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Invisible Body   作者: 阿久
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枯芝美来は息を吸う

 「あの、始めていいですか」


 どうやら枯芝ちゃんの心の準備ができたらしい。私も椅子に座ったまま彼女の事を正面から見据えていた。今から歌って、自分の体の事を証明するのならば私も歌を聞く準備をせねばなるまい。


 「いいよ。聞かせて」


 彼女は今、音楽室の中央で不安な表情ながら足を肩幅まで広げ拳を軽く握っている。緊張しているのだろうか。

 というかなんだか、私も緊張してきた。

 ふぅ、と彼女が肺の中の空気を抜いた。

 そして強張りながらも今度は、大きく肩を動かして息を吸った。大きく。深く。歌う為に吸った。


 「すうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 彼女が、息を吸い。後輩が、歌を。今から、、、


 「吸うううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 「、、、、、これ、空気吸い過ぎじゃねえ?」


 いくらなんでもこれもう、呼吸っていうか、吸引になってるじゃんか!明らかに人間が一吸いで吸い上げる空気の量を越している。度を越している!

 人間のこんなに長い呼吸音をここまではっきり聞いたことが無い。


 「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」

 「おい繋、用心しといた方がいいんじゃないか?」


 ついさっきまで一言も発さず、普段は寡言とはとてもかけ離れているだけに、何も喋らないのが気持ちが悪いくらいに黙りこくっていたカケルが、用心するように警告してきた。


 「これは、まずいだろ」


 カケルの言う通り、確かにまずいと思う。が、それ以上に私は私の目を疑った。


 「まずい以上にこれはどう見てもおかしいって」


 先程から空気を吸い続けている枯芝 美来の胴体部分が、異様なほど膨らんでいた。人間ではあり得ないほどに大きく、まるで今にも破裂しそうなほど大きな風船のように。しかもまだ止まる様子なく膨らみ続けている。


 「これが、枯芝ちゃんの体に宿った体の一部、なの?」


 彼女は今、枯芝 美来は今、元々の華奢な体躯とは似ても似つかないくらい膨らんだ胴体になっていた。正直気持ち悪い。アンバランスがすぎる。

 胴体。それが枯芝 美来の目の前に現れた祠の中身で、彼女の身に宿ったカケルの体の一部だった。ならば枯芝ちゃんはいったい何を願ったのだろう。

 ついさっき何も考えないように決意したが、想像だにしていなかった目の前の眺望に圧倒された私は、考えざるを得なかった。むしろ目の前の状況のみを見てしまうと、あまりの物恐ろしさに逃げ出してしまいそうになる。

 理性で考えていないと本能で逃げてしまいそうになる。

 だが、私が思考できる時間は悲しいことにそこまで長くなかった。


 「―――止まった」


 吸い始めて三十秒ほど経過しただろうか。枯芝ちゃんの胴体が膨らまなくなった。どうなってるんだ、あの体。膨らまないなら膨らまないなりに怖いものがある。破裂の前段階、じゃないよね。

 背丈を見るに背骨は伸びていないのだろう。おかしいのはあくまで胴体。お腹から胸にかけての部分が大きく膨らんでいる。なら、他の臓器はどうなってるの?

 改めて見てみると、やはり人間の領域ではないと感じる。


 「なあ繋、こいつの体はなんでこんな事になってるんだ?」

 「それは、枯芝ちゃんが自分の特技を披露したいと言ったからで」

 「は?急に何言ってるんだ?」


 やはりテンパってしまい着いていけなくなった私は、呆然とする頭で適当な事を抜かしてしまった。


 「これは特技じゃなくて、披露しようとしたのは特異体質だろ。この女を世界面白人間にでもするつもりなのか。―――俺が聞きたいのは、こいつはなんでこんなにたくさん息を吸ってるんだって事だ」

 「それは、枯芝ちゃんが今から歌を歌うからで」

 「ならそれも明らかにおかしいだろ。歌を歌うのにわざわざこんなに息を吸う必要無いじゃないか」


 そうだ。枯芝ちゃんはどうしてこんなに息を吸ったのだろう。わざわざ胴体が膨れ上がるまで。

 私はまた考え始めた。さっきから考えては諦めて、そのすぐ後に新しい疑問を何度も思いついているが、一つも解決していない。否、数ある疑問の中で、一つだけは解決した。彼女が得た体の部位だけは分かった。それだけは分かった。それだけしか分からなかった。

 だが彼女はもう、最後に出た疑問を考える時間だけは、くれることは無かった。


 「あ、あ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」


 それは、歌というより、もはや絶叫、いや、それよりもふさわしいのは叫喚だった。

 枯芝美来が、大きく口を開けて叫喚しているその姿はまるで、今まで抑え込んできたものを一生懸命吐き出している、若さ特有の叫び声に聞こえた。

 そしてその、とても華奢な女の子の声とも綺麗な歌ともとれないその叫び声に私は、思わず気を失ってしまった。

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