突然来た訪問者
5月1日(金)/夜
祠にお供え物をした日。私は家に帰ってマシ(という名の犬)と一緒に夕飯を食べ終え、貰った飴のお返しを部屋で一人、考えていた。
何を返そう。何がいいかな。貰ったのは飴玉一個だけなんだけど、彼から貰ったから妙に嬉しい。飴玉一個に対するちょうどいいお返し。恩返し。重くもなく軽くもなく。彼が喜びそうな物。自分で作ったお菓子?は重いかな。コンビニで買ったチロルチョコ?はどうだろうかな。
あーイヤだイヤだ。いちいちあいつのせいで自分の時間を取られるのも嫌だ。普通に恋をするのも、結局自分が普通であることを認めてるようで。
結局私は普通なのだろうな。私の人生は恋も普通で。
いや、厳密に言うと恋だけは少し普通ではないと言えるかもしれない。私の視点から見てみれば、普通の恋愛なのだが、彼の視点から見れば、ちょっとだけ普通ではないのだ。普通ではないというか、事情が違う。簡単に、簡潔に言うと私の恋は絶対に叶わない。
小学生の時から好きで、普遍的で不変な私の人生に、唯一の彩りとなってくれた人。
やばい。自分でもちょっとだけ顔を赤くなってるのが分かる。彼がただ気まぐれで私に飴をくれただけなのに。
机に手を置き突っ伏して考えている。
「もういいやっ。何も渡さない。そもそも飴玉一個貰ったくらいでなんだってんだ。飴玉を一個くれただけであいつが私に気があるわけじゃない。そうだそうだ。私も諦めるって決めたんだ。そもそも貰った飴玉は変な祠にお供えしちゃったんだし。これはもう貰ってないってもんだよね」
自分に言い聞かせるように顔を上げて宣言する。
「何も返さない」
自分の心を整理し、けじめをつけた後。明日の予習でもしようと考えた時だった。
「約束を、叶えに来たぞ」
まだ声変わりしたての少年のような、しかしどこか偉そうで笑っているような声音で唐突にそんなことを言われた気がした。
「だ、だり!!」
びっくりして素っ頓狂な声を出してしまった。"ダリ"じゃなくて"誰"だ。髭は生やさん。
自分に語り掛けてきた方向。声がした方角。とっさに窓の外を見たが二階にある私の部屋の窓には、何も映っていない。もう帰り道のような薄暗い空ではなく、完全に真っ暗な空が映っている。
「私って霊感ある方だっけ。友達にも家族にも、幽霊が見える人なんていないよね」
変な声が聞こえてきたのは、自分の体質が変わったのか、それとも夜ご飯をお腹いっぱい食べて寝ぼけているのか。椅子から跳びあがって、仁王立ちのままなんとなく考えてみる。頭は全然冴えている。むしろ変な考え事をしていたせいで、眠気なんて吹っ飛んでいる。
「うくっくっくっく、、、、食ったぁ。食ったぞ。僕はお前を食った。もう逃げられない。くっくっくっく。くふっはっは、、」
また同じ声が聞こえた。さっきよりも偉そうな、そして今回は明らかに笑っている。これはもう聞き間違いじゃないよね。
まずいまずい。何がまずいか分からないが人生初の体験に私の体が竦んでいるのが分かった。
コンッ キュリィ ギュグリィ
窓ガラスに何か当たって何かが押し付けられる音がした。
「中に入ろうとしてるのか?!人だ!」
うわあああああああああああああああああああああああああああああ!!!
心の中で叫んだのか、実際に口に出したのか、もう分からないくらい焦っていた。
こいつは追ってきてる。自分に向かってきている。確信した。しかし今家の中には家族がいない。
「こっここっけけいさつこっこっこうばっっここうばんこっぼここうばばばっくっこ」
交番にいって警察呼ぶと警察が交番呼ぶから交番が警察をああもう何だか分からない。
とりあえず体は動いていたから靴を履き替える間もなく家の裏にある自転車小屋に駆け込んだ。
早く動け!鍵をはずせ!ギア6でぶっ飛ばしてやる!ぶっちぎらないと。
今思うと乗り始めからギア6は逆に重く遅いんだが、ギア数がいくつであろうとすでに関係なかった。
自転車に跨ったはいいが、ペダルにかけた足とは逆の足、地面についている左足がどうしても地面から離れない。脚は怖くてガクガクしてるのに足は全く動かない。左足が何かに踏まれている。
マシが私に向かってワンワン吠えていたらしいが、私の耳には届かなかった。マシの声より鮮明に耳に届くさっきの声が聞こえてきたから、、、
「なあおい。お前が僕に願い事してきたんだろ。叶えてやろうとして来たってのにな。逃げてもいいが逃げられると思うなよ。僕はもうお前が分かるんだからな。こうなったのはお前のせいでもあるんだが、お前のおかげでもあるんだぜ。ああああ楽しみ楽しみ。始まり始まり。」
明らかに後ろから耳元でささやかれたその言葉に対し、お前なんかに願い事なんてするわけないだろ、と言い返そうと思い後ろを振り返ったが、そこには声のような少年もいなかったし、今までテレビで見たような幽霊の姿も確認することができなかった。そこにあったのは
――――にやりと曲がり、ギラリと笑う口が、口だけがそこにあった。――――
体に力が入らなくなり、気が遠くなる中その視界でこの世のものとは思えないものを見た。
こいつには、この怪物には、体と呼べるような部位が、無かった。