やるときはやるのですっ
「新しい玉藍子にご挨拶を」
ハルヴァートが背筋を正すと、居並んでいた重鎮も一斉に頭を垂れた。
てっきりハルヴァート一人だと思っていたアンレッティは、ぱちくりと瞬くと、小首を傾げた。
「どうしたの?」
「お呼び立てして申し訳ない。仮とはいえ、貴女は玉藍子。この碧緑州を担う臣下をご紹介いたします」
一段高い玉座へと案内されたアンレッティの前に、次々と重鎮たちが膝を折った。
「この度のご着任、お慶び申し上げます」
「碧緑州に永久の平穏と繁栄をお与え下さい」
武を総括する護将と文を総括する智将の双璧をはじめ、七徒と呼ばれる各省庁の長官が祝いの口上を述べる。
けれどその眼光に柔らかさんさはなく、値踏みをするようにアンレッティを見つめていた。
「わたしは、なにをしたらいいの?」
一通りの紹介が終わると、目を輝かせながら訊いた。
一瞬、静まりかえる室内。
ぷっと吹き出したのは、この中でも年若い護将であった。圧倒的な力をもって、数々の武功をあげた彼は、歴代の護将に比べ、異例の早さで頂点に立った。
彼もまた、アンレッティと同じく、就任したばかりである。
前玉藍子が城内から抜け出したことに気づかなかった責任を取って、先の護将が辞任したのだ。
どこか飄々とした雰囲気が漂う彼は、赤毛の短髪が爽やかな男前であった。
「おっと、すいやせんね」
剣一本で成り上がった彼は、年上の先輩たちに睨みつけられても臆することなく、ひょいっと肩をすくめただけだった。
「貴女はなにもしなくてよいのです」
「なにも?」
思わず眉を潜めると、ハルヴァートがにこやかに頷いた。
「この州のことは、ワシがだれよりも知っています。片翼であるワシにすべてをお任せ下さい。貴女はただ、御力を注いでこの碧緑州を守って下さればいい」
「でも、玉藍子になるからには、役目を果たすわ。悲しむ民がいるのに、ぼんやりと見過ごすことはできないわ」
その言葉に、周囲から失笑が漏れた。
「これは異な事を。悲しむ民とはだれのことでしょう? 智将殿、民から嘆願書でも届いているか?」
「まさか! 閣下の管理下にあるからこそ、平穏な暮らしができているというのに。喜ぶ声はあれど、不平不満は聞いておりませぬ」
年かさの智将がそう答えた。
「でもっ、わたし、調べたのよ! 二年前の改革から、一部の人たちがもうける仕組みになってるって」
前玉藍子が行った改革は、食材市場の区分けである。
屋台を密集させることで、競合させ、よりよいものを提供する。
その思いから始まった取り組みは、けれど、そこに目をつけた者がいた。貴領の領主である。
食材市場がこれからの世の中で重要な位置を占めることを知った彼らは、さらなる重税を課して農民を苦しめたのだ。
農民が必死に田畑を耕して作り上げた作物も、すべて貴領の領主に吸い上げられてしまう。
私腹を肥やしたい領主は、収穫物を高値で売りさばくのである。
仕入れ値の高騰によって、屋台で提供する値も上がる。
目先の利益だけを追求するようになった悪徳屋台だと、客がよそ者だとわかれば、とんでもない金額をふっかけるのだ。ほかも同じような金額を提示するため、客には正確な単価がわからない。そのため、知らずに高額な買い物をしていくのだ。
これが、屋台ごとではなく、区が主導となって行っているのだから目も当てられない。
良心のある屋台はすべて区の管理者によって潰されるという。
アンレッティが食べた屋台の通りは、法外な金額をふっかけることはできないと反発したため、区分けから外されていた。
管理者は、反抗する屋台を目立たないように隅に追いやり、潰れるのを虎視眈々と待っていたのだ。
もちろん、管理者の不興を買った屋台に好きこのんで食べに行く住人はいない。
客の来ない屋台はたたむしかない。
残るのは、管理者に守られた悪徳屋台だけだ。
そう訴えると、ようやくハルヴァートも顔色を変えた。
「それが真実ならば、由々しきこと。すぐに調べて報告しなさい」
「御意」
智将が頭を下げて出て行った。
入れ違いに、侍従が入ってくる。
「ああ、ちょうどよい。しばし、歓談にしよう」
ハルヴァートは、侍女たちにお茶会の用意をさせた。
お茶会から戻ったアンレッティは、レイティスとスノーランに見聞きしたことをすべて語った。
「――それでね、ハルヴァートってすごいのよ! 一目見ただけで内容を把握しちゃうんだから。ずっと片翼だったことだけあるわ」
「あらあら、姫様はハルヴァート様のことがお気に入りですわね」
興奮したように頬を薔薇色に染め、紫水晶のように双眸を煌めかすアンレッティを微笑ましく見つめながら相づちを打った。
「だって、すごいもの。それに、悪辣な環境も改善するって約束してくれたのよ」
「おめでたい頭ですね」
トゲトゲしく口を挟んだのは、どこか苛立ったように眉を寄せていたレイティスだった。
「レイティス?」
「ああ、あなたが欲しかった片翼が見つかりましたからね。俺はもう不要でしょう」
「なに、言ってるの?」
アンレッティの顔が徐々に不安そうな色に染まる。
捨てられた子犬のように心細げな顔に気づいたレイティスは、発言を後悔するようにきゅっと唇を引き結ぶと、顔を俯かせた。
「……っ、少し頭を冷やしてきます」
「ぁ……」
思わず手が伸びたが、その手は彼に届くことはなかった。
ぱたんと閉じられた扉が、まるでアンレッティを拒絶しているように感じられた。
ふかふかのクッションに顔を埋めたアンレッティは、ぽつりと呟いた。
「スノーラン、わたし、レイティスを怒らせちゃったの?」
「ふふふっ。嫉妬なさっているのですよ。大人びて見えても、レイティス殿は子供ですわね」
「スノーランの言葉は難しいわ」
「いいのですよ、理解なさらなくて」
スノーランは、母親のように慈愛に満ちた眼差しでアンレッティを見つめた。
「そういえば、姫様、少しふっくらされましたね」
「本当? いっぱい食べられて幸せだわ」
「姫様ったら、食べ物のことばかり」
「だって、空腹は辛いもの……」
アンレッティの双眸が翳りを帯びる。
「姫様……」
「なんだか、こうして二人っきりなのも久しぶりだね。離宮にいる頃に戻ったみたい」
アンレッティは、懐かしそうに目を細めた。
一ヶ月も経ってないないというのに、ずいぶん昔のように感じる。
「いろいろと慌ただしかったですからね。こうしてのんびりするのも、たまにはよいでしょう。正式に玉藍子となれば、きっと忙しくなりますわ。お披露目式もあるでしょうし」
「でも、そしたら、次の旅に出ないと」
「……いくらなんでも、二年間で国を治めるのは無茶ですわ。あまり、丈夫ではないのですから」
「それは、小さい頃の話! もう、走っても息切れしないし、健康体よ。わたし、決めたんだもの。お姉様や妹の分まで生きるって。わたしの代で、呪いを終わらせるって」
「――黄昏の魔女も、酷な宿命を与えますね」
スノーランは辛そうに顔を歪めた。
黄昏の魔女こそが諸悪の元凶だ。
黄昏の魔女が授かった赤子を第五代の武王が殺めたという。それが女の子だったことから、同じ苦しみを王に味わわせるために呪いをかけたそうだ。
「黄昏の魔女も苦しかったのよ……」
「姫様はお優しすぎです!」
憤るスノーランをアンレッティは困ったように見つめた。
黄昏の魔女に関する書物はほとんどない。
魔導師アンブリジェの愛弟子として、戦乱の時代に活躍したという一文があるだけだ。どのような生まれで、どのように生きたか記してある書物は、すべて禁書となって焼き払われてしまった。
だからアンレッティの知識も、魔導師アンブリジェから聞かされた内容しか知らない。
「ん……ちょっと苦い?」
気分を落ち着かせるように冷めた紅茶を口に含んだアンレッティは、目を見開いた。
「申し訳ございません。蜂蜜が足りなかったようですわね。前玉藍子がお好きだったという茶葉をお借りしたのですが、姫様の舌には合いませんでした?」
「ううん。ちょっと……びっくりしただけ」
「さようでございますか。ここは、食材も豊かですから、毎日違ったものをご用意しまいすね。腕が鳴りますわ。……あ、けれど、城には立派な料理長殿がおりますから、わたくしがご用意できるのは、飲み物くらいですわね」
残念そうに肩を落とすスノーラン。
「スノーランもたまに作ってくれると嬉しい。わたし、スノーランの料理大好きだもの」
「まあ、姫様! 嬉しいことをっ」
笑顔を取り戻したスノーランは、ふといたずらを思いついた子供のように含み笑いを漏らした。
「レイティス殿にも、ちゃんと言葉で伝えてくださいね」
「? なにを伝えるの?」
「もちろん気持ちですわ」
「気持ち……」
アンレッティの脳裏に、苦しげなレイティスの顔が浮かぶ。
きゅっと胸が痛くなった。
「一緒にいたいのなら、いたいと告げないと、離れていってしまいますわよ」
ああ、そうか。
レイティスは自分の片翼ではなかった。
父や兄が命じれば、簡単に傍からいなくなってしまうのだ。
「レイティスを探してくる!」
「はい、いってらっしゃいませ」




