悪魔の正体と、祠の居場所
5月2日(土)/朝
少し前まで朝でも暗い日が続いていたというのに、ここ最近は朝もすっかり明るくなってきていた。早めにセットした目覚ましからけたたましく音楽が鳴っている。
「いま、なんじぃ?」
寝ぼけ眼をこすりながら時間を見ようと時計を探していると、
「今は5時半だ」
もう既に聞き慣れた声が私の腕から聞こえてくる。口だけの何かがまた私の右腕に張り付いている。
「....やっぱり夢じゃないんだね」
自分の腕にある不気味で摩訶不思議な口を見たら一気に眠気が覚めた。この光景は寝起きに悪すぎる。
「なんだ?まだ寝起きで寝ぼけてるのか?早く目を覚ませ」
「もう一回寝れば今度こそ覚めないかな」
もぞもぞと布団の中に体を入れ、右腕を掛布団に押し付ける。
「む、無理だ。モゴモゴ、早く起きて飯を食え。モゴ、今日は僕の体を探しに行くんだろ。」
布団の中からモゴモゴ喋っている。そういえば、そんな話だったなあ。しかしその前に。
「ねえ。なんでまた私の腕に張り付いてるの?」
布団から右腕だけ出して口に対して問いかける。私の体に張り付かなければ生きていけないのであればまだしも、昨日は普通に離れていても大丈夫なことが分かっているのに。
「ぷはぁ。口だけでいるとどうにも納まりが悪いんだ。僕には今体が無いから。繋の体に張り付くってことは、早く自分の体を取り戻したいという意思の表れなんだろうな。仕方ないことさ。」
「何勝手に女子高生の体に入り込むことを無理矢理正当化して語ってるんだよ!」
にっこり笑って白い歯を剥きだしにしている口が憎たらしい。無性に腹立たしい。何当たり前のように17歳の女子高生の体に入り込んでいるのよこいつは。
顔が無いくせに満面の笑みを浮かべていることが分かるその口に向かって拳をふるう。振り下ろした拳は無駄に白く綺麗な歯に当たり、鈍い音が鳴った。
「いでっ!歯を殴る必要無いだろって!」
「歯以外殴る場所ないでしょうが!」
「ああ、それもそうか。」
殴られたというのに、納得している。
そして殴った個所に私は痛みを感じていない。痛いのはこいつの口だけで私の腕にはダメージは無いのか。
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なんで休日の朝から私はこんなことをすることになったのか。体の部位を探しに私たちは明朝から外へ出ることにした。時間は6時。田舎なので外を歩いている人はほとんどいない。眠気覚ましにも出かけるならこのくらいの時間がいいだろう。
「朝ごはん食べる前から行くとは。やる気は充分あるんだな、繋」
「別に、犬の散歩ついでに探しに行くだけよ。マシ!散歩行くよ!」
「ワウッ!」
小さい頃から飼ってるマシが、犬小屋からテチテチ出てくる。
「え、僕の体探しは犬の散歩のついでなのか?」
「なんか文句あるの?マシは昔からこの町を散歩するのが好きなんだよ。ねーー」
「ワウンッ!」
「よーしよしよし。えーへへへ。散歩いくぞぉ♡」
「なんだその反応。か、かわいいかよ。でもこれ、ついでにすらなってないんじゃないか?」
不満を漏らしているこいつを無視しながら、私はマシと共に体を探しに出発することにした。といってもどこにあるのか分からないので、マシの散歩コースをいつも通りに歩き出す。その道中、昨日から気になっていたことを聞きながら歩いた。
「ねえ、この契約って願い事を叶えれば終わるんだよね」
「ああ。基本的にはそれで終わるよ」
「体を探すという願いを叶えれば、この契約は完了するの?」
「いや、繋の願いも叶える必要がある。願いの叶え合いっこ。それが僕たちの契約。繋との約束。昨日も言ったと思うんだけどね」
正直なこと言うと、私は自分の願い事が分かってない。「何かをください」というお願いをしたことは分かっているが、何かって何なんだろう。その何かをどうやって得ればいいのだろう。
「私の願いはスルーするっていうことはできないのか。別に叶えなくてもいい」
「それを僕が手伝うんだよ。繋の思う何かというのを一緒に考え、繋が欲しい何かを一緒に探す。それならきっとこの曖昧な願いも叶うし、曖昧な関係も終わるよ。」
随分私の願いを曖昧という表現で表しているが、お前の願いも大概だろうに。
「それに、片方だけ願いを叶えるって言うのは、甚だしく傲慢ってもんさ。自分の願いを叶えるために手伝ってもらっているというのに、逆に願いは叶えずに終わるだなんて、誰が見たって、自分勝手すぎるし、契約者として業腹さ。そう思わないか?」
「じゃあ、早く見つけないとね。私の願いも、全身の体も。」
「えらくパサパサしてるんだな。そんなに僕と一緒にいるのが嫌なのか」
「パサパサって何?あっさりでしょ?もしくはサバサバとか。私を体に水分足りてない人みたいに言わないで。」
「案外、パサパサが正確な感想だと思うんだけどね」
「ていうか契約契約って何回も誇張して言ってるけど、『実は悪魔でした!』とかじゃ、ないよね」
契約や願いにうるさいといえば悪魔が真っ先に思い浮かぶ。私は悪魔に願いを吐露してしまったのではないか。そんな疑問が残る。
「悪魔って!んなっはっはっは!悪魔!んなっはっはっはっはっは!!なんだ繋。そんな偶像を信じてるのか?んなっはっはっは!!」
私の疑問を聞いてすぐに、こいつは声高高に私の疑問を笑い飛ばした。
「うるさい!そんな大きい声で笑うな!誰かが聞いてたらどうするの!」
「ああ、どうせ周りに人はいないんだから、これくらい叫んでも大丈夫だろう」
こんなに大きい声が周りに響いてるとなると、いくら田舎であっても誰が聞いてるか分からない。それに周りからすれば、どう見ても私一人しかいないのに、私から二人分の声がするのだ。携帯で話しているって勘違いされるのかな。そうだ、私は右腕に向かって話しかけているのだ。腕時計型の携帯で話しているんだ、くらいの感じで、この町の年寄りは勘違いしてくれるだろう。
「悪魔なんて結局人が作ったものだからな。人間は何か悪魔や敵がいなかったら周りのものと大同することもできないし、苦難を乗り越えることも、成長することもできない。生涯を通して何も変わることはない」
笑い飛ばした時とは打って変わって真剣な声音で語り始めた。
「敵なんていなくたって人間は成長できるんじゃない?私の人生には敵と呼べるような敵はいなかったけど、ここまで成長することができてるよ」
「それはただ体の成長に合わせて、環境に合わせて成長しただけだ。そこまでだったら敵がいなくたって誰でも成長はできる。そうじゃなくて僕が言いたいのは、人間は自分で定めた敵に対して、対抗心や嫉妬心を燃やすことで、進化してるという事だ。技術が進歩したから、新たな技術者の嫉妬心を生み、さらに新しい技術が生まれる。誰かが記録を伸ばしたから、その記録を超すことを目標に自分を鍛え、成長を促すものも生まれる。本当の精神の成長はそこからやってくる」
悔しいけど理屈は通ってる気がする。人間が精神的に成長するには、絶対に燃料が必要になるんだ。
対抗心や嫉妬心はその成長を促す薪としてすごい重要な役割を果たすんだろう。
「悪魔は個人単位ではなく、複数単位での敵を用意するために生まれた人間の創造物さ。いるはずのない存在に恐れおののき、それに対抗するために全員で団結し、乗り越えていくために必要な存在だったんだ。悪魔ってのは存在しないんだよ」
ではこいつはいったい何なのか。存在しない悪魔より、確実に存在しているこの存在は、私にとって何になるのか、本当に私にとっての悪魔になるのか。
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朝早くから起き、結構意気込んで出発した第一回目の捜索では、結局祠を見つけることができなかった。朝ご飯も食べずに一時間程ぶっ通しで歩くのは流石に疲れた。朝食を食べた後、自分の部屋に戻って不満を漏らす。
「はあ、祠ってどこにでもあるんじゃなかったのー?」
だらだらベットに横になりながら、私の腕から離れた口に向かって問いかける。
「祠は求める者の前に現れるのが原則。別に、僕の体を求めてるわけじゃない繋の前には現れないってことなんだな」
「おい!じゃあ私はどうすりゃいいんだよ!」
明朝から歩いた苦労は何だったのか、私は無駄に力を入れて声を荒げた。
「大丈夫だって。祠はこの町を出ることはないから、探し続ければいつか絶対に見つかるさ」
それを真っ先に言えよって言いたかったけど、実際この町って結構広くて、大変なのはあまり変わらないんだよな。
「もっと手っ取り早く見つけることとか、コツってあったりしないの?もう適当に歩くのは疲れて嫌だよお」
「祠は、祠から現れることはないけれど、現れた祠は見つけることができる」
なにそれ、なぞなぞ?なぞかけ?謎解き?クイズ?エニグマ?問題文にクエスチョンマークもエクスクラメーションマークもついてないじゃん。分からな過ぎて一文で5個もクエスチョンマーク使っちゃったよ。
「どういう事?わざと難しく言ってない?それ」
「これ、分かりにくかったか?」
「分かりやすく言ってよ。これでも昨日から頭抱えてんだからさ」
「嘘つけ。昨日は日付変わる頃には寝ただろ」
「現実とは思いたくなかったから早く寝ただけ。で、結局どういう意味なの」
「分かりやすく言うとさ、その場に留まったままの祠を見つけるって事、かな」
「その場に、留まったままの祠?」
その場に留まらない祠が逆にあるのか、やっぱり意味が分からない。
「祠っていうのは結構頻繁に求められるんだ。下校途中の繋の目の前に簡単に現れるくらいの感じでね。そもそも祠は、求められた人の近くに移動する性質を持つ。けれど逆に言えば、人から求められなければ移動することができないんだ。それに、人が日常生活の中で心から願望として祠を求めるのは、実際には一瞬だけ。信心深くない日本人は、初詣でお参りする時だけ神にお願いし、振り返ったらもう神を信じていない。そりゃその程度の信仰心や願望じゃ、祠の場所がコロコロ変わるわけだね。本気で必要としていないくせに、一瞬だけ願っては忘れてを繰り返し、無意識に、乱雑に、ランダムに祠を移動させてるんだから...本当に勝手だよ。」
「どうしたの?急に...」
若干の苛立ちを混ぜた声音で語るこいつに、昨夜ぶりの恐怖感を覚えた。
「じゃあ、祠は見つけようがないって事?」
「いや、目星はつけることができるよ。絶対じゃないけど」
「目星だけ、ね。今朝みたいに行き当たりばったりでやるよりはまだマシだね。どんな方法?」
「人が多い場所に行くってことが手っ取り早いかな」
「人が多い場所?」
「そう。願う人がバラバラではなく、集まってさえいれば、それほど難しくはない。人が集まっているってことは、そこに現れる確率も高くなるだろうし、ましてや、繋の目から見れば、その近くにポツンとある祠なんて異様に見えるでしょ。根気よくそこで待っておけばいつか必ず祠は現れるさ」
なるほど、人が多いところに出やすいというのは分かる。だが、
「で、この限界集落よろしく、もうほとんど出歩くような若者がいない限界突破した集落なこの田舎の町に、人が多いところっていったいどこにあるの?」
「へ?それは繋が知ってるんじゃないのか?駅とか、社交場とか」
「この町で一番人が集まるのは、病院か老人ホームじゃああああああ!!」