封印された記憶
5月3日(日)/夜半
お風呂から上がり、のろのろと日付が変わった頃。
夜行性の私はこの時間からカケルを連れて、マシの散歩をしに外に出ていた。なんというか、夜行性といっても本当に昼に寝て夜間に行動するような、本能的なものや習慣的なものではなくて、性質的なものでもなんでもなくて、ただの夜更かしなのだが。特に、明日が日曜日であれば(明日というか、時刻的にはもう既に日曜日である)、こんな時間帯に寝ている必要ない。
コンビニに行くだけでも歩いて1時間かかるようなそんな田舎だ。この時間は人に出会うこともないし、居酒屋が開いているわけではないので、車が走っている昼間よりも本当に静かだ。
・・・いつかこの町を出ていきたい。テレビやSNSを見れば、私と同い年くらいの高校生の若者が、やれ渋谷だ、やれ横浜だといろんなところに出て遊び歩いているというのに、私ができるのは日付が変わる変わらないくらいの時間に、明かりもない暗い町内を、こそこそと犬の散歩である。
私も卒業したら、進学でもそうでなくてもさっさと都会あたりに行って、どこにでもあるような、それこそテレビで見るようなアーバンライフでも送ってみたいものである。高校を卒業し、田舎娘のレッテルも、いち早く卒業したい。
本当はマシも、夜中にこんな、甘いというか緩い考えを持ったご主人様より、規則正しく、でもいろんなところに連れて行ってもらうご主人様の方がいいだろう。
犬というのはもともと私と違って昼行性なのだ(人間の私も普通は昼行性だ)。だからといってマシも、普通の人のように、朝起きて、昼に活動して、夜に眠るような生活サイクルなわけでもない。成犬のマシでも、本当は一日12時間くらいは眠っていたいのだろう。今も犬小屋のベッドの上で眠っていたい時間なのだろうけど、昼行性でない中高生な私の我儘に付き合ってもらって申し訳ない気持ちでいる。
「ハフッハフッハフッハフッ」
私がそんな自分本位なことを自分勝手に謝っているのもお構いなしに、マシは口を開け、たまにその黒いレーズンのような、というより大きいブルーベリーのような鼻をペロペロと舐めながら、私の歩くスピードに合わせて横並びになるように歩いていた。私が一歩、歩くのに対して、マシはちょこまかと足を動かし、四歩程で付いてくる。そのスピードに合わさるように、ふわふわで細長い尻尾を、まるで空を切る音が聞こえてくるのではないのだろうか、と思うくらいに元気よくぶんぶんと振っている。振って歩くたびにリードの綱をぺちぺちとはたいている。まるで何も気にしてませんよご主人、と言いたげな顔だ。
うーん、主人の心、ペット知らず。
謝る必要は全く無かったな。めっちゃ喜んでるやん。本当に散歩好きなんだな、うちの犬っころは。かわいすぎる。
「おいコーラ。お前は朝から散歩に付き合わされただろ?この時間起きてても大丈夫なのか?」
「な、なんだって?うちのマシがなんだって?」
「コーラだ」
「おいカケル。うちの家族に変な名前を付けないでもらえる?小さい頃に拾ってきて、私が付けたマシって可愛い名前あるんだから。さっきの飴玉でコーラ味にハマったからってそんな安直な名前を付けるんじゃない」
「マシって何なんだ?それは何味の食べ物なんだ?」
「何味でもないただの犬だよ!味を確認して食べようとするな!なんだ、三百年ぶりに肉でも食いたいのか。まあ確かに、食べ物が由来ではあるんだけど。そんなんどうでもいいでしょ。絶対に食べるな」
それからというもの、カケルは、『犬種は柴だからやっぱり名前は柴漬けにしよう』だとか、『どこで産まれたんだ』みたいな、犬に対して大して意味のない質問をしている。自分の体を探すための散歩だというのに、自分の体の在処よりも、犬のマシの方が気になっているみたいだ。私からしてみれば早く離れていってほしいものなんだけどな。なんだろう、あの逆さ祠と共に三百年も移動してきたカケルとしては、口だけの状態に慣れているのだろうか。今さら体を取り戻そうという気概がそこまで感じられない。三百年も祠に封印されていれば、慣れを通り越して生きていること自体に飽きてしまうものだと思うんだけど。身動き取れない三百年なんて、無意味が過ぎるもんな。気が狂うよな。そういえばカケルは、この三百年、もしくはカケルが封印される三百年より前は、どんな風に生きてきたのだろう。そもそもなんで封印されてしまったのだろう。聞けば教えてくれるだろうか。私はカケルの事を知らなさすぎる。
「カケル。カケルは、、どうして、三百年も封印されてたの?」
「三百年も封印されていたというか、三百年の間、誰も僕の封印を解けなかったってだけなんだけどな。たまたま近くに来たとしても、誰も僕にお供え物をして願い事をしようとする奴はいなかったよ。二百年前までは明らかに怪しまれてて、あの逆さ祠はこの町の呪いだとか言われていた。時が経った今は、呪いどころか噂すら立たないくらいまで存在感が無くなったが。繋が僕の封印を解いたのは、ある意味信仰心が無いからなのだろうな。信仰心があれば私には願わない。呪いや祟り、今の人間は昔の人間と違ってそんな事信じなくなったのさ」
「信仰する神様がいないっていうのは、日本人が特殊なだけだと思うけどね。」
「僕も何かを信仰したことは無いな。むしろ祠に入ってた時点でこの僕が信仰されるべきだな」
「今のところ厄介しか持ち込んでない神様なんて信仰されないだろ」
「こらっ!なんだと?!」
「でも、呪いや祟り、運命とか必然とかその他諸々も信じてなかったけど、カケルのせいで私からしてみれば、信じるしかない前例ができたって事だから、これからはスピリチュアルな事は絶対信じないなんてのは私には到底できそうにないよ。神を信仰はすることは無いけどね」
「そうだ。運命も必然もある。運勢もあるんだから、悪いことの後には良いこともあるのは当然である。それくらいの気持ちでいれば、その人間の五十年程度の短い人生くらいは楽しくなるだろうね」
「人間が五十年しか生きられない時代はもう終わったよ。今や日本の平均寿命は世界の中でも上位に入るくらい健康で長生きなんだから。八十年は生きれる」
「は、八十年?人間も随分長生きするようになったんだなあ」
やはりというか、なんというか、カケルは大分今の世情については知らないらしい。それは、今までの事でなんとなく分かっていたことだけど。じゃあ、そろそろ聞いてみるか。
夜の散歩、いや、逆さ祠の探索を続けながら、私はカケルに三百年以上前のことを聞いてみた。いったいどういう存在なのか、なんでそのような姿にならなければならなかったのか、どれくらい体の部位を集めれば、カケルは自由になるのか。私なりにかなり深く問い詰めてみたが、結果的に言うと、聞くだけ無駄だった。
「なんにも覚えておらん。きれいさっぱり、すっからかんだ」
カケルは、封印される以前の事、つまり三百年間の記憶をほとんど覚えていなかった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
気になる話だったのに、聞いても無駄だったと呆れながらきょろきょろと逆さ祠を探していた。誰かが見ていれば私は明らかに挙動不審な不審者だ。だが辺りが真っ暗なこともあってそう探すしかなかった。別に側溝や田に落ちはしない。マシがいるから大丈夫だ。それにこの町内もある程度感覚で歩ける。ただカケルは探す際の戦力としては全く役に立たないのでほとんどお荷物状態であった。
「ねえカケル。本当に何も覚えてないの?何も覚えてない割に自分の名前とか、食べ物のことはちゃんと覚えてるじゃんね」
「何も覚えていない。と言えば嘘になるな。自分に関する記憶だけが空覚えというか、記憶の奥底にあるというか、蓋されているというか。やけに曖昧な、そんな感じだな」
「記憶にも蓋されてる?封印の一環でそうなったのか?三百年も動けなくなっただけじゃなくて、カケルは本当に一体何をしでかして封印されたの?まあ、今はそれも覚えてないのか。そもそも、覚えていないんじゃ、本当に封印されているのかどうかも怪しいくらいなんだし。カケルのただの思い込みとか、もっと言えば、ただの嘘っぱちか」
「僕が唯一覚えていることは、唯一僕の頭から離れないのは、封印された直後の事だけだよ。『封印されてから記憶を消された。』のではなく、『記憶を消されてから封印された』が正しい順序らしいからな。僕が自分の名前を聞いたのもその時だった」
「じゃあ、覚えてるの?その、カケルの名前を言って、カケルを封印したのは誰なのか」
「覚えてはいるけど―――――――あれ」
歯切れの悪い返事と共に、何かに気が付いたらしいカケルは少し先にある通りを見ていた。だがそこは薄暗いだけで何も見えない。
「おい見てみろ繋。人が歩いてるぞ」
何も見えない。
「うーん?そりゃ一人くらい歩いてるでしょ。現に私たちも歩いてるじゃん」
「いや、そうなんだが、そうじゃない。見えないか」
「私は別に何も、、、あ」
見えた。というか、最初に感じたのは歩いている音だった。違うテンポの足音から二人で歩いてるのが分かった。カケルにはもう少しはっきり見えているらしいが。私には、その足音の主たちが、街灯の下に出てきたときにはっきり見えた。
「若いな。あれは、中学生くらいか。中学生が散歩しているのかな」
いくらこの町が田舎といえど、流石に日付が変わったばかりの時間に中学生が二人で歩いているとは思えない。流石に中学生の頃の私でもこんな時間に外には出歩かなかった。しかし、何かとませているからな。最近の中学生は。
「男女で歩いているところを見るとカップルかな」
「カップル。今は恋仲の男女をそういうふうに呼ぶのか。覚えておくか、いつか繋もああなるのだな。カップル。」
「覚えなくてもいいんだよ。でも中学生がこんな時間に歩いてるのは危ないことだよね。注意しなきゃ」
「いや、やめといたほうがいいんじゃないか?」
数少ない街灯の下に出てきたときに、中学生カップルがぎゅっと寄り添って歩いてるのが見えた。
おいおいおい、中学生がそんな見せつけてるんじゃないよ。私なんて高校三年生になってまだ彼氏できたことないっていうのに。
だが私は年上。高校生だ。普通は、明るく髪を染めたジャージの高校生が夜中に突然話しかけてきたら、中学生からしてみれば怖がってしまう。私はそこら辺を分かっている。弁えてる。
カケルには黙っているように言い、なるべくこの中学生カップルに恐怖心を抱かせないように笑顔で話しかけた。
「えーと、君たち、こんな夜遅くに危ないよ。日付が変わったばかりなんだ。いくら田舎でも、中学生のカップルが出歩いて良い時間じゃない。仲良く出かけるのもいいけど、日中の方がきっと楽しいでしょ。早く二人とも家に帰った方がいい」
いいぞ私。物腰柔らかく接せれてるぞ。大人の対応だ。
「不自然もいいところだ。何だその引きつった笑顔」
不意に聞こえてきた軽口に反応しないようにぐっと耐えながら笑顔を続けて教えてあげた。引きつってるらしいけど。
「あ、あの、すみませんでした。今、帰りますから」
中学生の男の子の方が初めて口を開いて謝ってきた。悪いことをしたら謝る。良いことだ。いや、別に私に謝る事でもないと思うんだけどな。なんか、必要以上に怯えてる。
「うん。親御さんも心配しているぞ」
「早く帰りますから。どうか、お金だけは」
「カツアゲじゃねえよ!しねえよ!」
金をたかるような不良に見えたのか?この私が。
「んなっはっは。タカリ屋と勘違いされたか。見た目は完全に不良生徒だもんな。30年くらい前にはこの町にもいたぞ。今はあんまり見かけないがな」
「喋るな。黙ってろ」
くそっ、最初から私がどう接してもこの中学生カップルが私に怯えるの分かってたな?
「あ、あの、誰かと話してるんですか」
「えっ、いや別に。私一人だよ。何でもない。お金も取らないし何もしない。だから安心して。子供は家にいる時間だよ」
「はい、今帰ります、、、あ、あなた方も、早く帰った方がいいですよ。危ないんで」
「うん。ありがとう。私ももう少し散歩したらすぐに帰るよ」
「じゃあ、さようなら」
男の子はそう言うと小さく頭を下げ、二人の中学生は道を引き返していった。
そのまま家に帰っていったのかどうかは分からないけど。
「じゃ、私たちもそろそろ家に帰ろっか」
「結構歩き回ったが、結局別の祠は見つからなかったな」
「歩き回って闇雲に探しても、見つからないもんだね」
「そりゃ、祠にそこにあってほしいと、誰も願ってないからだろうな」
「カケルの顔を見つけた時みたいに、ちゃんとどこにあるのか見当付けてからじゃないといけないね」
「それは、その捜索の仕方は、結局最初に戻ってるんじゃないか?他に思いつかないだろ。ハア、二日目にして僕の未来も目の前も真っ暗。どうすりゃいいんだ」
「自分の身体でしょ。何簡単に諦めてるの。もっと諦め悪く探せ。三百年ぶりなんだから。今日はまだ二日目。落胆するにはまだ早いんじゃないの?絶対他に方法がある」
何とか、この得体の知れない生物を鼓舞しようとしたが、なぜ私が応援しないといけないんだ。
「まだ二日目、二日目にしてもう顔というパーツを集めたんだ。他にどれだけのパーツがあるか分からないけど、順調そのものじゃん。この町は決して狭いわけじゃないけど、広いわけでもない。途方もないというわけでもない。途方も終わりもある。すぐに終わるって」
正直に言うと、私はこの時、全身のパーツなんて、簡単に蒐集できると思っていた。食後の運動程度の散歩を続けていれば、範囲がこの町の中である限り、そう時間がかかるものではないと思っていた。だけど、現実はそうもいかず、楽してできると思っていたカケルの体集めは、自分の人生には何もないと思っていた私を、無理矢理自分自身と向き合わせざるを得ないと思う程大変なもので、実際に私を待っていたのは、残酷で過酷な収集譚、いや、いかに自分が恵まれているかを知る人生譚が待っていた。