何も無いのは、どっち
5月2日(土)/夜
半日ぶりのご飯を食べ終えた私と、三百年ぶりのリンゴを噛み締め飲み込み終えたカケルは、私の部屋で椅子に座りくつろいでいた。
「三百年ぶりに食べた果物の味は、どうだった?美味しかった?」
「大変美味しゅうございました。ただのリンゴなのに、最高級みたいな感じでございました」
親がスーパーで買ってきた全く熟してない青いリンゴだったが、それなりに満足したらしい。安っぽい舌で助かったな。
「そう。三百年ぶりだもんね。私には想像できないな。リンゴなんて毎日出てきてるからむしろ飽きちゃってるし。ていうか、こっそり食べさせる時すごい怖かったよ。あんたを腕に潜ませているのが、妹にバレてるんじゃないかって」
「僕は別に何もしてないだろう?喋ってもいないし、動いていない。おかしかったのは繋だけだ。あれだけ挙動がおかしかったら、そりゃ誰だって怪しむ。特に普段一緒に過ごしている妹が相手であればな」
私は夕飯の時、右手に取ったリンゴを食べるふりをして、右手の手の平に口だけで潜んでいるカケルに食べさせるという方法を取った。しかし、細心の注意を払って行われた私の完璧な行動は、妹からすれば実に怪しい行動に見えたらしい。
ご飯茶碗を持った妹が、くりくりした大きい目で、毎日見ているはずの私の顔を物珍しい様子で見ている。ていうか見過ぎだった。毛穴にすら穴が開きそうなほど私の顔を見ていた。私の顔に間違い探しなんて載ってないぞ。
「お姉」
「何?どうしたの?」
「腕、怪我でもしたの?」
「な、なんで?」
「いや、右手でリンゴ食べてるからね。夕飯でリンゴ食べるなんて珍しいね」
「まあ、たまにはね。リンゴ美味しいじゃん?」
「朝にリンゴ出されても食べなかったのに?」
「朝は、気分じゃなかったっていうか、疲れてたっていうか」
「そういえばお姉、朝は珍しく早起きしてマシの散歩行ってたね。休日はゆっくり寝る日だって決めてるのに」
「昨日の夜のマシの散歩忘れちゃったから、その分ね」
「ふぅん」
「そういえば、勉強の方はどうなの?今年受験生じゃん。分からないことがあったら私かお兄ちゃんにでも聞きなよ。英語、理科以外は教えるからね」
「別に教えてもらわなくても、アタシも一人で勉強できるんだから。お姉はそんなこと心配しなくていいの。それよりもお姉の方が大学受験とかいろいろあるでしょ。自分の心配しなよ」
「お姉ちゃんは別に大学進学とか考えてないからなあ。多分普通に同級生と一緒に就職活動すると思うんだけど」
「お姉は意外と頭いいんだから、ちゃんと考えてよね。それこそお兄も手伝ってくれると思うよ」
「ご、ごちそうさまでしたっ」
「あっちょっお姉!」
リンゴを食べようとしただけで、妹にここまで質問責めされるとは。逃げるようにして自室に戻ったのが、一番怪しかったかもしれない。
でも正直将来の事を考えるのはバツが悪い。妹だけじゃなく、親まで聞いてくる前に逃げてしまった。
しかし妹の言った通り、私は毎日のように食卓に出てくるリンゴに飽きてしまい、普段は滅多に食べることがない上に、休日の散歩は絶対に昼過ぎか夕方あたりに行くことにしている。休日は是が非でも寝る日だと決めていて、朝に散歩に行くことは滅多に、というか絶対にない。あり得ない。
妹がそう思えば、妹からそう思われてしまえば、様子が違う私の事をどうしたのかと気になるのも分からないでもない。
それよりも、三百年ぶりの食事の時間をいきなり邪魔されそうになって、ちょっと気に障ったのか、カケルは不機嫌な様子だった。
「あの妹は何者だ?僕に食わせるために繋が右手に持っていたリンゴを、いつ口に運ぶのかとずっと見つめていたぞ。まさか、僕が繋に張り付いているところを見られていたのか?幼いながら油断できないな」
「私の妹ながら何を考えてるのか分かんないよ。姉妹なのに性格が全然違うんだから」
「あの御令妹様の名前は何というんだ?」
「名前?命。妹の名前は命っていうんだ。命と書いてメイ。今年受験生の14歳だよ」
「イノチと書いて命か。身内から随分大事にされてそうな名前だな」
「そうだね。末っ子だもん。私も命のことは昔から可愛がってる。仲はいいと思うよ」
よくケンカもするが、姉として受験勉強中の妹に勉強を教えたりする。本当に可愛い妹だと思っている。
「でも、命はどうして繋がリンゴ食べるのを、あそこまで不審に思ったんだろうか」
「それは多分、私がリンゴを摘まむのに右手を使ったからじゃないかな」
「ん?別に普通の事じゃないか?」
手の平にいるカケルにリンゴを食べさせるために、私は右手でリンゴを摘まんだ。でも、
「ご飯を食べるときリンゴはいつも私の左側にあるんだ。私がリンゴを滅多に食べないのを家族は知っているから、命の近くに置くんだよ。多分命は、私から見れば左腕の方がリンゴに近いのに、わざわざ遠い右腕で摘まんだことに違和感を覚えたんじゃないのかな」
「でも、右利きなら右腕でリンゴを取ることも、別に珍しいことじゃないんじゃないのか」
「私は、左利きなんだよね」
「...なんと、繋は左利きだったのか。僕はそんなこと一度も聞いてないぞ」
「別に言う必要が無かったから。聞かれたら言うつもりだったし、もしカケルがとりついた部位が左腕だったら、さすがにそこからどいてもらおうと思ってたけど、張り付かれたのが右腕でよかった。」
小さい頃から左利きの私に、右腕で生活できるように親に強制的に矯正されているので、右手を使うことに関しては、実際そこまで苦労していない。むしろ両利きという割合的に一番少ない部類に入れたことに、厨二病特有の感情のように、特別に感じたことさえある。でもさすがに扱いやすいのは圧倒的に左腕なので、中学生の時に短い反抗期を迎えた頃から親に逆らって右腕より左腕を好んで使用している。
「ま、僕にとって入り込む部位なんて、どこでもいいんだけどね。僕は不満なんて言ってられる存在でも立場でないことも自覚しているつもりだし。妹にぐらいバレても、いいんじゃないのか?」
「人の体に間借りして居候する化け物が私の体にいるなんて、そんな奇妙な話、妹じゃなくても、誰が信じるっての?」
「繋は案外、あっさりと僕を受け入れていたな」
「今日一日たって、ようやく、ようやく猜疑心が拭えただけだよ」
カケルが私の体に口として浮き出てきたときはどうしようと思ったが、というか今もそう思っているのだが、案外悪いやつではないらしいというのが、今の印象だった。知らないうちに契約をしてしまったし、決していい出会いとは言えなかったけど。
「それにしても、リンゴはもっと食べたかったな。あの妹の目さえなければ、、、」
「命には、妙に勘が鋭いところがあるからね。私も妹の前じゃ、なかなか嘘をつくのが苦手なんだよね。何回も見透かされてるし」
私が隠し事が下手というより、どちらかと言えば、命の前では嘘をつきながら上手く立ち回れないという感じなのだけれど。
「命だけでなく、他の家族にもカケルの事ばれないようにするのは、相当大変な事だと思うんだけどね。私の口に入る前に消えるリンゴなんて、奇妙で仕方ないしね。これからはもう、家族の前でカケルに果物食べさせるのは難しいかも」
「な、なんだと?!」
「私が自分の腕にリンゴ食べさせるようになったなんて家族が思ったら、心配されるどころの話じゃないよ。それに果物なんて年中無駄に高いから、私のポケットマネーから買うこともできないし、というかお金があっても買うつもりないし」
「そ、それじゃあ、僕は明日から何を食べればいいんだ?!」
「さあ、何百年も食べなくてもいい体してるんだから、特に何も食べなくてもいいんじゃないの?」
「こ、こいつ悪魔だ!僕のことがめんどくさくて、僕を切り捨てやがった!」
「別にそういうわけじゃ、、、」
「何か食わせろ!やっぱ僕も腹が減る!たった今お腹すいた!リンゴ食いたーーい!」
めんどくさ。うざ。あ、そういえば。
「じゃあ、果物より甘い果物をあげりゃ満足?」
「果物より甘い果物、そんなものあるのか?果物よりも甘いんだぞ?甘いだけじゃなくて、ちゃんとおいしいんだぞ?甘いだけで美味しくないというオチじゃ許さないぞ?」
「そんなんじゃないよ。ほら」
コロン。
カケルの口に、果物より甘い果物を入れる。
「なんだこれは。甘い、甘いぞ。美味しい!なんの果物だ?」
本当に安っぽい舌でよかった。こんなのでも三百年ぶりの口の味覚にとっては、十分すぎる程お気に召したらしい。
「もしかしてこれは、イチゴか?イチゴなのか?い、今のイチゴってこんらに甘いろか?れ、れもこれ、噛み切れらい」
「コーラ味」
「コ、コーラ?なんだその果物は。食べると怒られちゃうのか?繋は僕に食べてはならないものを僕に食べさせたのか?!」
「それは、ただの飴だ」
「あ、飴?飴って水飴の事か?あの料理の調味料に使われる、、、」
「普通の飴だよ。いろんな甘みを溶かしてから冷やして固めたお菓子」
「お菓子。甘味か!今はこんな不思議な甘味があるのか。知らなかったぞ」
「知らなかったって、私が昨日祠にお供えしたのも飴だったじゃん」
「そうか、昨日はこの飴に唾液が付いていたのか。しかし僕は飴なんて舐めていない。祠のあの窪みに味覚が付いているとでも思ってるのか」
「ああ、そりゃあそうか」
「それにしても甘くて美味しいなこれ。気に入ったぞ!」
こいつは私の唾液で契約を交わしただけだから、お供えした飴自体は舐めていないのだろう。実際にこいつは、何に唾液が付いていたかは知らなかったみたいだし。でもこいつ、普通に果物食べるよりよっぽど美味しそうに食べてないか?コーラ飴がよっぽど気に入ったらしい。
「お姉!お風呂あがったよ!さっさと次入っちゃって!」
一足先にお風呂に入った命が一階から叫んで呼びかける。
今日はもうお風呂に入って寝よう。明日も休みだから、明日からの事は明日から考えよう。カケルとの契約に関しては今は無視しよう。さっさと風呂だ。それが最優先だ。
腕に張り付いているカケルを、洗面所で歯磨きをしている妹から隠しながらそそくさと服を脱ぎ、さっさと風呂場に入った。
そして風呂場に設置されてる鏡を見て私は、私の体をボディチェックする。いつもはお腹を。
だがその時私は自分の脚に注目した。
「あれ」
脚にあった切り傷が、消えていた。否、きれいさっぱり治っていた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「ふうぅぅぅ」
肩まで深く浸かり、ザパンと大きな音を立てて湯船からお湯が溢れる。溢れたお湯がタイルを温め浴室全体に湯気が上がる。
「お゛~~~~」
一日中、歩き走り漕ぎ疲れた体にあっついお湯が染みる。染み渡る。
これは快感。癖になりそう。とても清々しい気持ちさえ感じる。長風呂は基本的に好きじゃないが、こんな日は余裕で1時間以上入っていられそうだ。
頭全体を実体化し、まだない首の断面部分で私の右腕に張り付いているカケルを湯船の中に入れないようにしながら、私はこの心地いい湯加減を堪能するために目を閉じゆっくりと風呂に浸かっていた。
カケルはカケルでさっき口の中に入れた飴玉をコロコロ転がしながら、まだ命の事を警戒しているらしい。
「リンゴを食べるときといい、こそこそ服を脱ぐ時といい、妹の前だといちいち怪しくなるな。もしかして繋は嘘つくの下手なんじゃないか?」
「妹の前だけ。どうせバレる嘘はつかないように、今までは妹に対しては嘘をつかないように生きてきたんだから。それなのにいきなりこんなに大きい嘘なんて上手に隠し通せないよ。それに、上手な嘘で巧妙に相手を騙す人より、嘘をつくことができない素直な優しい人の方がいいとは思わない?」
「それって、嘘をつくことが下手な自分を素直な優しい人だって自賛してるつもりか?」
「ん?何かおかしかった?」
「なら素直で優しい繋さんや、僕に毎日リンゴをおくれよ」
「リンゴなんて私の貯金じゃすぐ金尽きるよ。飴玉でいいならいくらでもあげる」
「これじゃ、素直ではあっても優しくはないな」
「うるさいっ!願いを手伝ってやってるだけでありがたいと思え!」
一瞬だけ右腕を湯船の中に入れカケルを沈める。「おぼろっ!」と慌てたような声を出し、私の体から離れ浴槽から飛び出す。
「いい加減ゆっくり浸からせてよ。もうくたくただよ。明日も私は町内を歩き回ることになるだろうからさ」
それからしばらく温まり、だらだら垂れてくる汗が邪魔になってきた。そろそろ体でも洗うかと湯船から上がり、シャワーセットの横にある鏡の前に立った頃。
「がぶっ!」
ぷかぷか浮いていたカケルが、私の腕に噛みついてきた。
「な、何してんの?!急に噛みついてくるなんて!」
「おい、暴れるな!ふむ、これなら」
飴を舐め終えて満足げだったカケルが、急に噛みついてきたと思ったら、唐突に何かを確信したようにお風呂の鏡をジロジロ見ている。
「どうしたの?」
「なあ。自分の姿を鏡を見てみなよ。繋」
「何?17歳の女子高生の体を見て興奮したの?」
そして言われた通り風呂場の壁の鏡を見る。だが、湯船から立ち込めた風呂場を包む蒸気と、目に入りそうに垂れた汗のせいで自分の体が見えなかった。
と、その瞬間は思っていた。よく見えないのは蒸気と汗のせいだと思っていた。
しかし鏡には、多少湯気があれどちゃんと頭が映っている。だがそれは、すでに見慣れたカケルの頭ではなく、どころかカケルよりもよっぽど見慣れた頭だった。というか鏡に映っていたその頭は、どうみても私の頭だった。でも、絶対におかしい違和感がある。
「ん?」
私がそれを理解するのに随分時間がかかった。鏡に映った私の頭を見つめる。
「、、、、、な、、、」
5秒ほど見つめた後で、ようやく私は理解する。そして思わず叫んだ。
「なんじゃこりゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
私の首から下が、消えてはならない身体のパーツが、頭を残してすべて消えてしまっていた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
理解してからの反応は随分早かった。いや、厳密に言うと理解は全くしていなかったのだが、そこに浮いている頭が、私の頭であると認識をしてからの反応は随分早かった。頭を見つめる。というか、目を離すことができない。
「どうしたんだ繋。齢17の女子が出すとは到底思えないような胴張声なんか出して」
開いた口がまるで塞がらず、むしろ顎が外れんばかりに大きく広げ、鏡とカケルの事を首がちぎれんばかりに左右に振りながら交互に見渡す。今はちぎれる首なんて無いのだが。
何回見ても、何度見しても、何度見直しても、私の体は無かった。完璧に消えている。鏡と対の位置にあり私の後ろにあるお風呂場のドアを、鏡越しに見ることができる。なんて奇妙な光景だろう。脳みそにかかるタスクが増えすぎて、一周回って思考が冷静になった。
「ど、どういうことこれ、何をしたの?」
「試しに繋の体を消した」
何とか回り始めた頭から絞り出した現状の質問に対し、カケルからは"繋の体を消した"と、私が認識した結果と全く同じ返答が返ってきた。認識したそれ以上でもそれ以下でもない、全く何も解決しないし、理解も知識も深まらない返答だった。
「消しちゃ、駄目だったか?」
急にしおらしい目をしながら私の事を見つめてくる。
「い、良い悪い以前の問題でしょ!!」
「ほんの試しにやってみただけなんだけど、上手くできるもんだね」
「た、試しにって、、、試しに人の体を消すんじゃねえ!!」
こいつと話していると、私はどうにも口が悪くなってしまう節があるらしい。確かにちょっと、精神的に男勝りな部分を自分から作り上げてきたつもりもあるけど、ここまで性格的に捻くれてるつもりはなかった。
それにしても、なんでこいつは私の体をこんなに自由にしているのだろうか。昨日は私の体に入り込み、今日は私の体力を根こそぎ使った上で、私の気力を根っこから引っこ抜いた上で自分の体を具現化し、私の頭を小突いた。挙句の果てに今は勝手に私の体を消している。警察に駆け込んで「こいつが昨日から私の体を使って悪さをしてくるんです!不法侵入罪と傷害罪と私の体を消しやがった罪で、この頭だけの男の子を逮捕してください!三百歳を超ええますけどもおおおおお!!!」と訴えかけることができるならぜひ訴えてやりたい。
「いやな、自分の体を実体化したり、はたまた腕に張り付くために口以外の実体を消したり、これだけ自由にできるのであれば、繋の体も自由にできるのではと思ったんでな」
「で、これはものの見事にその目論見が成功したって事なの?」
「うむ、消えたな」
「消えちゃうんだ。私の体」
体に感覚はある。ちゃんと立っている。ちゃんと腕も動いていて、胴体もある。胸もある。尻もある。
「あれっ」
だが、感覚は確かにあるにもかかわらず、明らかに分かりやすい矛盾点があった。
どれだけ腕を伸ばし振り回しても、何かに当たることもないし、
何も掴むことができないし、何にも触れないのだ。
いくら腕が見えていなくても、ピンと腕を伸ばしている感覚は確かにある。しかし、いくら腕を伸ばしてもシャワーヘッドも掴めないし、いくら手探りしてもタオルに触れない。そこには空が無いのに、腕は明らかに空を切っている。必死に手を伸ばしても、何も触れない、何も動かせない。
人は、感覚と認識が違うと、その矛盾に脳が混乱してしまう。
熱いと言われて渡された缶コーヒーが実は冷たかったように、階段を全段降りきったと思ったらもう一段あったときのように、日常の中に発生するそんなちょっとしたイレギュラーが起きただけでも、人間の脳は混乱する。
今の私がまさにイレギュラーな状況だった。ただでさえ体が消えて脳が混乱しているのに、そこに、触れているはずなのに何も触ることができないというイレギュラーが起きたことによって、かなり大きな混乱が私の中で生じていた。
簡潔に言うと、気持ちが悪い。気分が悪い。気色が悪い。
ああ、でもそうか。この感覚が、カケルがずっと感じている感覚だ。
「実体が無いってのは、こんな感覚なんだな」
「そうそれが、今僕が感じている感覚だ」
こんなに、不安なのか。
触りたいものを触ることができない。手に取りたいものを取ることができない。自分の望みをかなえることが、できない。
ただでさえ、祠の中に三百年も封印され、全く動けないでいたのに。
「これを三百年も、ずっと」
何もできない三百年。何も感じることができない三百年。想像するだけで気が狂いそうになる。想像しえない程に想像を絶することであるのは、簡単に想像できるのに。
「カケル、体、元に戻してくれない?」
もういい。よく分かった。
「ふむ、まあ、体を消せることが分かっただけでもいいか。分かったからといって、だからといって、何に使えるというわけでもないんだけど。ちょっとした悪戯、悪ふざけだよ」
そう言うとカケルは私の体を素直に戻した。
漫画やアニメでよく見る四肢の先端から再生するような感じではなく、内臓から徐々に戻っていった。それほど時間がかかったわけではないが、一瞬だけ脈打つ心臓が見えた。
すぐに心臓を覆った肺。きれいな色をした胃袋、赤褐色の肝臓、膵臓、腎臓、胆嚢、小腸、大腸、その他諸々。CTR検査とは比べ物にならないくらい鮮明に見えてしまった。それらが見えたと思ったら、一気に周りを筋肉が覆い、肌が生まれ、元に戻った。
ちょっとしたグロテスク映像を見た気分だった。
だがちゃんと全部あった。何一つ欠けている内臓はなかった。それは普通の事だが、何もないことに比べればとても幸せなことであることが分かった。私は何を求めているのだろうか。私は一体、カケルに何を願ったのであろうか。
カケルから大切なことに気付かされた気がする。
私の体を消すことを悪戯気分で行われたのはいただけないが、そりゃあ三百年ぶりの自由だったらあれだけ浮足立つのも納得できる、、、かな。今はちょっとだけ優しくしてもいいと思おう。飴玉くらいなら毎日あげてやろう。
そう思った私は、カケルとそれから風呂場で歓談しながら、これからの事について、少しだけ話し合った。