幸福自殺持論
今日も自殺者が出たらしい。
朝のニュースでやっていた。
芸能人の自死も多いせいか首吊りが流行っていた。
誰かは言う。まだ若いのにもったいないと……。
誰かは言う。あの人が自殺するなんてあり得ないと……。
誰かは言った。どうして彼ら彼女らの悩みに気付けなかったんだと……。
画面の向こうに映る人々は、みんな決まって同じことを口にしていた。
私は、それを理解できなかった。
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私は、至極平凡な家庭に生まれ、それなりに幸せな人生を送ってきたと思う。
数は多くないが、友人にも恵まれ暇な休日を送ることは少ない。大抵誰かに誘われてお出かけをするのだ。友達と過ごす時間は楽しく、河原で語ることが好きだった。
かと言って、一人で過ごすことも苦ではない。部活を引退したころだろうか、当時の私は深夜アニメにハマったこともありオタクとしての教養を育んでいた。すっかり落ち着いた今でも何個かアニメは見ているし、一日ぼーっと過ごすこともときどきあった。「今日ってスマホしか弄ってないよね?」……的な無駄な時間を過ごすのが一周周って贅沢な時間を使っているような気がしていた。
私は、趣味も多いほうだと思う。どんな話題も不思議とある程度のラインくらいまではついていける。まあ、色んなことをやってきたし、なんとなく知っていることやわかっていることも多かった。漫画やラノベ鑑賞のようなインドア派のものからボルダリングや筋トレみたいに肉体派? みたいなものまで色々やっていた。
だから、一時期は趣味に費やす時間がどうしようもないくらいに足りなかった。
きっと、私は凝り性なのだろう。一度始めてしまうと極めてしまうまで終われない性質。けれど、冷めやすくて『視える』というべきなのだろうか。自分の完成形や終わりまでの完璧な道筋が見えた時には私の中で何かが覚めてしまうのだ。
きっと。その頃からだと思う。
いいや、もっと前からかもしれないがハッキリと理解したのはその頃だ。
私が自分の人生を『視て』しまったのは……。
独断と偏見の塊でしかないが。
私は、人が感じられる幸福感はその人の持つ器の大きさによって決まるものだと思う。別に、人としての器がどうこうという話ではなく、単純にその人が感じきれる感情の大きさとでも言うのだろうか。
例えば。友人と一緒にカラオケに行ったとする。
器の大きな人Aも器の小さな人Bもカラオケに行って得られる幸福感……楽しさやうれしさ、充実感にさほど大きな違いはない。
しかし、Aは器が大きいが故に感じる幸福感は少ない。
逆に、器の小さなBは器が小さいのだから数回で満足するだけの幸福感を得ているのだ。
そこでさらに偏見と独断の塊なのだが、器に入りきらない幸福感────感情は最早、何もしていないのと同じだと思う。器はもう幸福という名の水で満杯なのだ。これ以上水を入れたところで入りきれない。零れるだけだ。
だから、本来なら百年近い長い年月かけて注いでいく『人生』という名の器も人によって大きさが違うのだと私は思う。
だから。だから、器の小さな私にこれ以上の水は無駄であった。
もう一度言おう。私は、至極平凡な家庭に生まれ、それなりに幸せな人生を送ってきた。
だから、もう充分なのだ。
恐らく、今後の人生で味わえるだろう幸せは、もう十分に感じてしまった。
齢十とそこらでこんなことを言うのは変だと思うが、私は十分に幸せな人生を送ってしまったのだ。
器の小さな私にとっては輝きすぎる時間の数々を……。
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気付けば私は幸せ過ぎる日々に何も感じなくなってしまった。
いや、表向きは笑っているのだ。
けれど、そこに本当の私はいない。
そこにいるのは、今までに何度も視てきた過去の私だ。
やっていることやメンバーは変わっても得られる幸福の量も種類も同じ。もう、味わいつくした幸福だ。それはもう知っているし、これ以上得たところで無駄遣いだ。
私の考え方は、どんどんと壊れて世間のそれから離れていった。
いつからかは知らない。
もしかしたら、はじめからそうだったのかもしれない。
けれど、すべてに満足した私にはもう止まる理由など無かった。
気が付いたときには崖の上に立っていた。
「なんだ、ここで死のうとしていたのか……」
自分の声はもう分からない。
不思議なくらいに冷静な頭は簡単に一つの答えを弾き出す。
私は、今まさに自殺をしようとしていた。
別に、死ぬ理由なんて無い。
〝死にたい〟なんていう理由はもっと無い……。
強いて言うなら満足しちゃった。これくらいだろうか。
私は、いつからか死ぬことばかり考えていた。
辺に知識が多いせいか、方法はいくつも思い付いた。けれど、首吊りだけは選ばなかった。
理由は分からない。
けれど、アレはどうしようもないくらいに自殺の匂いがするのだ。
それを私は好まなかった。
悩んだ末に思いついたのが飛び降りだ。
たぶん、私がまだ知らない感覚が、死に迫る浮遊感なのだ。
だからこれを私は選んだ。
あとは、早かった。
いつも通りに朝食を食べ、いつも通りに家を出る。
いつも通りに友人たちと話をして、適当にぶらついて帰路につく。
違うのはそこからだった。
取りたての免許を財布と共にバックにしまい、家を出た。
数回目のドライブは、初めての一人旅だった。
不思議と悩むことはなかった。
脳は嫌なくらいに冷静で、死ぬのを止めようなんてこれっぽっちも思わない。
崖の上を目指して上るときも。崖際まで歩くときも。
一歩たりとも迷わない。
足取りは軽くて、散歩でもしているみたいだった。
だから、簡単に死ねると思っていた。
最後の一歩だけだ。
その一歩だけがやはりというべきか重たかった。
少しばかり考える。
────自分の人生を。
後悔はない。
悩みもない。
夢もないが、それなりの大学には合格している。
きっと、幸せな家庭を築いて死んでいくのだろう。
────何度も視た人生は今回も同じだった。
ほんの少しの温かさを胸に残すが、私はもう何も感じなかった。
もう一度、最後の一歩を踏み出そうとしたとき、ふと今朝のニュースが脳裏を過った。
「遺書くらい書こうかな……」
自分でそう言って笑ってしまった。
別に後悔なんて無いのだ。
悩みなんてない。
この世に絶望なんてしていない。
ただただ、自分の人生にもう満足してしまっただけなのだ。
遺書に書くことなんて何もなかった。
自殺なのだから、靴は脱いだ方がいいだろうか?
自殺なのだから、やっぱ一言くらい書いておこうか?
そんなことを数秒ほど考えた後。
私は最期の一歩を────。
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今日も自殺者が出たらしい。
朝のニュースでやっていた。
芸能人の自死も多いせいか首吊りが流行っていた。
けれど、今回のは飛び降りらしい。
これが新しい流行りにならなければいいが……。
画面に映った誰かは言う。まだ若いのにもったいないと……。行きたい大学にだって受かったのにと。
画面に映る誰かは言う。あの人が自殺するなんてあり得ないと……。昨日も普通に遊んだのにと。
誰かは言った。どうして彼女の悩みに気付けなかったんだと……。笑顔の下に何か大きな悩みを隠していたに違いないと。
画面の向こうに映る人々は、みんな決まって同じことを口にしていた。
短いですが、ここまでで終わりです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。