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オルランの一人ぼっち  作者: 矢部涼
9/11

9.戴天落とし

 自分の両手の先まで、消失していくのを確認する。今までは、見ることのない光景だった。緑色の瞳が、透身術を看破していたからだ。そのおかげで、今まで難を乗り越えてこられた部分もある。

 だがそんな便利なものも、ルイシーナの術の完成度には及ばなかった。ウィルでも看破することのできない、透身。かつて、学園の門から出てすぐ歩いた所で、ルイシーナがいきなりウィルの隣に出現していた。その時にも、使われていたのだ。


「最後に……」

「いいんだ」


 ルイシーナの姿は見えないが、その声は耳の表面を撫でてきている。


「行こう」


 覚悟が決まったことを伝えると、彼女の腕が首に回されるのを感じた。今ここに至るまで、白きアルヴの女王を背負うことになるなど、考えもしていなかった。その体の感触を確かめる。はっきりとしたつながりができているのを、認識した。

 全身が浮き上がっていく。ルイシーナが、ウィルにも飛行の効果が及ぶようにしていた。両者が離れることは、この先の戦いのおける敗北へとつながる行為だった。だからルイシーナは、さらに強く後ろから抱き着いてくる。

 森を抜ける。

 既にギデオンが、飛んでいた。凄まじい速度で接近していき、相手へと拳を走らせる。

 ウィルは、もう余計な事を考えていなかった。必死に過去のウィルへと触れようとしてくるフィーリタ。失意の底に落ちているだろう自分自身。とどめを刺そうとしているギデオン。それらを見比べて、殺し合いを始める準備を終えた。

 自分は、ゴミでもいい。他種族の命を奪うことも躊躇わない、どうしようもないクズでも構わない。生きるべき女性を守るために、進んでいければいい。

 ギデオンの、血に濡れた拳が露わになった。つまり、過去のウィル達が跳躍していったということ。

 直後ウィルは高速で飛んでいきながら、ルイシーナと同時に球体を投げた。既に透明化は済ませてある。

 白い翼を持つ巨躯は、微動だにしない。

 頬と、首。その部分に球体が当たる。かわそうとすらしていなかった。

 手が震えないようにしながら、ウィルは計四つの球体を跳躍させる。

 その瞬間、ギデオンの姿が消失した。

 顎に、手が触れる。ルイシーナのもの。彼女は見えているようだった。そっと、ウィルの顔を上に向けさせる。

 ギデオンは、上空へと飛んでいた。その足のすぐ下に、多少散らばりを見せながら、球体が全て再出現している。本当なら、相手の急所と重なるはずだったもの。

 既にギデオンの左右を、風が通り抜けている。ルイシーナが放った術だ。目には見えづらいが、容易に肉を裂く刃が作られている。

 それもまた、跳躍させる。今度は、もっと遡る時間を短くさせた。

 光輪を持つ天理種(ヴィラ)は、横方向に体を回転させる。出現した風の刃の曲行も計算した上で、体を斜めにさせたまま静止した。

 術そのものを避けられるのは、無理もない。相手もまた、その力場の動きを読み取っているのだ。だが、時場は違うはずだった。何も知らない状態で、何の予兆もない過転砲を避けられるわけがない。普通の相手ならば。

 戴天、ギデオン・デーシス。五度の異界統合、三度の種族間戦争における最大功労勲章授与。死精霊種(ネッド)の重大な界敵認定者の討伐。再生力場の発見、定義。輝かしい功績を挙げてこられたのは、ある特性が最も大きく関係していたとされる。

 その岩のような顔が、真っすぐこちらへと向けられる。もう、場所を知られた。


「加速を!」


 耳元で出される指示は、もはや死を受け入れていた女性のものではない。

 ウィルはすぐさま手を伸ばし、彼女の腰に触れた。そこから、一気に時場を広げていく。

 同時に、羽ばたきの音がした。

 減速の壁を飛ばしていたが、その全てを避けられる。

 肩の方に、ルイシーナが血を吐き出してきた。

 ギデオンが移動したのは、背後の方だった。ルイシーナの体を拳が貫通し、ウィルにまで届いている。予期してそこにも減速を仕掛けていたのに、ほとんど意味を成していなかった。

 未来を感知する。その特性もまた、ギデオンを六天の一角にまで押し上げた要因だ。彼は球体を体の中に埋め込まれる未来を知り、風の刃が食い込んでくる展開を予知し、そうならないように動いた。減速の壁も、一度それに囚われた未来を知った上で、避けたのだ。

 つまり、未来を変えられるということ。それはある意味、跳躍の力とは対照的なものなのかもしれなかった。だからこそ、こちらに対抗することができる。ウィルが初めて過去へと遡った時も、ギデオンが真っ先に気付いた。そうして、多くの天理種(ヴィラ)に追いかけられる羽目になったのだ。

 ルイシーナが素早く手を動かしたが、それも途中で止められる。

 既にギデオンが、彼女の右腕を根元からもぎ取っていた。悲鳴を上げることもせず、ルイシーナはウィルにしがみついた。その衝撃で、背中の骨を割られている痛みがひどくなっていく。

 ギデオンの力は絶大のように見える。しかし、決定的に跳躍とは違う部分もあった。それは、実際に未来に行けるわけではないということ。

 だから、攻略法は単純だった。処理しきれないほどの攻撃をすればいい。相手が今まで避けていたことを考えれば、可能性は確実に残っている。

最短の跳躍をした。一秒の十分の一だけ、過去へと戻っていく。

 球体は既に戻っている。ウィルとルイシーナの手の中へと。

 ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。

 頭の中では、水滴が池へと落ちている。その音の間隔が、正しい秩序に沿って分割されていった。全てが〇・一秒で刻まれる世界に、包まれていく。

 どんな場所に出現しても、ギデオンは対応してくる。死角に移動したと思っても、肩を抉られる。ルイシーナと一緒に、足を潰される。叩き落とされそうになる。抑えきれずに呻き声が出る。彼女の叫びで、鼓膜が震えていく。

 多少ずれているとはいえ、ほぼ同時に起こった多くのことに、相手は抵抗していた。ウィルと同じ四肢を持ち、頭で考えて動いているはずなのに、その処理能力は常軌を逸している。まともな生物の形をしていても、中身は最上位種族のそれだ。

 ウィルは球体を過去への砲弾に変えることしかしていない。それ以上の余裕がない。相手の体を削られれば一番いい。その退路を制限することさえできれば、最低限の効果は保証される。

 ルイシーナは、彼よりも複雑だった。球体を投げ、力場を伸ばして相手の肉を引きちぎる。できるだけ多くの力場を展開させるようにしている。増やしていく分だけ、後が楽になるだろうから。

 攻撃としては、単調なものだ。ギデオンからすれば、たとえ未来を読まなくても、簡単にかわせるはず。それをかいくぐり、相手を処理することも十分に可能だろう。

 でも、それが重なったら? 

 二つだったら、何も変わらない。五つに増えても、無意味だ。十に到達したとしても、ギデオンは何も苦労することなく対応するだろう。元々の実力が違いすぎる。こちらが五十に増えたとしても、結果は変わらない。

 でも、百だったら?

 さらにそれ以上だったら、違うのかもしれない。

 ルイシーナの透身術によって、ウィルは自分達の姿を見ないようにすることができる。過去の自分も、未来の自分もだ。それによって、跳躍を短い間隔で繰り返すことの危険性を、できる限り抑えられる。

 この場所には、同時間帯において、既に五百六十四組のウィル達が存在していた。彼らから放たれた球体はその四倍の、二千二百五十六個。ルイシーナの風の刃が、千百二十八枚。そして彼女は一回につき九つの力場を出していたから、合計すれば五千七十六ものそれが働いていることになる。

 ギデオンは、普通の視界を持ってはいなかった。視るのは、流れる魔素だ。もしルイシーナのおびただしい数の力場で全てが覆われたら、まばゆい光で塞がれたも同然の状態になるだろう。

 そして相手の反応速度もまた、関係がなくなっている。どこにも避ける隙間はないのだから、受けるしかない。

 ウィルはしっかりと、その様を見ていた。

 ギデオンの肩に穴が開く。両手が球体によって潰されていく。喉を何重にも斬り裂かれた。鍛え抜かれた体が、全ての方向へと引きちぎられていく。巨体がただの肉の破片と変わるのは、ほぼ一瞬だった。

 そして直後、戴天の右足がウィルを蹴り上げている。その衝撃は、ルイシーナにまで伝わったようだった。覚悟はしていたものの、彼女まで傷ついていく状況というのは、そう何度も耐えられるものではない。

 ギデオンは当たり前のように存在していた。ちょうど、指の先の再生が終わっている。

 彼の第二の特性。異常な自己治癒能力。体の機能がある程度失われても、活動を停止しない種族は山のようにいる。しかし、ギデオンほどしぶとい者がいるかと言われれば、その例を探すのは難しい。

 未来を読み、失敗したとしてもすぐに再生する。そういう生きるための力が極限にまで備わっていたからこそ、多くの戦いや災いを乗り越えてきた。

 これが、世界を超えて謳われている存在だ。今、伝説と戦っているのだと痛感する。

でも本当は、そういう存在ではないはずだった。自分にとっては、もっと違う相手のはずだった。その翼にくるまれている時も、笑いかけてきた時も、女性と一緒にいるところをからかってきた所も、全部違う印象を与えていたはずだった。

 ウィルには、もうためらいはなかった。それでも、疑問はずっと湧き続けている。

ギデオンは、翼を広げる。その白い六枚の器官が、全ての源だった。その中枢を潰さなければ、終わることはない。

 もっと広く場所を使うことにしたようだ。相手は素早く移動を始める。それに対して、跳躍し終わったルイシーナも飛行の軌道を変えた。

 ウィルがその腰に触れ、加速の場を広げていく。あまり慣れていない速度にはするべきではなかったが、最大出力にしなければ追いつける気がしなかった。彼女の力場によって風から守られながら、ギデオンの背中を追う。

 すぐさま反転し、こちらへと襲い掛かってきた。

 再び、跳躍を重ねていく。

 今度は、もっときついものだった。ギデオンはさらに大きく動くようになっている。その行動範囲を全て埋めるためには、跳躍し終えてから少し移動する必要があった。

 その隙に、攻撃が加えられる。ルイシーナがすんでの所で防いでくれたが、結局無傷では終わらなかった。

 もし背中に彼女がいてくれなかったら、その苦痛にすぐ屈していただろう。ウィルは今まで、考えたこともなかった。たとえ身を削られるような痛みだとしても、同じ思いをしている者がそばにいると思えば、こんなにもましになっていくとは。

 戦いが始まってから、およそ千五百回目の跳躍を行った。ルイシーナはまだ、意識を保ち続けている。やはり彼女は、特別だった。魂に負担がかかっても、外から魔素を取り入れることで長持ちさせている。そして魂そのものの強さも、おそらくアルヴの中では飛び抜けているはずだった。

 だからこの勝利は、彼女のおかげなのだ。

 その時がやってくる。


「ウィル」


 ルイシーナが、頬を彼の右耳にくっつけてくる。

 それは、仕上げの合図だった。不安や恐怖、その他全ての思いを、今だけは脇へとやった。ただ彼女を信じ、そうしている自分を信じながら、その体を離す。

 彼女は全速力で飛行し、ギデオンの背後へと回る。その動き始めを見てから、ウィルは目を閉じた。


(ホロ)

『任せて』


 その声を聞いてから、彼は目を開けた。

 両腕が、肉によって押しつぶされている。ギデオンの再生能力は、凶器そのものだ。こうして跳躍し、無理矢理相手と自分の体の一部分を重ならせても、止まってはくれない。

 ルイシーナが、ギデオンの背中に手を刺し込んでいた。そして、翼心臓を押し出していく。

 天理種(ヴィラ)は、両立体種族だ。全身を実体にも非実体にも自由に切り替えることができる。それは、最大の急所でも同じだった。

 ルイシーナの手が、途中で止まる。そしてギデオンの体内で、ウィルの腕へと触れてきた。

 彼はその瞬間、自分の両腕の状態を巻き戻す。潰されていた手首から先の部分が一時的に治っていき、そこから最大数の時場を展開させていく。

 ギデオンは、ほとんど動くことができていない。何百もの風の糸が、その全身に絡みついていた。体の関節部分がほとんど、球体によって潰されていた。

 それら全てが無駄になるのも、まもなくだろう。

 ウィルは非実体となった翼心臓を、目で認識していた。むしろ実体だった時よりも、はっきりと見えている。

 そこへ、七つの時場が向かった。一瞬よりも短い時間で到達し、加速と減速を複雑に作用させていく。

 再生を繰り返し、既に心臓内にある魔素は急激に活性化していた。おそらく暴流という表現でも足りないほど、荒れ狂っているはずだ。もし、そこへさらに魔素を乱すような力を加えれば。

 どんなに強靭な非実体器官であっても、形を保つことなどできない。

 音すらなかった。感触として伝わってくるものも、わずかしなかった。

 一番はっきりとした証は、ギデオン自身の反応として表れていた。

 その体に引っ張られていく形で、ウィルは落ちていく。肉体的な疲労はほとんどないが、頭の中がたわんでいくような心地に包まれていた。ここまで多くのことを、短い時間の中で考えたのは初めてだったのだ。

 先に、ルイシーナが着地した。そのまま横へと倒れ込み、草の上を転がっていく。彼女も限界が来ていたようだ。

 ウィルはほとんど怪我を負うことがなかった。下にあった巨体が、衝撃を和らげていた。

 青々しい平原のほんの一部に、赤い血だまりが広がっていく。それは全て、二百年以上生きた天理種(ヴィラ)の頂点のものだった。

 ギデオンは、口の端から血をこぼしている。瞼をはっきりと開きながら、手を伸ばしてきた。なぜか、それが危ないものだとは思えない。


「見事……」


 その太い指先がウィルのこめかみに触れて、すぐに落ちていった。

 彼はしばらく、その顔を見下ろしていた。何かの拍子に生気が戻り、明るい笑みで言うのだ。全ては演技だったと。他愛のない悪戯の一つだったと、口が動き、顎髭が愉快そうに震えるのを待っていた。


「なんで」


 そもそも最初から、おかしかった。

 本当に殺すつもりだったなら、頭を狙うはずだ。腹では、即死させることは難しい。跳躍の力を警戒していたのなら、最初の攻撃で絶対に仕留めなければいけなかった。ギデオンが本気で狙いを誤るとは思えない。

 戦いの途中でも、頭を潰す機会はいくらでもあったはずなのだ。

 翼が地面に寝ている。その羽毛が抜け落ちていき、赤いたまりの中へと浸っていった。光輪が徐々に薄くなっていき、やがて宙へと消えていく。


「なんで、だよ。ギデオン。なんで……」


 その顔がなぜ、満足そうなのか。死への恐れ、生への未練がまるでない表情をしているのが、あまりにもおかしかった。一番納得できないもので、受け入れがたい光景のように思えた。

 全身が、重くなってくる。今まで受けた傷は全て、跳躍によってなかったことになっている。流した血も、戻っているはずだ。

 それでもウィルは、あっという間に倒れた。もはや動かない広い胸に受け止められたが、苦痛は収まらなかった。温度の失われた、何度も抱きかかえられたことのある体。その上でうずくまっても、何も癒えていく気がしなかった。

 そして彼は、目を閉じる。













 無理矢理起こされたようだ。


「気づくべきでした。貴方は、気づいているはずでした。なのに、この嘘つき」


 今、立っているかどうかもわからない。

 目を開けると、視界が歪んでいた。徐々に明瞭になってきても、良い光景は映ってこない。

 ルイシーナは、自分を見ている。その目はまるで、吸い込まれるようだった。

 抱き着いてくる。


「どうすれば、一体何をすれば」

「苦しい」

「貴方の魂が! どうして、こんな」


 できれば、あまり騒がないでほしかった。

 もちろん、気づいてはいた。ギデオンを殺せばどうなるかくらい。でもウィルは、これが当然の報いだと思っていた。自分は、命の恩を仇で返したのだ。だから、ギデオンがくれた魂が消えていっても、仕方がないと考えていた。

 魂が半分しかないというのは、想像以上にきついものらしい。意識は戻ったものの、このまま動ける気がしなかった。

 ルイシーナの、涙交じりの声が落ちてくる。


「恨むと、言ったはずです。絶対に死なせません。何か、方法が」


 彼女の肩に、ホロが乗っていた。その光景は、最初にそれと出会った時のことを思い出させる。違うのは、ルイシーナの方もちゃんとホロを認識しているという点だ。


『きみの自己犠牲精神にはうんざりだ。そこだけは、気に入らない』


 すがるような顔をしながら、ルイシーナがその白い獣を見る。


「どう、すれば?」

『一つだけ、方法があるかもしれない』


 ウィルはただ、黙って聞いていることしかできない。


『きみの魂は今、欠けてしまっている。それを治すために、八年前へと跳躍する』


 ルイシーナが息を呑む。


「それは……」

『幼い頃の、まだ完全に人間種(フーニ)の魂を持っていたきみから、奪うんだ』



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