酒場で一悶着
ジーカに案内してもらってついた町はこじんまりとした陰気な町だった。
というのも、町を行く人々は暗雲立ち込めた表情をしており、子供のはしゃぐ声や商人達の声すら聞こえなかった。
ジーカは町の中央から少し離れた建物で立ち止まった。町は静かで、最低限の生活音しか聞こえなかったが、中からは騒がしく乱暴な声が聞こえてくる。看板にはビールのような飲み物と見たことのない文字が刻まれていた。
「なるほど、酒場か…」
「そうです。私はここで住み込みで働かせていただいてるんです。助けていただいたお礼になんでも好きなものをご馳走します。ずっとずっと。」
最後の不穏な言葉を無視して俺は話を続ける。
「そうなのか。お金がない事には何にもできないし、俺もひとまずはここで働かせてもらえないかな?」
「何か目標でもあるのですか?!」
何故か興味津々で顔を近づけるジーカに照れて顔をそらす。
「んー、わからん。ただ、せっかく異世界に来たのにこのまま何もしないってのもな。お金がないと死んじゃうし。」
「その心配はありませんよ。」
「どうして?」
「さっきも言った通り、私がずっとずっと、一生ご飯を食べさせてあげますから」
「何言ってるんだ?」
「当然のことです。あなたは神の使いで、わたしの命をお救いくださった方です。私。一生お使いする覚悟はできています。」
「んなことできるか!」
ジーカの真剣さは幼い顔に十分伝わっていた。
そんな幼い子のヒモになることほど情けないことはないだろうと、俺はジーカを横目に酒場のドアを開ける。
開けると、ドア越しの喧騒がさらに大きくなり俺の耳をつんざいた。
中には物騒な連中が多くそれなりの鎧や
剣などを持っていた。テーブルに片足ついて立ち上がる奴や肩を組んで歌い出す不潔な奴らが全テーブルを占領しているので、俺が入ってきたことなど誰も気づいていないようだった。
カウンターにいる主人らしき人間がいた。
口髭を生やした2メートルほどある男だ。
不機嫌そうに肘をついている。
「スミスに祝杯を〜♪」
「すみません、ちょっと」
「スミスに祝杯を〜♪」
「スミスに祝杯を〜♪」
「おい酒まだか!」
「裸がみてぇな」
「…」
喧騒に紛れて声が聞こえていないようだ。
「人生最高の日よ!♪」
「人生最高の日よ!♪」
「すみません!!」
「人生最高の日よ!♪」
「これ水割りじゃねーか!」
「俺のでもいいか?」
「いいわけねぇだろ!ギャハハハハ!」
「…」
だめだ、声が…クソこの馬鹿どもが。
と言ってやりたいが、俺の意気地のなさは自分が一番よく知っている。
まぁいつか帰るだろうと諦めてカウンターに座ろう。
そう思った時には、店の主人が声を荒げて立ち上がった。
「てめぇら!!うるさいんだよ!!」
喧騒より何倍も大きな声で部屋に響き渡った声に、あたりは一瞬静寂に包まれた。
そして一同が店の主人を睨みつけるような目で見る。
「おい、テメェ。」
と、ひとり図太い声の男が立ち上がった。
「テメェみてぇな奴は酒出すしか脳がねぇ筈だ。なぁ、わかるだろ。」
そう言ってフラつきながら腰の剣に手をかける。
向かい合った二人。店の中に緊張感が立ち込める。店主の方が明らかにガタイが大きい。それに強そうだ。そうだ、こんな奴らやってしまってれと心から願う。
「黙れ!戦うことしかできないグズが!もう我慢できん!金も謝罪もいらん、この街から出ていけ!」
「なんだとぉ…いいやがったな」
男は頭に血を上らせて腰の剣を抜こうとする。
「おい、殺しはやめろ」
「わかったよ、アマリの姉御」
向かいに立っていた柄の悪い女がそういうと、男はすぐさま剣をしまった。
「喧嘩だ喧嘩だ」
周りはその人声をきっかけにまた騒ぎ出す。
俺はもしかしたら結構野蛮な世界に来てしまったのかと少し恐怖していた。
あの女が剣を使うのを止めなければ、あの男は店主を殺していたかもしれないのだ。そんな死と隣り合わせな世界なのかここは?
喧騒の中でそんなことを考えているうちに男が馬乗りになって店主を殴っていた。
周りもそれを見て笑っている。
ジーカが店主に近づこうとしたのを見て腕を掴んで引き戻す。俺を見て
どうして助けないの!
と顔で訴えてくるジーカから目をそらして息を殺す。下手に動けば俺やジーカまで巻き添えを喰らうかもしれないし、止めようにも怖くて足が動かなかった。
男が殴るのをやめ立ち上がる。
「ほら、酒注いでこいよ」
「くたばれ…国の犬が」
店主は動かずそう吐き捨てた。
その一言がよくなかった。
店中の空気が凍りつき、男達の目つきが変わる。そしてそんな男達を蹴り退けて女が倒れた店主の前に現れた。
さっき剣を使うのを止めた女だ。
「おい、この町を守ってやってるのは私達だ。
確かに多少迷惑をかけているのは認めるがな、こっちは命をかけて戦ってやってるんだ。たかが酒場で騒いだくらい、目を瞑ってもいいと思わないか?」
「知るかそんなこと、この店は俺の命だ。この店で好き勝手されるくらいなら死んだ方がマシだ。」
「そうかよ」
そう言って女は短剣を取り出した。
店主は女を睨み続けている。
誰も止めるものはいない。
ジーカは俺のことを縋るような目で見てくる。
やめてくれ、俺には何の力もないんだ。何の努力もしてこなかった人間に、そんなものあるはずがない。
いや、俺には力があるかもしれない。
あのクマ、そうだ森で遭遇したクマは確かに俺を殺す気で襲ってきたはずだ。
なのに俺はどうして助かったんだ?
わからない。わからないが、それに賭けてみるしか道はなかった。
「やめろ!」
振り絞った声で叫んだのは自分だった。
アマリを含む全員の視線が俺に向けられる。
これは死んだな。と心底思った。
少しの静寂があった。
「なんだよ、そこのヒョロイの珍妙な格好しやがって、いつ入ってきたんだ?」
「旅芸人じゃねぇか」
と有象無象から笑いが湧き上がる。
「話し合えるはずだ。何も殺すことないだろ。」
「何を言ってんだお前は?こいつは言っちゃいけねぇことを言った。舐められちゃ困るからな、ケジメって奴だ。」
「頼むから、見逃してやってくれ」
「ダメだ。それからお前とそこの女、こいつが死んだら外へ放り出して酒を注げ。」
「酒は注ぐ。だからこの人を」
「だーかーらぁ。こいつが死ぬのは決定事項なの。次いったらお前も殺す。」
殺すと言われて俺の足はガタガタと震え出した。体に力が入らず、立っているのがやっとだ。
「お前、余計なことするな。俺を助ける義理なんかねぇだろ」
倒れた店主が弱った声で俺に言った。
「義理じゃない。俺は、あんたみたいな何かに命をかけれるようなすごい人に死んで欲しくないだけだ。」
答えた後に自分でもそうだったのかと気づく。
そして理由を見つけると自然と力と勇気がみなぎってくるのが感じられた。
「お前らなんかムカつくな、もういい。二人とも殺してやるよ。」
そう言った次の瞬間、アマリは俺に向かって跳躍し、短剣を振りかざした。
俺は即座に手の平で短剣を受けようとする、もし俺にあのクマの攻撃が当たっていなかったとしたら、それが俺の能力なのかもしれないからだ。そしてその推理がもし失敗しても重症にならぬよう手の平で試してやろうとした。
しかし、アマリはそのまま懐に潜り込み、俺の手なんて気にもせず、
そのまま腹に短剣を突き刺した。
体重を乗せておくまで深く。
誰の目にもそう見えたはずだった。
俺ですらそうだった。
しかし、短剣は俺の腹に刺さっていなかった。
服は完全に突き刺されていたが、腹には何の感触もなく、痛みもなかった。
一二歩さがるアマリは、驚きながらも警戒を崩していない。
俺は刺されるはずだった腹を撫でてみるが、血の一滴すら出ていない。
その場の柄の悪い男達も、何故倒れないのかざわざわし始めている。
これが俺の能力か?
「何だお前は?魔術師か?。いや、魔術にそんなものはないはずだ。」
アマリが魔術と口に出すと、全員が驚いたように怯え始めた。俺はそれを見逃さなかった。
「そうだ。他にもいろんなことができる。火を放ったり、病を移したり、死体を蘇らせたりな。」
そういうとさっきまで恐ろしい目つきで周りを囲んでいたもののほとんどが怯えて逃げ出していった。
この世界では魔術とはそれほど恐れるものらしい。
立っていたのはもうアマリだけだった。
「何だ、お前も早く出ていけ、さもないと」
「お前、魔術師じゃないだろ」
図星を突かれた質問に固まってしまう
「な、何故そう思う?」
「魔術師はそんなにフレンドリーじゃないし、もっと閉鎖的だ。俗世にはほとんど関わりのない奴らだからな。」
「あいつらは、人なんか助けない」
「そうだ、俺は魔術師じゃない。でも多分君は俺を殺せない。」
俺は警戒を解かずアマリを見る、店主もジーカも同じだ。
「心配するな、今日のところは帰るよ。飲む相手がいないんじゃつまらない。」
そう言ってそのままあっさりと彼女は出て行ってしまった。
俺はドアが完全に閉まる音と同時に腰が抜けて
動けなくなってしまった。
続く