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死にかけ姫は、覇王となる  作者: 桜ノ宮
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過去は戻らないのです

「ん~」


 アンレッティは、窓から眼下を見下ろしながら唸った。

 素晴らしい庭園が広がっていた。その奥には、街並みが小さく見える。


「飛び降りたら痛そう……」


 レイティスを探そうと部屋を飛び出したアンレッティだったが、護衛兵に止められたのだ。

 いわく、大切なこの身を危険にさらすことはできない。必要な物はすべて用意させるから、一歩も出てはいけない、と。

 片翼であるハルヴァートの許可が下りた場合のみ、外に出ることができるのだ。


(この城内に、どんな危険があるというのかしら?)


 こんなに狭い檻の中に閉じこめられたら、なにもできないではないか。

 前玉藍子もまんじりとしながら過ごしていたのだろうか?

 名前も知らない四つ年上の兄。

 狂気に満ちた双眸だけが記憶に残っている。


(でも、お兄様は、外へ出られたわ)


 だれにも見つからずに。

 きっと、抜け穴があるはずだ。

 スノーランはアンレッティの代わりにレイティスを探しに行ってくれているが、彼女だけに負担を強いるわけにはいかない。


「小説だと、棚を動かすと後ろに隠し扉があるんだけどな」


 黄金の棚には、本が整然と並んでいた。

 動かすだけでも一苦労だろう。

 ん~っと力を入れるけれど、びくともしない。


「あら~ン。非力ネェ」


 突然聞こえてきた声に、アンレッティはパッと顔を上げた。


「導師様!」

「ンふふっ、大変なことになってるみたいネェ」


 空中に寝そべりながら暢気に話す魔導師アンブリジェ。


「結界を壊すなんて、なかなか面白いことをしてくれたじゃないの。あの坊やは」

「見てたなら、助けてくれればよかったのに」


 魔導師アンブリジェは、腕を伸ばすとアンレッティの鼻をぴんっと弾いた。

 いたっと鼻を押さえる彼女を鼻で笑う。


「なぜこの偉大なる魔導師であるアタシが手を貸さないといけないの? 自分の不始末は自分でするものヨ」

「聖王は助けたくせに……」

「ンふふっ、いい男だったからネ! 彼のためだったら馬車馬のように働いたわヨ。でも、今の王は駄目ネ。アタシ、ちっともときめかないもの。呪いを厭い。狸どもの言いなりになって、聡明だった眼が曇っているわ」

「わたしが王になれなかったら、呪いは続くの?」

「憎しみは晴れることはないのヨ、お馬鹿さん。永遠にネ……。アタシが気づいたときには、もう手遅れだった。完成された邪術は、すべての魔導師を集めても打ち砕くことはできなかったわ」


 魔導師アンブリジェの双眸が悲しみに染まる。


「死してなお、深い闇に囚われているあの子を救えるのはきっとアンタだけ」

「そう、かな……」

「アタシはアンタだからソレを託したのヨ。信頼を裏切らないでちょうだいネ」


 首飾りを指さした魔導師アンブリジェは、薄く笑みを引いた。


「亡き王太后の魂を引き継いでいるんですもの。アンタならできるわ」

「お祖母様の?」

「彼女はアタシが認める数少ないイイ女の一人ヨ。アンタと同じ力強い紫水晶のような綺麗な眼と真っ直ぐな心を持っていたわ。でも、なにものにも染まらない真っさらな魂の持ち主だったから、闇に堕ちた者には眩しかったようでネ……。若くして命を落としたわ」


 彼の含んだ物言いになにが遭ったのか悟ったアンレッティは、表情を曇らせた。

 歴史書には塔から身を投げて自らの命を絶ったとあったが、それは真実ではないのかもしれない。

当時の側室たちは、王妃の座を虎視眈々と狙っていたようで、待望の王太子を産んだ王妃を妬ましく思っていたはずだ。

 もっとも、これは推察でしかなく、事実を知るのは亡くなった本人だけだ。


「彼女が生きていたなら、なにかが変わっていたかもしれないわネ」

「お祖母様も呪いを憂えていたの?」

「ええ。側室たちの産んだお姫さんが冷たい屍となる度に、涙にくれていたわ。愛情深い彼女が傍にいたら、アンタの父親も愛を知ることができたのにネ」

「お父様は愛を知らないの?」

「質問ばっかネ。まあ、でも、探求心は悪いことではないわ。……アンタの父親は、だれも愛してはいない悲しい男ヨ。アンタは父親に似なくて良かったわネ。愛されることも、愛することもちゃんと知っているわ。だからこそ、呪いを解きたいと思っているんでしょ?」

「……うん」


 戻らない過去を想って、アンレッティの視界が涙で歪んだ。

 キャッキャッとお日さまの下で響き渡っていた幼子の声が耳の奥にこだまする。

 一つ声が消えていく度に、離宮に暗雲が立ちこめるようだった。

 笑い声の代わりに、すすり泣く声が増えて。

 だれもが絶望していたあの頃。

 死に怯え、生きる気力を失い、ばたばたと倒れていく姉妹。


『死なないで! ひとりにしないでぇっ』


 病弱だったアンレッティを置いて、みんな逝ってしまった。

 残されたアンレッティを救ってくれたのはスノーランだった。

 両親から与えられなかった深い愛で慈しみ、守り、導いてくれた。


「いいこと? 前だけを見て進みなさい。その足下に数多の屍ができようと、振り返っては駄目。その首飾りを受け取ったなら、最後まで責任を持って為し得なさい」

「……」

「返事は?」

「……っ、はい!」

「ン、いい子」


 涙をぽろぽろと流すアンレッティの頭をぽんぽんと慰めるように叩いた魔導師アンブリジェは、もう片方の手で指を鳴らした。

 とたん、アンレッティがいくら押してもびくともしなかった棚がゆっくりと動き出した。


「手で動かすなんて、魔力の低い人間がやることヨ。アンタも王族の一員なんだから、覚えればこれくらいできるわヨ。坊やと同じようにネ」



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