たる黒き力を光の力で打ち払い、傷ついた体と心を元の姿にお戻しください」
ローゼが光魔法を唱えるとマルスの体は金色の光に覆われてマルスの動きが止まる。そして、倍以上に膨らんだ体は収縮し元の綺麗なマルスの姿に戻っていった。