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夢から覚めたら  作者: 麦倉樟美
3/7

第3章 異変

高月 礼亜 (こうづき れあ)

上総 脩一 (かずさ しゅういち)


 しがみついたときの体の暖かさ、男の人の力強さ。

 怖い!と目をつぶってしまったせいで隠れてしまった、体が浮遊するような不思議な感覚は、ジェットコースターの、あの瞬間に似ている。

 体がフワリと持ち上げられ、フワリと引き落とされる―――まるで空間そのものに。

 振り回されている、と思えば怖いが、振り回っている、と想像すれば妙に怖くない。どころか楽しい、くらいの感覚で。

 もっともっとそんな感覚がいつも身近にあれば楽しい―――ううん、それが当たり前くらいの日常ならいいのに。

 ―――それくらい、ピッタリと受け入れられた感覚だった。……もちろん、あとから考えて、の感想だったけれど……。

 だけど、そんな不思議な感覚はアッという間に過ぎ去り、現実に帰ってみれば、頭を悩ませる『答えの見つからない疑問』が増えただけ―――だった。

 一瞬のうちに学校の教室から家の前まで移動していたのだ。

 気を失ってたりする間に移動していたのならまだ納得もいくけれど───記憶の、辻褄が合わない点には目をつぶるとしても───腕時計で確認した時刻は、どう考えても移動時間を加えたものよりも早かった。

 あのこと(・・・・)と今いるこの現実との接点を見つけるくらいなら、きっと数学の練習問題十ページ分解く方がよっぽど───いや、三ページくらい───だろうか?

 …───なんて、これって現実逃避? いや、笑っちゃう…

 結局、夢を見ていた───として、右から左へ流してしまうのが一番いいみたいだった。

 それにもしアレが現実だとしたら、自分は上総先生に抱きついてしまったことになる―――ソレは顔から火が出るくらい恥ずかしい。

 その感覚の前では、どんな不可思議も棚に上げることができそうだった。




 一方、自分が自分じゃないような夢は今も変わらず、その、足元がぽっかり抜け落ちているような怖さも薄れることなく続いていた。

 いい加減慣れてはきているけれど───それは恐怖を恐怖と感じなくなる、ということではなく、毎朝、起きたときの恐怖感と疲労感は変わらず感じていた。どころか、家にいる時間、両親と顔を合わせたり言葉を交わしたり、昼間、学校で友だちと楽しく、我を忘れて喋っているような時でさえ不意に強い違和感に囚われる瞬間があり―――症状はますます悪化しているようだった。

 『症状』という言葉が浮かんだ瞬間、もしかしたら、自分はかなりヤバイ(・・・)状態なのかも!?と恐怖が身に迫ってくる。

 ───と同時に、思い出したことが一つあった。

 生徒玄関に至るあのゆるやかなコンクリートのスロープで、先生に初めて会った───初めて声をかけられたあの時、感じたのは既視感(デジャヴ)───どこかで会ったことがある───だった。

 『違和感』と『既視感』。

 なぜか、ピエロかデビルがその二つをお手玉しているシュールな映像が浮かんできたが、本当のところ、その二つは別物だろう。

 しかし、実際に目で見ているものと頭のどこかで感じているものが一致しないという点では、似ている部分もあるのかもしれない。

 それともう一つ、先生と初めて会った時、何か自分の頭を掠めた言葉があったような気がしたが───……そちらの方はまったく雲を掴むように思い出せなかった。








 二学期の期末試験が始まった。

 一週間弱のこの時期、唯一喜ばしいことは大抵昼で帰れる、ということで、明るい日差しの中、礼亜は友だち二人と学校を出た。

 彼女たちの通う私立の女子校、聖セシリア高等学院の制服は伝統的なブレザースタイルだ。

 紺色の上着と同色のリボン、チェック柄のスカートという典型的な出で立ちだが、行事のある日以外は、上着のあるなしやカーディガンやベスト(紺色と白色の二種類だけだが)のコーディネートは自由で、礼亜は数日前まで、半袖の丸襟ワイシャツに白色のベストという夏服だった。

 本格的な寒さに見舞われた今日は三人ともブレザー着用の冬服姿だ。

 少しでも長く友だちとお喋りをしていたくて、礼亜はいつもの最短距離の通学路とは違う道を選んでいた。

 信号に従い、規則正しく横断歩道を渡り、工事現場を取り巻く仮囲いの脇の歩道を歩く。

 『工事中、ご面倒をおかけします』なんて見慣れた看板に一応、心の隅で気をつけたりするのだが、まさか本当に危険だとは思っていない。

 そんな時だった。

「ゆっ、由美子―――ッ!」

 骨組みだけの建物から滑り落ちてきた、五十センチ四方くらいの断熱材。

 重い鉄骨などが落ちてくるよりはよほどゆっくり───いや、避けるには早すぎる!

 三人は咄嗟に目をつぶった。

 その瞬間、落下物は忽然と空中で消えてしまった―――と、道を隔てた反対側の歩道を歩いていた通行人は叫んでいたが、真下にいた礼亜の友人、由美子はもちろん、二、三歩後ろを歩いていた礼亜ともう一人の友人、智恵も目を開けた瞬間、何が何だか訳が分からなかった。

 集団で夢を見ていたのか、悪質なドッキリ企画でも仕掛けられたのか。

 しかし、

「礼亜っ!」

 ───実際に倒れたのは礼亜だった。

 何かの下敷きになったのではなく、まるで貧血でも起こしたようにふらふらと歩道のアスファルトに膝をつく。

「礼亜!」

「れあ、れあ……大丈夫? なんであんたが……」

「う……ん……」

 口々に自分の名を呼ぶ友だちに辛うじて笑ってみせながら、彼女はフラつく体を起こした。

 …な……に? 落ちてくると思った途端、体が熱くなったんだけど───…

「れーあ?」

「ダイジョーブ、ダイジョーブ。……今のなに?」

 …落ちてきた、と思ったのが消えた途端、力が抜けちゃった───?…

「……な……んだろう?……なんか落ちてきた……よ、ねぇ……?」

「あそこのおじさんががなんか消えちゃったった叫んでたけど───やだ、なんかじっとこっち見てる。───ね、行こ行こ」

「うん……話しかけられても困るし。礼亜、大丈夫?」

「……貧血かなぁ。うん、大丈夫」

 フラつく頭を押さえながらの礼亜も交えて、彼女たちは周囲をできるだけ見ずに、固まって、ああだこうだと話しながら歩道を進んだ。

「なんだったのっ? 今の」

「分かんないよぉ、私たち、集団ヒステリー!?」

「三人で? 気のせいだったのかなぁ……。あの建物の途中で誰かが急に引っ込めたとか? 最初からフザけて私たちを驚かそうとしたとか?」

「そうなの? そ……そうかもね───」


「れあ、平気?」

「全然! じゃっ、明日ねーっ」

 結局答えは出ず、三人は三人がバラバラになる三叉路まで来て、それなりに元気に別れの挨拶を交わし合った。

「試験がんばろー!」

「うんうん、バイバーイ!」

 礼亜は一番右の細い道。

 彼女たちと一緒だった時はまだ頭の中が少しクラクラしていたけど、一人で歩き出した最初はずいぶんよくなったように感じられた。

 なのに数歩足を進めただけで、今度は本格的に具合が悪くなってきた。

 原因不明が不気味で―――礼亜は一刻でも早く家に帰り着きたい一心で、気持ち悪さを抱えたまま一生懸命足を早めた。

 まさか今の───空中で消えた落下物───が原因だとは思わない。

 それとは別に、自分には交通事故に遭って重体になったという『過去』がある。

 …『後遺症』とかじゃないよねぇ───…

 思い浮かんだ言葉に背筋がゾクッと寒くなった。

 全身に不快感が走るいで、思考がどんどんおかしくなっていく。

 やがて先方の脇に小さな公園が見えて、礼亜は思わずホッとした。

 家はその向かいだ。

 あともう一息、頑張れば……。

 ―――でも似たようなものだ。

 不意に頭の中が体の不調に負けた。

 事故に遭って以来、ずっと重たい苦しみの雲の中にいながら、毎日懸命にを過ごしてきたような気がする―――水の中をもがくように足を動かしながら───今のように。

 違うのは、今ははっきりと、内臓全体がその存在を主張するように重くて、吐きそうだということ。

 事故以来の日常的なそれは、もっと曖昧で、説明しにくい───意味のない、得体の知れない絶望感―――違和感だった。

 そしてそれは今まで続いてきたように、これから先も続いていくのだろう。

 ―――気持ち悪くて助かった。

 そんな絶望的な結論も今はあまり実感が湧かない。

「───具合、悪いのか? 大丈夫か?」

 不意に―――前方から。

 いつの間にかうなだれて、アスファルトばかり見て歩いていた礼亜はかけられた言葉の内容より声音が少年だったことで───タチの悪いナンパかと思い───具合悪いのも手伝って、殺気立って顔を上げた。

 しかし、

「!」

 いつの間にそばにいたのか、他人を気遣う、ごく平凡な表情を浮かべた少年が目の前で礼亜を見つめていた。

 ───しかし。

 驚きはそこじゃない。

 ───初めて目にするダークブルーの髪の色……。

 礼亜の目はそこに釘付けになった。

 この冬空の透明な青よりずっと濃い、群青色とも藍色ともつかぬ───多分、この地球上の人の自然の髪としては有り得べからざる色。

 そして髪より濃い暗青色の瞳。

 そう……多分、彼は海外のコスプレイヤーだ。

 カラーコンタクトやカツラ、あるいは人の手による作為的な部分が多少なりともあれば……。

 ……ない。

 ない……。

 不思議なことに、直感は彼女に真実を囁いていた。

 彼はコスプレイヤーではない。

 つまり、言葉では言い表せないくらい珍しい容姿の少年───が今、自分の目の前に立っている。

 日本人でもアジア人でもヨーロッパ人でも、その他テレビやネットで見たどの人種とも似ていない顔立ちはわりときつそうな───。というより、表情が生意気そうな……。

 …あれ? こちらを気遣うような表情は───?…

「おいっ! 大丈夫かって聞いてんだろ!」

「───!」

 礼亜は思わず「大きなお世話」と言い返しそうになって、しかし次の瞬間、別の人影に気づいて再び絶句した。

 いつの間にか───もしかしたら最初から───少年の背後に立っていた、背の高い人物。

 礼亜が言葉をなくしたのは、今度はその『色』にではなく……いや、『色』も十分そうであるが……。

 ───その昔、本で見かけた表現『蜂蜜を塗ったように』―――キラキラと黄金色に輝く、ハニーブロンドの長い髪。

 白く繊細な───モノクロームのヨーロッパ映画に出てくる女優のように端正で古めかしい美貌。

 瞳は鮮やかなエメラルドグリーン。

 まさにジュエルの輝き───。

 礼亜は思わずポカンと口を開け、長身の女優……もとい、麗人を見つめた。

 背中を覆う豊かな金髪は、もうこうなるとその人を彩る高価で豪華なアクセサリーの一つにしか見えない。

 それでなくとも綺麗なこの人をよりいっそう華やかに、艶やかに、目がつぶれるくらいに輝かせ……。

 その人は、白い、これもまた女優の持ち物のような、足首までの少し形の変わったロングコートを身にまとっていた。

 少年の方は黒いズボンに明るいクリーム色のトレーナー(みたいな)姿だった。

 比較的───まともだ。

「おいっ! おい……―――ちぇっ! だからおまえと来んの、ヤだったんだよ!」

「―――そういう台詞は、一人で移動(・・)できるようになってから言うんだね」

 鈴が転がるように柔らかな、どこか中性的な声音。

 少年は礼亜が見惚れている視線の先、自分のすぐ背後に立つ麗人を見上げて文句を言い、それに対してブロンドの麗人は表情一つ変えずに言い返していた。

「そういや───アニティス(・・・・・)といやぁ……」

 少年は麗人に向かって言い返そうとし───途中で気を変えて、礼亜に視線を戻した。

「さっき、ゾティス使ったろ? それで気分悪くなったみたいだけど……今もか?」

「……今は……べつに……」

 意外なくらい真摯な暗青色の瞳に気押されて、礼亜は思わず素直に答えていた。

 あの気持ち悪さは嘘のように消えていた。いつからかは気づかなかったけれど。というより、いきなり目の前に現れた2人にあまりにも気を取られていた。

「なんのこと言ってんの?───っていうか、なに言ってんのかわかんないんだけど」

 礼亜はようやくこの恐ろしく目立つ二人連れ(外人、だろうけど滅茶苦茶日本語が上手)に話しかけられている、という異常事態を認識し始めていた。

「なんのことって……スィンのことに決まってんじゃん。使ったろ?」

「???」

 少年の動作は日本人から見て決して大げさに感じるものではなかったが、その語調にはどこかグイグイと押してくるような圧があり、

「言ってる意味……分かんないよ。あんたたち……誰!?」

 礼亜は思わず後ずさった。

 何だかヘン…、と思い始めたせいですっかり逃げ腰になり、逃げ出したくて仕方なくなる。

「えーっ! デュアのやつ、リレンティは問題ないって言ってたのに。ガセか!」

 少年は派手に独り言を呟いてから、礼亜に向けて、

「ほっ、んと―――にっ! なんも覚えてねーの? デュア……上総だっけ? 見てなんも感じねーのか!?」

「上総……先生!?」

 思いがけない名前に礼亜は飛び上がった。

「上総先生が……いったい……なに!?」

 礼亜の脳裏に、この前の夜のことがフラッシュバックした。

 夜の教室。

 『学芸会の狩人役』のような格好をした上総先生。

 …なに? なんなの? どうなってるの───!…

「あなた誰? あなたたちは誰? なにを知ってるの? 上総先生……って誰? ねえっ、教えてっ!」

 “デュア”―――そう“デュア”!

 ───思い出した!

 あの初めての時───無意識に頭を掠めた名前!

 さらに、

「レア! しっかりしろ!」

 少年の口から発せられた、“礼亜”とは違うイントネーション、“レア”。

 それは名前───。

 それは―――。

「―――誰……?」

 彼女は無意識に何かを掴もうと少年に向かって手を伸ばしかけたが―――止めた。

「レア」

 少年の唇が繰り返す。

 勝ち気な目元。

 どこまでも暗く、青い……。

 吸い込まれそうな濃藍色の瞳。

「私は―――誰?」

 夜ごと繰り返す悪夢。

 この白い冬晴れの空の下、晒される───夢から覚めても消えない―――違和感。

 現実に戻っても戻っても───……まとわりついて離れない、『ココハドコ?』。

 父親も母親も、生まれた時から住んでいる家も友だちもみんな知っているのに───懐かしいし、愛しているのに───……この感覚はなに?

 ───そして鏡に映る、この黒い髪。

 どう贔屓目に見たって平凡でしかない自分の容姿の中で唯一、他人から綺麗と誉められる黒いサラサラの自慢の髪。

 黒い───髪?

 違う!

 違わない!

 黒は普通───日本人なら普通───の色、のはず……なのに……。

 黒じゃない。

 黒でいいんだ。

 でも違う、微妙に違う―――!

「レア!」

 言葉もなく立ち尽くした彼女に、少年はどこか困ったような、戸惑ったような視線を投げかけた。

 根は一本気な性格なのかもしれない。口調がより正直に気持ちを表していた。

 そんな彼の肩にブロンド美人の手が伸びた。

「……あ……」

 困惑の表情のまま、少年は相手を見上げ、

「レア……こいつは……」

 言いながら視線を礼亜に戻す。

 その視線の中に、礼亜の瞳がゆっくりと戻ってきて、彼らは互いに見つめ合った。

「こいつは……」

 肩に手をかけられたまま、少年は礼亜に何かを言いかけた―――が、

「覚えてないんなら……意味ないか」

 不意に呟いて、それ以上は止めた。

「?……」

 ボンヤリと言葉もなく、礼亜はそんな少年を見つめている。

「―――俺は……ディー。それくらいは……―――知ってて、よ……」

 少年はガックリと肩を落とすほど意気消沈した───ようだった。

「……ディ……?」

「―――行こうぜ」

 どこかまだ鈍いままの礼亜の瞳をもう確かめることはせずに、ディーと名乗った少年は傍らの人間に声をかけると、歩き出した。

 促された金髪美人はすぐには動き出さず、その端正な顔立ちに相応しい───謎めいた───けぶるような表情で彼の後ろ姿を見、それから礼亜に視線を移した。

「……お嬢さん」

「!」

 その唇から漏れた言葉に礼亜の心臓は飛び跳ねた。

 この人を目の前にして緊張するのは、その美しすぎる姿だけが原因なのか……。

「リレンティ───リーレンティアールというのは全ての根本をなすエネルギーのことを言います。私たちを形作る全ての───ね」

 それだけ言うと、麗人は優雅に踵を返して、少年の後を追った。

 不思議と───あとで思い返そうとしても、麗人の声がどんな声だったのか、高かったのか低かったのか、女性めいていたのか男性めいていたのか───礼亜は、思い出すことができなかった。

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