5 作ってみた
サハクの家に到着し扉を叩くと、ちょうど本人が出迎えてくれた。彼はわたしと違って、親兄弟と暮らしているのだ。
「お、ツィータか。待ってたぞ」
そう言って一度家の中に戻ると、大量の綿花が入った袋を手渡してくれた。
「今日とれたのはそれだけだ。足りるか?」
「うん、じゅうぶんだよ。助かる」
サハクの家は綿花の栽培をしている。これは荒れた土地でも比較的育ちやすい種類で、収穫したものを半分ほど分けてもらっているのだ。
笑顔で受け取ると、サハクは心配そうな顔で言う。
「そうか、あんまり無理するなよ」
「無理はしてないって」
「どうだかなぁ……昨日も変なヤツ拾ってたし。おまえはお人よしすぎ――」
言いかけた言葉をごくりとのみ込んで、サハクはわたしの後ろを見上げた。その顔がだんだんと青ざめていく。なんだか似たような状況が昨日もあった気がする。
「いま、触ったな」
頭上から低い声が聞こえる。
サハクは額に汗を滲ませて、返事とも言えない声を出した。
「……は、い?」
「袋を渡すとき、指先が触れていた」
「それは不可抗力っ――」
反論しようとしたサハクは再び口をつぐんで、だらだらと汗を流していた。わたしの位置からではイリューザの顔は見えないが、見えなくてよかったと思った。だって……背中からなんだかものすごい悪寒を感じるんだもの。
イリューザの両手が荷物で塞がっていてよかった、と心から思った瞬間だった。
これ以上ここにいるとサハクが失神してしまいそうなので、早々に立ち去ることにする。
「サハク、ありがとう。今日は帰るね」
「あ、ああ……」
サハクの家を訪れた時は、昼食をご一緒させてもらうことが多いのだが、今日はさすがにそうはいかない。
そそくさと扉を閉めて振り返る。思っていたよりも近くにイリューザがいたため、顔面から彼の胸に突っ込んでしまった。
「わふっ」
服に埋もれて、変な声がもれる。
「いてて……」
布がこすれた自分の鼻をさすりながら、早くどいてくれと言ってみるも、目の前の大きな人は動こうとしなかった。
首を傾げながら上を見上げると、なんとも難しい顔をしてふたつの琥珀がわたしを見ている。
あ、この顔はまたなにか考えているな、とだんだんと表情を見ただけで分かるようになってきている自分が、少しだけおかしかった。
「ツィータ、きみはあの男が好きなのか?」
「……へ?」
「あの男の前ではよく笑う」
そう言われてみると、そうかもしれない。だけどそれは変な意味ではなく、ただ幼馴染のように育ったからであって。サハクに向ける感情は、どちらかというと家族愛だ。ずっと兄のように慕ってきた。好きか嫌いかで言われたら、もちろん好きである。
「好きだよ、家族としてね」
「家族?」
「うん、小さいころから家族ぐるみでつきあいがあったんだ。両親が死んでからもいろいろ助けてくれたし、お兄ちゃんみたいな感じかな」
ふむ、と頷いて、イリューザはわたしの前からどいてくれた。
やっと道がひらけたことに安堵しつつ、無意識に言葉を投げる。
「イリューザこそ、おばちゃんの前でずっとにこにこしてたじゃない」
そのまま自宅へ向けて歩き出す。
「わたしみたいな小娘よりも、もっと大人の女性の方がよかったんじゃないの?」
おばちゃんは大人というよりは、熟年の女性という方が正しいと思うが、それにかこつけて気になっていたことが口から漏れてしまった。
だってイリューザは、本当に人間とは思えないような美しさなのだ。……まあ、人じゃないんだけど。
チビで色気のない子供とつがいだなんて、どう見てもつり合いがとれない。身体はガリガリだし、胸だってぺたんこだ。こんな棒ではなく、もっとこう曲線的な体つきをした女性の方が誰だって好むだろう。
わたしには魂で結ばれているという感覚はよく分からない。だから、もし目の前にめちゃくちゃ豊満な体つきをした美人のお姉さんがいたら、彼だって間違いなくそちらを選ぶんじゃ、って思ってしまう。
もんもんと考えながら歩いていたせいか、今さら隣に誰もいないことに気づいた。あれ、と思って振り返ると、少し離れた場所でイリューザは立ち止まったままだ。
一陣の風が吹き、白銀の髪をさらっていく。陽光が反射してキラキラと輝く様子は、わたしの目には眩しすぎる。
こんな小娘には絶対にふさわしくないのに、彼は琥珀色の瞳にわたしだけを映して、なんだか泣きそうな顔で言った。
「ツィータ、きみ以外はありえない」
どくん、と心臓が大きく揺れた。全身の血液が心臓に流れ込んでくるかのごとく、胸が熱い。
「えっ……と……」
なんと返したらいいものか分からなくて俯いてしまうと、彼がゆっくりと近くに歩いてきて、穏やかな声で言う。
「帰ろう」
顔を上げると、いつものきれいなほほ笑みがあった。ほっと安堵の息を吐いて、ふたり並んで歩き出す。
正直、あのままさらわれてしまうんじゃないかと思った。
そもそも人間の娘ひとりを無理やり連れ帰るくらい、容易いはずだ。わたしの意思など無視すればいいのに、どうしてそれをせず、わざわざ選択肢を用意したのか。
隣を歩きつつ考えてみるが、答えは見つかりそうもない。うんうんと唸りながら進むわたしを見て、イリューザは苦笑を漏らしながら尋ねる。
「ところで、さっきのは嫉妬か?」
「……へ?」
「あの髪の毛がくるくるのご婦人に対して嫉妬したんじゃないのか?」
……嫉妬? 嫉妬って、なんだっけ?
いやいやまてまて、そんなはずはない。だってあのもやもやとした感情が嫉妬だとしたら、わたしは……イリューザを――
眉間をシワシワにしたわたしを見て、彼はさらに目尻を下げる。
「冗談だ」
竜族も冗談を言うらしい。そんなことをまじめに考えてしまう。
今日もお日さまは元気いっぱいなのに、わたしの心のもやは濃くなっていくばかりだった。
◆◇◆
家に帰ってからは軽食をとり、わたしはとある作業にとりかかった。
机の上に先ほどサハクからもらった綿花を並べ、綿の部分と種により分けていく。向かい側に座ったイリューザが不思議そうに眺めていた。
「何をするんだ?」
「糸を作るの」
「糸?」
「うん、これがわたしの仕事なの」
綿花から糸を紡ぎ、その糸を使って布を作る。わたしはこれで生計を立てている。もともと両親がやっていた仕事なのだが、ふたりが亡くなってからはわたしが引き継いだ。
一枚の布を一人で完成させるのはなかなか手間がかかるため、最近は紡いだ糸で簡単な装飾品を作って売っている。
この村にも月に一度行商人がやってくるため、その時に買い取ってもらうのだ。
わたしが作ったものは意外と評判がいいらしく、そこそこの値段で買い取ってくれる。売り上げの一部は材料費としてサハクに返すのだが、残りのお金だけでもひとりで生活するには十分だった。
愛用の裁縫箱から作りかけの飾りを取り出し、イリューザの前に置く。
「最近はこういうのを作ってるの」
見せたのは、複数の色の糸を編み込んで作った耳飾り。わたしのイチ押し商品だ。
前に置かれた耳飾りを見て、彼は大きく目を見開く。
「やっぱり……これはきみが作ったのか」
そう言って懐から何かを取り出し、わたしの前に差し出す。それは見覚えのある耳飾りだった。先に置いた作りかけのものと色は違うが、形はそっくりだ。間違いなく、わたしが作ったものだろう。
「……どうしてこれを?」
「私の住む神殿に、献上品として送られてきた。送られたものは一通り目を通すんだが、この耳飾りからきみの匂いがしたから本当に驚いた」
ちょっとまて。匂いって、なんだ? もしかして……体臭? わたしってそんなに臭かったの? たしかにお風呂はあんまり入ってないけど……
思わずくんくんと身体を嗅ぎ始めたわたしを見て、イリューザは「違う違う」と笑い始める。
「匂いっていうのは、つがい同士のみで感じるフェロモンのようなものだ」
「ふぇろもん」
初めて聞く言葉だ。なんだかよく分からないが、ちょっと危険な香りがする。
「つがいが出すフェロモンはつがいを呼び寄せる。逆に言うと、匂いを発しているということは、つがいを呼んでいることになる」
「……つまり?」
「私はきみに呼ばれていると思って、ここに来たんだがな」
小さく笑って、イリューザは肩を竦めた。
呼ばれたと思ってこんな辺境の村までやってきたら、呼び出した本人からお呼びでないですと言われてしまったのか、この竜は。
いや実際に呼んだ記憶はないのだけれど。……と否定しそうになったが、彼が持っていた耳飾りを見てある記憶を思い出す。
それは両親が死んでから、ちょうど一年が経った日。ふたりの命日にもかかわらず、わたしは仕事をしていた。何かをしていないと、泣いてしまいそうだったから。
それでもやっぱり――さみしくて。
たった一年前まで、三人で笑いあって暮らしていたのだ。両親は病を患ってから、一週間で旅立ってしまった。為すすべなんて、なかった。
だからあの日、作りかけの耳飾りを片手に、誰かにそばに居てほしいと願ってしまったのだ。それが一年の時を経て、イリューザのもとに辿りついたというのか。そんな事実簡単には信じられないが、現にいま彼はここにいる。
「あんなに切ない匂いで呼ぶものだから、大急ぎで飛んできたんだが……」
「スミマセン、無意識デシタ」
「みたいだな」
残念そうに眉尻を下げたので、なんとも申し訳ない気分になる。
彼は背もたれに体重を預けて、手のひらに乗せた耳飾りを見て言った。
「だけどこれを見たとき、すごく嬉しかった」
「どうして?」
「つがいが人間だと分かったから」
今度はわたしの黒い瞳をまっすぐ見つめる。それからおもむろに手を伸ばして、瞳と同じ色の黒髪に指を絡めた。日に焼けて少しごわごわとした髪を撫でながら、目を細める。
「こうやって話ができるだけでも……本当に、尊いな」
「話すだけならいつでも」
「話すだけなら、……か」
髪から指を離して、彼は伏し目がちに机の上に視線を向ける。
「……それは残酷だな」
ぽつりとこぼした言葉は、わたしの耳には届かないほど小さな声だった。