その四、迎撃
前回のお話、訂正があります。
北の谷×
北東の谷○
視野が明瞭になった。
かかっていた白い薄絹が気づけばなくなり、足元のシダも目の前にいる同輩の顔もはっきりとわかる。前方にいる秀吉の兜も見えた。後ろ立ての馬藺の一枚一枚が日を浴びている。
霧が晴れたのだ。
突撃、開始。
城を包囲していた兵たちは一斉に崖をよじ登り始めた。敵の矢を怖がっていては一番乗りは手に入らない。
砂糖の山に群がる蟻のごとく。兵どもはとどまることがない。本丸に侵入しろ、門を破るのは誰だ、我こそが――!
一人の兵が虎口の手前にたどり着くかという時、彼は倒れた。突然のことであったのですぐ後ろにいた同輩も体勢を崩し乗っかる形で転んだ。起き上がろうとしたが、できなかった。喉元に矢が刺さったからだ。
待ち構えていた阿坂の兵たちが見張り台から一斉に矢を放ったのだ。
虎口だけではない。北側に廻って這い上がっていた者たちも一斉射撃を食らった。矢で射られる者、礫に目をつぶされた者――。雪崩のように兵たちは斜面を転がり落ちていく。
落ちた先にも容赦なく矢の雨が降ってくる。とりあえず退かねばならない。矢から逃げまどった者は今度は竪堀にはまった。
しまった!
這い出ようとするも互いに押し合い味方を踏みつける。そこを阿坂の鉄砲組が上から狙う。味方を踏み台にして這い出た者は弾にあたり再び竪堀の中に落ちて行ったのである。
味方の惨状を目の当たりにした兵どもは、これはダメだと判断し、谷の西側の森へ逃げ込もうとする者もいれば、ひるまず再び斜面へ駆け上がろうとする者もいた。
駆け上がろうとした勇ある者は岸壁の土くれに足をかけた瞬間に矢で射られた。
森へと向かったものは――、無惨……。
そこには北畠の兵たちが弓矢、あるいは槍をかまえて待っていたのである。
八田城からの援軍だ。彼らは霧の中を城の後方の尾根伝いに移動し、森の奥から秀吉の兵たちの動きを凝視していたのである。地の利をなめてはいけない。
逃げ場を求めた秀吉の兵たちはさらに西側へといっせいに走った。そこには、六十間もの長さの竪堀が――。堀の底から天に向かって鋭く斬られた竹が乱立していた。
前にも横にも進めない。兵たちは城壁を見上げた。察したのである。罠にかかったことを。
土塁から無数の顔がのぞいている。老人、女、中には年端もいかぬような顔も。家を焼かれ里を追われ城に逃げ込んだ民である。
恨み。怒り。そして矜持。
それらを礫や矢にこめて――。
「織田め!」
崖下の兵たち目がけて放たれた。
◇◇◇
歓声がわく。城内の民は高揚していた。
「織田のやつらめ! 尻尾巻いて帰りやがれ!」
秀吉の兵の亡骸が堀を埋め尽くしている。勝った! 我らは勝ったのだ! 鉄砲組も弓矢組も拳をあげて喜んでいる。多気丸少年も隣り合わせた百姓の童たちと飛び跳ねた。皆、勝利に酔いしれていた。
その中で一人、冷静な男がいた。櫓の上にいる大宮大之丞である。
彼は大きく息を吐いた。矢を番える。そして弓をひいた――。
阿坂城の戦いについて詳しいことを記している一級史料がないんですよね。私の調べ方が悪くて見つけられていないだけかもしれませんが;
なので今回のお話は「太閤記」「勢州軍記」などの記述をベースにした部分一割、残りの九割は私の妄想です。軍事的に見ておかしいところはあるとは思いますが、あたたかい目で見ていただけたら嬉しいです。
参考文献
福井健二・竹田憲治・中井均『三重の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版
宮崎有祥『南朝と伊勢国司』
斉藤拙堂『伊勢国司記略』
神戸良政『勢州軍記』
『太閤記』国立国会図書館デジタルコレクション