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夢から覚めたら  作者: 麦倉樟美
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第4章 レア

高月 礼亜 (こうづき れあ)

上総 脩一 (かずさ しゅういち)


 頭痛、吐き気、だるさ―――世にもサイアクな気分。

 二人の“異邦人”との邂逅のあと、礼亜は家に入った途端、顔は真っ青、体はフラフラになり───具合の悪さをぶり返してしまった。

 よくなったと思ったのは、どうやらあの二人と会っていたわずかな時間だけだったらしい。

 それを早速、母親に見咎められ、結果、外出禁止を言い渡された。……試験期間中であるにも関わらず。

 「え、じゃ残りのテスト、どーなるんだろう?」と思わず不安になった礼亜だが、幸い終業式直前に追試を受けられることになった。

 母親が学校にどう頼み込んだのかは知らない。

 ただ、大げさだと思いつつも、再び母親に心配をかけてしまったことはよくないことだと、心から反省した礼亜だった。






 一週間後。

 期末試験は終わり、答案返しも終わり、全校清掃やホームルームだけの終業式直前の登校日。

 部活のない生徒は午前中に下校した。

 礼亜は朝から一人、教務室の隣の会議室で、入れ替わり立ち替わりの教師たちの監督の元、すっ飛ばしてしまった教科の試験を受け……―――全部が終了したのは、午後の最初のチャイムが鳴った頃だった。


 「礼亜っ、れーあ!」

 会議室のある化学棟二階を見上げる位置の、クラブハウス前の地上から礼亜に呼びかけたのはテニス部に所属している友人、由美子だった。

「あのねーっ、知ってるーっ?」

 長袖の上着は白色、ズボンは紺色がメインで、それぞれ側面にラインが入った体操服姿の由美子は、二階の廊下の窓から顔を出した礼亜に盛大に両手を振った。

「なにーっ?」

「おとといねっ、上総先生辞めちゃったのーっ」

「えっ……!」

「知ってたーっ?」

「なっ……どうしてっ……?」

「えっ、なぁにーっ?」

「なんで辞めたの!?」

「それが分かんないのっ! もともと臨時講師で産休講師じゃなかったっていうけどよく分かんないわよねーっ。みんなもう大ショックで、放課後先生んトコ行ったんだけど……」

「会えたの?」

「ちょっとだけぇっ。でも全然話なんかできなかったよ。それより藤崎センセが口滑らさなかったらあたしたち、ジゴショーダクよ、ヒドイ思わない!?」

「由美ちゃんっ、サボってる!」

「あっ、先輩!―――礼亜ごめーん!」

 由美子がテニスコートに向かって駆け出していくのを、礼亜は呆然と見送った。

 …辞めた? 先生が───あの人が!?…

 突然入ってきた情報に頭がついていけない。

「!───」

 礼亜はやみくもに、ひんやりと冷たい廊下を駆け出した。

 行く当てもなく、そんなことをしても、もう先生に会えないという状況は変わらない。

 分かっていても、突然胸を占めた焦燥感はどうにもならず───。

 …先生───先生! どうしたら―――!…

 角を曲がると、スチール製のシューズボックスが立ち並ぶ生徒玄関に出る。

 急いで外履きの靴に履き代えて、まだ明るい、冬の午後の外に飛び出した。

 下方にチラリと化学棟の表玄関が目に入り、再び建物の中へ戻って誰か先生に上総先生の連絡先を聞こうかとも思ったが……───きっと教えてはくれないだろう。

 …本当に───会えない!?…

 礼亜の気持ちは一瞬、黒一色に塗りつぶされた。

 これはダメだ。

 この絶望には勝てない。

 今までどんなに頑張ってきても……。


 ダメだ!

 負けてはダメ。

 考える……考えろ!

 あの人に会いたいなら───。


 礼亜は地上へと降りるコンクリートのスロープを駆け下りた。

 ───唐突に一つのビジョンが頭を占める。

 ここで会ったのだ。

 あの、最初の日。

 声をかけられた。

 あの日―――あのとき!

 そこには先生がいる。


 不意に校門が視界に入った。

 誰かそこにいる。


「レア? レア!! やめろぉ―――っ!」

 あの時の青い髪の少年が、必死に礼亜に向かって駆け寄ろうとするが、間に合わない。

 消えかかる彼女を止めるには。


 目の前がチカチカッとした。

「ああっ───!」

 途端、襲われる吐き気。最近、お馴染みの……。

 耐え切れずうずくまろうとして―――地面がない!


「きゃあぁぁ―――ッ!」


 世界が白く回り出す―――一瞬、そう刹那。

 回り切ったあと、彼女はドサッという自分の落ちる音を聞いた。

 お尻が痛い。

「っ……!」

「レアっ!?」

「先生?」


 ……あれは、いきなり気候が夏から秋に切り替わった九月の半ば。

 いつの間にか冷たさが忍び寄ってきたと、とみに実感した日。

 シルバーフレームのメガネ。

 グレイのスーツ。

 あの時のまま。

 あの時の、先生のまま……。

 ───なのにレアと呼んだ。

 ……いいや、あの時―――あの初めて会った時の先生のわけがない。

 時間を遡るなんてできるわけがない。

 だからこれは……。

 先生が駆け寄ってくる。

 化学棟の表玄関から、自分が尻餅をついているこのコンクリートの地面まで。


 見る……見て───最後まで。

 あの人がここに来てくれるまで……。

 私の目よ、意識よ……。

 ―――限界だった。



 *  *     *  *



 「―――デュアが今度、フィアンセをフローレに会わせるってさー」

「おおーっ、大胆! フィアンセとあのウワサの恋人をか? ヤツも案外、人が悪いな」


 ……『誰が、いつ、どこで』―――なんて驚くほど問題ではない。

 悪気のない、遠慮のない言葉は刃となって人の心を傷つける―――私の心を。


「───よせよ。そりゃフローレは絶世の美人ってウワサだけど。でもデュアとは古い友人っていうじゃないか。変に勘ぐるのは……」


「―――ディー! ディー!!」


 …ああ、これは───…


「ディーってばっ!!」

「っせーなっ! なんだよっ」

「フローレってそんな美人なの? デュアとどんな噂が立ってるか知ってる?」

「ああ、知ってる」

「じゃ―――」

「……でもまあ……」

「なによ?」

「案外―――ウワサでもなかったりして」

「ディー!!」



 *  *     *  *



 「―――なるほど。そういうことか」

 唐突に。

「ヤなヤツだなぁ。ちゃんと言ったろ」

 異質な声たちが聞こえた。

 …───もういいのに。……? でもこの異質さは───…

「レア、目ェ開けろってば!」

 現実?

 どの……?

 …なんてもう……今更───…


 半ばヤケで目を開けた彼女の視界に入ってきたのは、試験期間中、家の前の公園で声をかけてきた、世にも珍しい───髪と瞳とその他容姿の二人組だった。

 …あれは幻? 先生が見えたと思ったのに―――…

「……あなたは……」

 あの時と変わらぬ迫力の美貌―――ハニーブロンド、あの時より幾分深みがかったエメラルドグリーンの瞳、抜けるような白い肌の───“古きヨーロッパ映画の美人女優”が膝をついて彼女を覗き込んでいた。

 その後ろに少年がいる。

「ああ……」

 まるで彼女の気持ちの何もかもを察している、とばかりに麗人は淡く微笑んだ。

 それはとても綺麗な───胸に染みいるような笑みだったが、彼女にはもう感動する気力さえ残っていなかった。

「とりあえず、“おかえり”」

 向けられた声はその容姿からくる印象より少しだけ低い感じがした。

 最初に会ったときは、そんなことさえ思う余裕はなかったが。

「え………」

「一応ね。でもまだきみは“礼亜”だから。いきなりやめてはいけない」

「───」

「物質に縛られている分、あちらの世界の方が硬くて脆いから。きみがいきなり“彼女”から抜け出すと、記憶だけでなく、彼女の体───物質の方まで傷つきかねない。───縁あって彼女のピンチヒッターを務めたんだし、スマートに別れて帰っておいで」

「おいっ、そんな言い方───余計混乱するって」

 と少年が、

「か、帰るって、どこに!?」

 と少女が───同時に言った。

「……もちろん……」

 麗人は優しく微笑んだ。

「きみが帰るところは、いつだってアイツのところだよ」

「!」

 目を奪われるしかない……―――美しく謎めいた微笑。

「ケッ、キザ―――」

 声を失くしてしまった彼女に代わって、吐き出すように───とはいえそれは幾分芝居がかっていたが───声を上げた少年の名は確か……。

「ディー」

 そちらを顔を向けた───そんな僅かな仕草すら優雅すぎる───麗人は、打って変わった冷たい口調で素っ気なく言った。

「おまえが道案内してあげるんだね」

「!───ってるよ!」

 言わずもがなのことを指図された───とばかりに悔しそうにクシャッと顔を歪ませた少年は一層乱暴な口調で言い放つと、立ち上がった麗人と位置を変え、彼女に向かって手を差し出した。

「来いよ」

 ―――そのぶっきらぼうな言い方。

 彼女はためらった。

 少年の背後では麗人がやれやれといった表情を(わざとらしくも)作っていたが、幸い相手は気づかなかったようだ。

「ほらっ」

 ディーはじれったげに差し伸べた手をブンブンと振り回した。

「………」

 それへ、彼女がおっかなびっくり自分の手を伸ばした―――のは、なぜなのか───我ながらよく分からなかった。

「行くぞっ」

「えっ、ちょっ―――」

 グイッと乱暴に引かれて立ち上がった彼女は慌てて足を動かし、歩き始めた。

 一体どこへ?

 そもそもここはどこなのか……。

 まるで映画のセットみたいにスモークのたちこめた(ように見える)、一面何もないオフホワイトの世界。

 天国? 地獄?……そんな名称すらない、架空の夢の世界?

 元々どこにいるのか知らないとはいえ、彼女はすぐに自分がどこをどう歩いたのか分からなくなり―――背後に残ったはずの人影はとっくに見えなくなっていた。

「こっちだ」

 歩いているのか走っているのか……あるいは飛んでいるのか……すら分からない。見えない風の流れに吸い込まれるよう移動していく(のだけはなんとなく感じられた)。

 不思議な感覚の中、

「なぁー……ほんっとーに! 思い出せねーのか?」

 不意にディーが振り返って、彼女の顔を覗き込んだ。

 なにを?とは言わずに思い切って、

「うん」

 と大きく頷いてみる。

「……ふうん……。飛び越えた(・・・・・)時のショックかな? それともあっちの子(・・・・・)に吸い込まれた時のショック? アニティスなんてないって言ってくせに……―――無茶するからだ」

「無茶って……」

 彼女は少年の、心配しているのか小馬鹿にしているのか分かりにくい口調とつけ加えられた言葉につい反発した。

「そんなこと言われる覚えないんだけど」

 一瞬、ディーはびっくりしたように彼女を振り返ったが、すぐにニヤッと笑い、鼻をフンと鳴らした。

「なに?」

「―――ホッとした」

 言いながら、彼はまた顔を前方に向けた。二人はその間も手をつないでいた。

 別に神経質な方ではないけれど───彼と手をつなぐのはイヤじゃない、と思える自分が彼女は不思議だった。

「今回のことは……俺も……その、悪いから」

「は?」

 聞き返して、しかし唐突に彼女は相手がどうやら謝っているらしいと気がついた。

 何を謝っているのか分からないし、そもそもそんな言い方、とても謝罪しているとは思えないのだが……。

「―――ここだ」

「えっ!?」

 不意に足を止めたディーに慌てて彼女は辺りを見回した―――が、周囲は相変わらず白一色で、何か変化があったようには見えない。

 そもそも、多分ある程度の距離は移動したかも……と思えるにしても、相変わらず上下左右どこもかしこも真っ白な、訳の分からない世界のままだったから……。

「じゃあ───またあとでな」

 と言うと、ディーはいきなり彼女を突き飛ばした。

「!!!───」

 『コノヤロー!』という怒りと、『体が仰向けに倒れる』という恐れが一瞬、激しく交差する───。

 しかし、彼女の体が白い地面に叩きつけられることはなかった。

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