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夢から覚めたら  作者: 麦倉樟美
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第5章 再会(2)

高月 礼亜 (こうづき れあ)

上総 脩一 (かずさ しゅういち)

 *  *      *  *



 エメラルドグリーンともセルリアンブルーともつかぬ不思議な色彩の、世にも美しい都・サルファディアザール。

 幻想的で美しい、かつ機能的で清潔な街並みから抜け出すと、周囲は建物一つない、自然豊かな林に変わる。

 ここもまだ都の一部。

 無我夢中で走ってきたつもりでも、そう遠くまでは来ていない。


 ずっと―――夢みたいだと思っていた。

 デュアと想いが通じたこと。

 最初、一目会った時から憧れてしまい、それから二年間、黙って見ていた。

 正確には彼の弟と友だちだったから、遠くから見ているよりはずっと接する機会に恵まれていたけれど、その分、彼の目にどう映っているか……が、なんだか想像できてしまい、考えると切なかった(からあまり考えないようにしていた)。

 自分は年上の彼にアピールできるような───際立った才能も個性も、優れた容姿も性格も───何一つ持っていない。

 長所といえばごく普通の楽観的で明るめの性格(?)くらいで、それやこれやも考え出すとますますドツボにはまってしまうから、絶望―――まではしていなかったけれど、可能性や希望といったもの全く持っていなかった。

 それが突然―――本当に不意に───彼から両想いだと告げられた。

 デュアの、自分に向けてくれる優しさが万人───あるいは家族友人へ向けられるものと同じではないと―――微笑って───でも真面目に───あの、いつもの黒い瞳で語ってくれた。

 ……それ以来、夢見心地が続いている。

 レアの両親は、装飾具や日用品から稀物・珍品まで幅広く扱う小間物屋を街中で営んでいて、彼女は今その見習い小僧のような身分だ。

 そうは言ってもあと二、三年で小さな店をもたせてもらう予定になっていて、そうなったら───独立したら───一緒に暮らしてくれないか?というデュアからの問いかけに、レアは「なぜ今じゃダメなの?」と無邪気に返した。

 その時、彼女はそれがプロポーズとは露とも思わなかったのだ。

 相手の絶句した表情に、まだ訳の分からないまま、ただマズイと思った彼女は慌てて「もちろん!」と返した。

 ……その辺のいきさつは誰にも語らなかったはずなのに、なぜかディーだけは知っていて、彼は散々「おまえら二人喜劇役者か!」と痛烈に突っ込み、からかった。

 それから時折───本当に時々───他人から“デュアの婚約者”という言葉を向けられることがあり、そのたび、レアの顔からは火が噴き、心臓が止まった───(比喩だけれど)。

 もちろん、心から嬉しかった。

 思えば『好き』という言葉は一度も使われなかったような気もしたけれど、あまり心に掛からなかった。

 一度自分から使おうとして、思わずメゲてしまったくらい恥ずかしかったから……。


 ……しかし……。


「―――デュアが今度、フィアンセをフローレに会わせるってさー」

「おおーっ、大胆! フィアンセとあのウワサの恋人をか? ヤツも案外、人が悪いな」


 恋人!? フィアンセ!?


 無責任な周囲の言葉や雑音なんか気にしない……───はずだったのが、思いがけず傷ついてしまった自分にまず驚いた。

 そして本当に“夢のような”が、“夢でしか”なかったことに―――……心臓が凍りついた。

 そして何より……。


「案外―――ウワサでもなかったりして」


 凍りついてしまった心を溶かしてくれるはずのあの人の弟―――気の置けない友だち―――であるディーの言葉が決定打になった。


 砕けていく……。


 気づけば林を通り抜け、都から一番近い“街の外”緑が丘(グリーンヒル)までやって来ていた。

 ここは、都全体の天候が悪いときなど、ごく稀に局地的な時空嵐が起こることはあるらしいが、それ以外は全く害のない───人工的なヒーリング機能もない───ただの森林地帯だ。

 確実に誰もいない───ところなら泣けると思った。

 そうやって───さあいざ涙を解放しようとしても、すぐには何も出てこない。

 衝撃の───悲しみの大きさが我ながら把握不可能で、何が何だか……何に傷ついているのかさえ分からない。

 夢のよう、と思っていた現実は、やっぱりぼんやりとしていて曖昧で、真実はびっくりするくらい脆くて……。


 ―――だったらいっそ、ずっと夢の中にいたい。

 現実になんか戻りたくない。

 目なんか覚めなくてよかったのに。

 このままずっと……!


 遅れてきた感情───強い慟哭に襲われた瞬間、


「れっ……あ―――ッ!」


 誰かが大きく叫んだ―――自分の名を。

 彼女の悲しみなどいとも簡単に押し流す、強すぎる悲嘆と絶望───。


「っ―――!!」

 『行く!』とか、『引きずられる!』なんて感じている暇はなかった。

 何が起こったのか全く分からなかった。

 まるで落とし穴にはまった時のように足元がなくなり、体の重さが、周りの重力が突然消え去ったかのように体が浮いた。

 いや引き込まれたのだ。

 落ちたのかもしれない。

 そのとき分かっていたのは、きっとこの衝撃が自分に何がしかの影響を与えることは避けられないだろう───という、ひどく冷静な───……それでいて頼りない思いだけだった。



 *  *      *  *



 「───思い出した?」

 天井や壁と同じ色の、淡いペパーミントグリーンの床。

 柔らかいトーンの優しい男性の声。

「ええ……」

 見慣れた───聡明で穏やかな───黒い瞳。

「ごめんなさい……」

 見上げたレアの心からの謝罪は……。

「……いいよ」

 分かってくれて、和む瞳につられて笑った。


 優しい気持ちにならずにはいられない―――あなたがいるから。


「きみが無事なら……それでね」

「デュア……」


 大好きな―――大好きな人。

 初めて知った切なさや苦しさは……───全てあなたゆえ。


 ふっと顔が近づいて―――息を詰める。

 未だに慣れない―――瞬間。

 好きでも……―――好きだから。

 目を伏せただけ───瞼を閉じはしない……けれど唇が軽く触れ合った瞬間はギュッとつぶってしまった―――やっぱり。

 鼻先を掠める吐息が笑っている。

 穏やかに、優しく……。


「……戻ってきてくれてよかった」

「デュア」

「───婚約者(フィアンセ)殿」

「!───」

「行こうか。取りあえずきみは家に戻って、高月礼亜としての―――」

 立ち上がっての口調は“上総先生”。

「………」

 甘い余韻に浸る時間が欲しいとも言えなくて───レアはデュアの生来の───切り替えの早さに慌ててついていくしかない。

「レア?」

「はいっ、先生」

 嫌味なんかじゃなく───彼相手に未だかつてそんな余裕を持ったことはない───ついレアは“先生”と口にした。

 すると珍しく、

「―――いい加減、先生はやめてもらいたいな」

 戸口で追いついたレアにデュアが苦笑混じりに呟いた。

「え? ええっと、ごめんなさい……」

「―――いいけど」

 立ったまま―――つまり高い位置から降りてきたキスに、

「!?───」

 覚悟(?)していた時とは違い、レアは思わず赤面した。

 相手は笑っている。

 普段の彼ならここまでレアをドギマギさせることはない。

 …そんなに先生って呼ばれるの、ヤなのかな?…

 レアは頭の片隅でチラリと思った。


 “未来を識る者”という意味の“占師”であるデュアが属する、考える者(セナラーン)層の『学問の塔』では、師弟関係はとてもクールでハードだ───(と聞いている)。

 完璧に学問オンリーの世界だから、“先生”という言葉に甘さの入る余地は全くない。

 ───それはレアにとっても容易に頷ける認識だ。

 レアの世界ではまず生活に必要な学問の初歩───読み書きや計算───は家で親から学び、そういう状況にない子は近所の小さな塾で学び、その後はなりたい職業の組織に入り、見習い修業から始める。

 親の店を継ぐ予定のレアもそういったごく普通の道を歩んでいる。

 『学問の塔』の“占師”であるデュアも、大まかにいえば同じルートだ。

 ただ『学問の塔』に進む若者はごく僅かで、行き先としては非常にレアケースだが。

 大勢の同じ年の子どもを一カ所に集めて、さまざまな分野の知識を一気に教えるこちらの世界(・・・・・・)の教育システムは、レアにとってはとても不思議で新鮮なものだった(今から思えば)。

 レアの人生で“先生”に当たる存在は両親しかいない。

 だから知らなかった。

 年頃の女の子たちが、好感度の高い若い男性教師に呼びかける“先生”という言葉に秘められた淡い想いなんて───。

 あれほどの熱気をこの学校の女子生徒たちに巻き起こしたデュア。しかし本人はきっと永遠に、彼女たちが抱いた“ときめき”を知ることはないだろう。


 ───耳が熱い。頬もきっと赤い。

 意識しながらレアは、百年たっても追いつけそうにない───べつに追いつきたい、追い越したい、なんて思ったことはないけれど───年上の恋人に、一矢を報いることにした。


「知らないの? 教室でキスなんかしちゃいけないんだよ」


 手で顔を隠しながら、なんて全くクールじゃないけれど……。

 だけど一応、相手は目を丸くしてくれた。

 そしてその唇が開く―――あるいは動く前に、


「きゃーっ!」


 彼女は小さく叫んで、教室を飛び出していった。

 浮き立つ(ときめく)心、そのままに。

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