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オルランの一人ぼっち  作者: 矢部涼
2/11

2.時間跳躍のルール

 二階へと上がり、自分の部屋に入る。


『裸のアルヴ映像でも、貼ってれば良かったのに』


 何度か跳ねながら、白い生物が机の上にまで到達する。そのまま横になると、片肘をつき、手のひらの上で顔を支えた。怠惰な姿勢だ。ろくでもない中身を知っていなかったら、まだ愛らしく思えていたかもしれないが。

 ウィルは寝具の上に腰かけて、その生物へと顔を近づけた。


(さっきの話、どういうことだよ)

『まあ落ち着きなよ。まずは、きみの研究成果を知りたい』


 もし相手が自分と同じ最重要指定保護種でなかったら、火にでもかけている所だった。体に悪そうな脂が含まれていそうだから、食べるまではいかない。


(じゃあ、お前は跳躍種(リプン)で合ってるな?)

『そーだよ』

(この…力について、よく知ってる?)

『とーぜん』


 どう贔屓目に見ても、時間を司る偉大な種族には見えなかった。しかし、外見で判断していけないということは、このオルランで生きている存在全てが承知していることだ。ウィルは、再び静かな興奮が戻ってくるのを感じた。

 立ち上がり、机の中から球体を二個取り出す。玩具用のもので、小さな力でも簡単に変形させられる材質をしている。ここ数日で、既に百個近く消費していた。


『何するの?』

(黙って見てろ)


 球体を一個、机の上に置く。


(お前は、研究成果を見せろって言った。なら、今さら過去に行くだの、加減速だのなんて、どうでもいいよな? 実は、よくわからない現象が起きた)

『へえ』


 ウィルは、球体に指をかける。そして、右方向へと軽く転がした。慎重に力を込めたので、机からは落ちることなく、端の方で止まる。

 そして、最初に球体があった位置に、同じ種類と形の球体を置いた。これで、左右に二個が並ぶことになる。


(今置いた左を過去、転がした右を現在とする)

『ふむふむ』

(このまま右の球体を過去へと跳躍させれば、どうなる?)

『さあ?』

(俺は最初、こう考えた。どちらかの球体が消える。あるいは両方が重なって、大惨事になる)


 直後、右の球体に力を流した。先ほど転がした時の動きを考えれば、既に別の球体がある位置へと一瞬で戻るはずだった。そして、何かしらの反応が起きるはず。

 最初は、恐る恐る顔を手で覆いながらやったものだ。

 結果として、派手なことは何も起きなかった。右の球体は消失し、一瞬で移動している。

 机から外れた、何もない空間へと。

 それは何の抵抗もなく落ちていき、床に当たって割れた。


(おかしいだろ)

『どこが?』

(こいつは、正確に巻き戻ってない! 過去にあった位置よりも、かなりずれた所に戻ったんだ。お前の力には、どでかい誤差が存在してるのか?)

『かもねー』

(もう一つある)


 下の割れた球体へと手をかざした。やることは変わらない。机の上にあった時点まで、跳躍させるのだ。

 消失した球体は、確かに机の右の方に再出現した。またずれているが、もうそこを気にする段階ではない。問題は、その状態だった。それまでほぼ真っ二つに割れていたというのに、新品同然になっている。綺麗な丸い形へと戻っている。


(これは、どういうことだ?)

『きみって、ちょっと面白い。よく言われない?』


 対象の物体そのものの状態が巻き戻るわけではないことは、既に証明されている。かつて彼は数百

回ほど、同じ球体を跳躍させ続けた。しかし、それが原材料まで戻ることはなかったのだ。


(昨日も、そうだった。俺は途中で少し膝を擦ったんだ。でも、ギデオンから逃げるために過去へと跳躍した後は、その傷がなくなってた。これも、戻る位置がずれることも、ただの自然的な法則か?)

『いや、ぼくがやったことだよ』


 そこまでは、ウィルの予想通りだった。


『というか、自己紹介がまだだったね。このままだと一生名乗る機会がなさそうだから、やるよ! ぼくはホロ。よろしくね』


 ホロという白い獣は、彼の肩へと跳び移った。


『過去へと跳ぶ時は、少し前の体の状態が適用されることになってる。安全のためだよ。そして過去の自分や他のものと重なってぐちゃぐちゃにならないよう、場所にも気を遣ってるんだ。えらいでしょ?』

(場所がどれだけずれるかは、調節できるのか?)

『ある程度は』


 ウィルは再び座り、眉間を揉んだ。今のは、かなり有意義な会話だった気がする。特に、制御できる範囲が思ったよりも狭くなかったことは、嬉しい限りだ。これなら、なかなか面白い使い方ができるかもしれない。


(まだある。自分の体では試していないけど、球体では何度もやろうとした。でも、一度もできなかった。未来に、跳ばすことはできないのか?)

『無理とは言わないけど。結構難しいね。過去への跳躍は、流れに上手く逆らえばいい。でも、未来へとなると…、急激に加速していかないといけない。かなりの負担がかかる』


 これで、一つの恐れが現実のものとなった。

 例えば、もし百年前に跳んでしまえば、もう元の時代に帰ってくることはほぼ不可能になる。自分の慎重さが、好奇心に勝っていたことを感謝した。

 ここまできて、肝心なことを聞きそびれているのに気がつく。


(で、俺が死ぬところだったって、どういう意味だよ)

『なんだ、忘れてなかったんだ。つまんないの』


 ホロは寝具の上へと降りて、毛で覆われた胸を張った。こういう少し勝気そうな所を、ルイシーナにでも見せたらどうなるだろうか。彼女らしくない緩んだ顔を表に出すかもしれない。


『きみは昨日、過去へと跳ぶ前に何を考えてた?』

(…つまり?)

『隠れてやり過ごし、跳躍そのものを無かったことにしようとしてたね。そうすれば、面倒な種族に検知されることもなく、追われていた過去も事実も消せると』

(それの、どこが悪い?)

『やばいよ。はっきり言って自殺行為だね』


 黒目を細くさせながら、ホロは片手で首を切る真似をした。


『過去の自分が見たこと聞いたことを、改変してはいけない。これは、絶対的な掟だ』


 は?

 無意識のうちに、声が出ていた。


『もしこれが破られたら、時間が一つじゃなくなる。昨日はまさにその瀬戸際だったわけ。きみが追われていた時間軸と、何事もなかった時間軸。それらが同時に存在することになる。つまり、世界が二つになるんだよ』


 ありがちな話だ。そういった類のことは、あらゆる種族の伽話に含まれている。


(だから、何だっていうんだ?)

『他の皆は、そんな感想で終わらせてもいいよ。実際、感じることもできないからね。でもきみは違う。時間が、世界が分かれることを、嫌でも認識することになる。魂そのものがばらばらになって、苦しみながら死ぬだろうね。分かれたどの世界にも行けないのさ。もうきみは、跳躍者(リプナー)になったんだから』


 すぐに反論できると考えていたが、頭の奥からは何も湧いてこない。ただの脅しでは済まされないものが、その声からは伝わってきていた。

 だが、納得できない思いはある。


(だったら、過去も未来も、変えられないじゃねえか)

『まあ』

(だったら……、こんな、なんだこのクソ能力は! 期待させやがって。しょうもない。こんなもののために、どれだけの労力を)

『あれ? きみはもっと賢いと思ってたけど』


 頭をかこうとした手が、止まった。

 顔を上げると、いけすかない獣は笑っていた。女性について語っている時よりも、楽しそうだ。


『主観的な結果が変えられないってだけさ』

(それが一体何の──)


 ウィルは全身を跳ねさせ、そのまま寝具の上に転がった。ホロが驚いたような顔をしているが、構っている場合ではない。

 様々な思索が、同時に行われた。久しぶりどころか、今まで一度も感じたことのなかったような熱が、頭を激しく回転させている。小さなものが生まれ、結合していき、全種族制覇への道さえ開けていくような。

 その前に、線が切れた。

 一度片手で額の汗をぬぐい取ってから、大きく息を吐き出した。


(疲れた。楽しいけど。今日はもう寝る)

『え? ああ、そうなの。それなら…、最後にいいかな?』


 寝返りを打つと、ホロは机の上の球体を見ていた。


『きみがやってたことだけど、穴があるかもね。物体を、指定した過去の時点まで跳ばすのは練習がいるんだ。さっきのだって、ただ戻し過ぎて机から落ちただけっていう可能性もあるよ』

(問題ない。統計もとったし。傾向も確認した)

『なんだって?』


 ホロが首をかしげる。

 ウィルは一度伸びをしてから、欠伸を嚙み殺した。


(試行回数を重ねて、場所のずれの傾向を確認したんだよ。あと、跳ばす時点も十分の一秒単位で調節できるようにした。さっきのだって、ぴったり八・三秒前に戻した)


 返事がしばらくなかったので、面倒だと思いつつ、目を開けた。

 白毛の希少種族は、呆れたような笑みを浮かべている。


『あれは、そういうことだったのか。何回くらい試したの?』

(五万くらい? そこからは数えてねえよ。十八時間くらいかかった)

『きみ、ちゃんと寝た方がいいんじゃないかな。目の下の隈くらいは消さなきゃ。繁殖できないよ?』

(やかましい)


 壁の方に寄ると、ホロは枕元まで歩いてきた。触られることはないとはいえ、気配のようなものは感じる。元からあまり小さな生物には興味がない方だったので、うっとうしい思いしかなかった。


『あと、これは純粋な心配なんだけど……』

(黙っとけ)

『ぼくは眠る必要もないし、ずっときみのそばにいるんだ。だから、解放的な自慰行為はできない。あまり意地を張って,ためこまないようにね? ちゃんと目はつぶるから、大丈夫!』


 長い白耳が、小刻みに揺れる。

 最後の一言は、直接口からついて出た。


「くたばれ」











 界壁前の広場に着くと、明らかに目立っている存在がいた。

 ルイシーナは、それほど多方面に情報露出をしているわけではない。最近のちょっとした事件と、一番目立つものでも、十年前にあったお披露目の行進くらいだ。

 それでも、彼女の容姿は他者の目を引き付けるらしい。思いきって話しかけようとする者を、護衛のフィーリタが一生懸命止めていた。そのいざこざが、余計注目を集める原因になっている。

 ウィルは平気なふりをしながら、そこへと歩いていった。

 東南部における界壁群は、ほとんど閉鎖されていることが多い。環境変化の激しい種族世界、あるいは希少な種族世界。それらの占める割合が、三分の二に迫っている。よほど特別な用がなければ機能することのない場所であるために、通る生物も少なく、静かな方ではある。

もし中央の方で人間種(フーニ)夜精霊種(アルヴ)が待ち合わせなどしていたら、これくらいの騒ぎでは収まらなかっただろう。

 左右を見回してから、ルイシーナのすまし顔と対した。


「これでそろいましたね」


 肌の色と同じ、白い衣装を身に着けている。裾を彩る布の重なりは、手織りでは実現できなさそうな構造になっている。アルヴの技術が使われているのだ。故郷に帰るのだから、種族に所縁のあるものを着るのは当然の流れかもしれない。


「ふざけてんのか?」

「あちらでは、既に大勢が待っているはずです。行きましょう」

「おい」


 彼女は立ち止まり、億劫そうに振り返ってくる。


「なんですか?」

「他の奴らは、先に行ってんのか? 俺が少し遅れたせいで」


 薄めの唇から、ため息がこぼれ落ちる。細長い耳がやや上向きになり、憂鬱を示してきていた。


「残念ながら、他の方々は来られなくなりました」

「どういうことだよ」

「私も、詳しく訊きたいくらいです。今日になって急に、皆行けないと連絡してきて…」

「学園で一緒にいる、紅蛇種(ラライ)のあいつは?」

「ミリアさんは、下腹部の脱皮が始まったらしいです。一週間は安静にする必要があるだとか」

「じゃあ、あのいつも飛び回ってる…」

「フロレアさんも、家族の用事を優先したいそうです」


 ちゃんと寝たはずなのに、頭の奥から痛みがやってきているような気がした。


「俺の方も誘うって言ってたな。スーロは?」

「水棲類の方々と、急に集まることになったそうです」

「ドラン」

「貴方の参加を話したら、大いに笑いながら辞退してきました」

「……お前ってさ、実は友達いないんじゃねえの?」

「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」


 ウィルは大きく息を吐き出した後、遠くで見守っているギデオンの方へと体を向けた。


「残念だけど、皆の予定が合わないのならしょうがない。縁がなかったということで」

「待ちなさい」


 妙な感触が、肌から伝わってくる。

 振り返れば、ルイシーナから出た力場がはっきりと見えていた。細長く伸びて、自分の腕に絡みついている。同じ遠力術でなければ、解くことはほとんどできないだろう。そして彼女は自分とは違い、その授業で最高の成績を収めていた。


「お前だって、嫌だろ。今日の俺の時間を潰したことは、なかったことにしてやるから」

「恥を忍んで、こちらの事情を明かします」


 口を少しの間引き結んでから、小さく開けた。


「実は長老様も含めた同胞達から、言われていることが」

「気が変わった。貸し一つな」

「その…、近縁種の異性を、絶対に連れてくるようにと」


 そこに含まれている様々な意味が、頭の中で流れていった。ルイシーナも、本意ではないといった様子でいる。彼女は女王のはずだが、どうやら独裁が布かれているわけではないらしい。

 ウィルは、鼻で笑った。


「あっちに行ったら、お前をルシーとでも呼べばいいのか?」


 まるで急に寒くなったと言いたげに、彼女は自らを抱きしめた。


「やめてください。虫唾が走ります。そういう意味ではありません。ただ、他のアルヴ達は界壁を超える機会がほとんどないので、貴方が色々な話をしてくれると…、とても喜ぶと思います」


 こういう論理を使ってくるのは意外だった。そして自分がそれに引っかかると考えている所も。本当は、こうしてもめている時間も惜しい。できることなら休暇を全て使い、〈周回計画〉の補強を行うべきなのだ。試行日数が多いほど、充実した結果を得られるはず。

 問題は、ルイシーナの肩から顔を出している、ホロだ。この煩悩生物は、にやにやしながら顔を左右に揺らしている。何が言いたいのかは、明白だった。

 その希少種族へと心の中で罵倒しきってから、ウィルは空を仰ぎ見た。


「貸し二つで」

「…はい?」

「だから、お前の種族の事情とやらに付き合ってやる」


 今度は、表情を和らげるどころの話ではなかった。ルイシーナはどこか憑き物が落ちたように小さく頷いてから、術を解く。ウィルにとっては、その目を向けるのはやめてほしいくらいだった。いつものように不敵な目線をぶつけてくるくらいが、ちょうどいいはずだった。


「少しいいかね?」


 出発する直前に、ギデオンが彼を少し離れた所へと引っ張っていった。ここにずっととどまっていられるほど暇ではないはずだが、たいして焦っている様子はない。


「安全については、心配していない。ルイシーナ様がおられる」

「俺よりも、あいつの方が狙われそうだしな」

「ウィル」


 両肩をつかまれる。ギデオンはそれまでずっと閉じていた目を、わずかに開いていた。瞼の間から覗く、白濁した緑瞳(りょくどう)。それを前にすると、さすがにふざけた態度を続けることはできなかった。

 六枚の白い翼が、やや内向きに曲がってきている。昔、それに包まれて運んでもらったことがあることを思い出した。


「跳躍の力は、使うな」

「当たり前じゃん。そこまで馬鹿じゃないよ」

「いかんぞ。絶対にだめだ。ろくなことにならん」

「二日間旅行するだけだって。俺はもう子供じゃない」


 柔らかい笑みを向けてくる。


「そう思えれば、前の騒ぎもすっかり忘れられるだろうな」


 急に、ギデオンは顔を動かした。その視線を追うと、界結道前の扉がある。

 彼だけではなかった。ルイシーナとフィーリタも耳をぴくりとさせて、そこへと注目していた。


「どうしたの?」

「いや…、気のせいだったようだ。念のため、我輩はしばらくここにいる。何か異常があったら、戻ってきなさい」

「アルヴに嫌われないよう、がんばるよ」


 ギデオンに一度頭を強く撫でられてから、ウィルは歩き始めた。





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