咆吼
この部屋は気持ちがいい。季節は六月、外は雨だと言うのに一年中変わらぬ温度と湿度に保たれている。暑さには自信があるが、体を芯から腐らせるこの国特有のまとわりつく湿った空気は嫌いだ。野蛮人達は梅雨と称して風流ぶっているが、痩せ我慢に過ぎない。
俺はまだ力を失っていない。こんな部屋に押し込められる理由がわからない。少しばかし長生きしているが、この部屋の古顔達に比べればまだまだ若い。困ったことに奴等は自分の価値を年で評価し、若い俺を小馬鹿にする。ここを訪ねる者の多くが、俺にばかり注目するから嫉妬しているのかも知れない。だが俺の本当の力を知ったら、俺の顔をまともに見られないだろう。その位自身で言うのもなんだが、俺は大物なのだ。
俺達一族は、世界のあらゆる場所で力を誇示している。俺達の存在無しでは世の中が成り立たないと言っても過言ではない。ずっと前からそうだった。他の誰よりも血筋がいいのだ。その証拠に、親父はこの国に来た時の話をよく聞かせてくれたものだ。
「わしらが二人でこの国に来た時のことは、忘れられない。野蛮人ども取り囲んだ。わしらが珍しかったのだろうな。主人に言われてひと吠えすると腰を抜かした。愉快だった」
俺は親父と同じ力を持って、この国で生まれた。生まれた時から俺は目立った。そんな俺だから主人はとても大事にしてくれた。何と言っても俺、いや俺達が力を十分に発揮すれば、とてつもない地位と富を手に入れられるのだから。
俺達の唯一の欠点は、続けて吠えられないことだ。一度吠えると、次に吠えるまで時間がかかった。それに雨の日にも弱かった。今の後輩達に話すと信じてくれないが、この俺が言うのだから間違いない。
俺達の力が広まると、欲深い野蛮人達が群がり始めた。俺達がいるだけで他者を圧倒できるのだから、当然と言えば当然だ。だが俺達を多く抱えられるほど財力のある者は少なかった。何しろ俺達には驚くほどの金がかかるのだ。だから力を誇示するため、ほんの少し抱えて自慢する者がほとんどだった。俺は主人なぞ誰でもよかったが、俺達を正当に評価できる者がいないのは寂しかった。珍しいお飾りのままで終わりたくなかった。
「おい、こんな使われ方をするために、俺達はここに来たのか?」
仲間が愚痴る。ひと吠えだけで役目を終える場合がほとんどだったからだ。消化不良で、もやもやとした気持ちそのままに、次の出番をずっと待つのは結構つらいものだった。
「仕方がない。野蛮人どもが俺達に目を付けただけでも上出来だ。褒めてやってもいい。運がよければ二度、三度は吠えられるし、それで満足するしかない」
俺達はこう自身に言い聞かせるしかなかった。
苦難続きだった俺達にもやっと光が射した。俺達を使いこなす男が現れたのだ。その頃はまだ野蛮じみた格好をしていたが、一目で俺の本質を見抜いた。先を見通せる目がないとその時代は生きられなかった。奴は俺達を手に入れるために大金を平然と払った。
新しい主人は、この国の野蛮人も霞むほどの際立った野蛮人だった。その上疑り深くて冷酷だった。誰もが奴に睨まれると震え上がった。何しろ何千人、何万人もの命を奪っても涼しい顔をしていた。それに奴の頭には神は存在しないのだから始末が悪い。こんな奴を相手にしなければならない者に俺は同情した。この俺が同情するくらいだからその性格がわかるだろう。
名前?もう昔のことで思い出せない。まだ俺が血気盛んな頃の話で、主人を主人と思っていない時だから仕方ないだろう。確か自身を『魔王』と称していたな。ただその名にふさわしく奴のしでかした出来事は、鮮烈な印象で今も脳裏に焼き付いている。
その話をしてやろう・・・。この国の歴史というものには興味がないから、何時の時代と正確には言えない。だが間違いなく俺は奴と一緒にそこにいた。
雨上がりの陰鬱な場所で、霧が立ち込めていた。ようやく朝になったばかりだったな。俺達は吠える用意を整え、襲って来る野蛮人を今か今かと待っていた。魔王は金にものを言わせて大勢の仲間を集めていた。それまで俺も二、三百の仲間と吠えた経験はあったが、その何倍もの数だった。多すぎて俺にも数え切れなかった。
集められた仲間達は舞い上がっていたが、俺は意外と冷静だった。俺達の数を知ったら、襲って来ないと予想していたからだ。だが・・・野蛮人は野蛮人だった。いくら何でもあれほどばかとは思わなかった。真正面からまともに集団で襲って来たのだ。
魔王は舌なめずりした。奴の思惑通りに進んでいる。俺達は命じられて一斉に吠えた。
野蛮人の大半がもんどり打って倒れる。皆現実を信じられない面相だった。
俺はこれで奴等が引き下がると思った。この状況だったらそうするしかないはずだ。だが・・・懲りずにまた襲って来た。一度吠えたら俺達の役目が終わると、浅知恵で思ったに違いない。実際俺達はどこでもそんな使われ方ばかりだった。しかし今回は違っていた。野蛮人が考えた以上に俺達は多かったのだ。次の仲間達が吠える。野蛮人のほとんどが倒れる。もう終わりだ・・・俺はそう確信した。
俺の考えは見事に覆された。合図の太鼓が鳴り止まない。奴等には恐れの感情がないらしい。いや、この状況を信じたくないのだ。何と三番手が現れ、また向かって来た。悪夢から目覚めるまで、奴等は何度でもやって来る気に違いなかった。もう吠えられないと考え突進したのだろうが、俺達にはまだ吠えていない者が残っていた。仲間達は横一列に並ぶと一斉に吠えた。俺達の口臭が流れる中、奴等がまた倒れる。
奴等の悪夢はまだ覚めない。三番手に続いて四番手が現れ、同じやり方で襲って来た。今度は俺の番だ。最初の吠えから十分時間が経っていた。手加減などする気もない。奴等の顔がはっきり見えるまで引き付け、大きく吠えた。奴等が転がり落ちる・・・。
それからは一方的だった。何度も何度も奴等は襲って来た。俺達はその都度余裕を持って待ち構え、吠えまくった。一度吠えたら二度休める。疲れなど感じなかった。空虚な時間が流れ、風上から嫌な臭いが漂う。今でも忘れられない野蛮人達の死臭だ。
俺達が吠えるのを止めた時、相手の野蛮人達の姿は消え、主人の魔王は勝利を叫んだ。
魔王のその後?聞いていない。俺達は休むのを許されずあちこち連れ回されたからな。海を渡って他国にも行った。野蛮人達は俺達の力に頼らないと欲望を満たせないのだ。
仲間同士が敵味方に別れて、吠え合ったこともある。それでも互いに悪感情は持たない。俺達は吠えられても痛くもかゆくもない。頑丈な体に感謝した。
しばらくして平穏な世になった。国がようやく統一され、野蛮人達も穏やかな暮らしを好むようになった。それからは吠えなくてもよくなった。しかし今度は俺達に監視の目が光った。俺達の底知れぬ力を悪用する者を恐れたのだ。俺達は勝手に動くことや主人を変えることを禁じられた。仲間達と集まるのは特に御法度だった。
住み辛い世になったと嘆く者もいたが、俺には好都合だった。俺は年とともに吠えるのが嫌になっていた。欲深い野蛮人達がどうなってもいいが、その妻や子供が悲しむ姿を見るのが辛くなった。悟ったとも言えるのかも知れない。一番いい時代を俺は生きていた。
俺が再び吠えたのはずっと後になってからだ。のんびり暮らしていたある日、若い男が勇んでやって来た。その目には、懐かしい以前の野蛮人の狂気が宿っていた。
「父上、お上に手向かう輩を討ち果たします。こいつを私に貸して下さい」
「しっかりやって来い。手入れは怠っていない。立派に奉公するのだぞ」
俺は若者の家で大事にされ、父親は誠心誠意世話してくれていた。おかげで俺の体調はすこぶるいい。命じられればいつでも吠えられる。ここは平穏に暮らしたいという自分の思いを断ち切って、若者に力を貸してやることにした。
若者と俺は出発した。
『恩返し』の意味を学んだ俺は意気揚々としていた。息子に大手柄を立てさせてやりたかった。あの魔王のように大きく育って欲しかったのだ。
仲間達と久し振りに会った。皆大事にされていたようで、体に傷を持つ者はいなかった。俺達の後に生まれた者も大勢いた。確かに俺達よりずっと洗練され見栄えはいいが、俺は負ける気がしなかった。吠え方は変わっていないのを知っていたからだ。その中に初めて会う新種達もいた。新種だけに従来の吠え方と違うらしいが、聞いたことがない。早く聞いてみたいと思った。
相手の弱さを主人が仲間達と話し合う。以前も勝利したらしい。今度も相手数を凌いでいる余裕からか、誰一人様子を探りに行こうともしない。俺は少し不安を感じた。
・・・いいのか?相手を知らないままにのんびりして・・・
いつかの野蛮人達の無意味な突進を覚えている俺はもどかしい。主人にこう助言したいがそれはできない。俺の予感は案外当たる。大切にしてくれた父親の顔を思い出すと心が揺れた。
「おい、君。君達では相手にならない。怪我しないように気をつけろよ」
俺に話しかけてきたのは、吠え方が気になる存在の新顔だった。奴の問いかけにむっとした。大人気なかったが、きつい言葉で言い返す。
「失礼な奴だな。言葉に気をつけろ。ここに遊びに来たわけではないぞ」
「すみません。でも現実を伝えたいのです」
新顔は真面目な奴だった。真剣に語り始めた。俺はその話に引き込まれていく。
「本当にそうなのか?」
「本当です。お話したように私の吠え方はあなた達と違います。あなたの思う以上に早く、遠くまで吠えられます。そして悪いことに、相手は私達の仲間がほとんどです。あなたと同じ吠え方の仲間はいません」
俺は新顔の真摯な話し振りを信用した。相手は他国生まれの親父達の一族だ。俺達が自由に吠えられない間に、新しい吠え方を身につけたらしい。平穏に生きるにはどちらがいいのかは明白だが、乱れた世では後悔するしかない。悪い予感に捕らわれる。
いきなり遠吠えがした。相手が先に仕掛けて来た。見回したところ俺達の方がずっと多い。数が多い方が有利に決まっている。新顔の話を忘れて俺は有頂天になった。久々の興奮が俺を包む。
俺は仲間と吠えた。主人は仲間が突進し始めると、俺をその場に置いて駆け出した。若さに任せた無謀さを届かないと知っていたが、俺は必死で止めた。無論俺の声など聞こえない。肩を怒らせ先頭争いをして真一文字に突っ込んで行く。
主人が向かった先から、吠え声が聞こえる。遠目で見ると、主人は地面に伏せていた。他の仲間も同じ格好だ。まだ多くの者が元気そうにして吠え声が止むのを待っている。落ち着いたその姿に俺も一安心した。
願いが通じた。相手の吠え声は止み、あたりが静かになった。
この時を待っていた主人達が立ち上がって再び突進する。主人の顔は勝利を信じ切ったいい表情だ。俺は自分の心配が間違っているかとさえ思った。
その時だ。凄まじい吠え声が連続して起こった。
主人がつんのめるのが見えた。駆けていた勢いそのままに地面に転がった。主人ばかりではない。一緒にいた多くの仲間がばたばたと倒れる。
・・・ああ・・・あの時と一緒だ・・・
俺は生涯最高の吠え声を発した時の野蛮人の突進を思い出した。ただ違うのは俺達が打ちのめされる側に立っていることだった。
相手の姿が見えて来た。俺は相手の多さを想像したが、主人達よりはるかに少ない。
「おい、見ろ。こんな年代物で手向かったのか・・・呆れ果てるよ」
俺を指さして皆で笑い合っている。俺はこの時自分の時代が終わったのを実感した。
俺は新しい主人を得た。彼は俺を戦利品として国に持ち帰ったのだ。
俺は前の主人が命を失った理由を知った。海外生まれの新種の力を知らなかったせいだ。かつて俺を使い切ったあの男のように先を見据える目さえあれば、新時代の幕開けを見られたに違いない。厳格な父親の顔を思い浮かべると心が痛んだ。
若い主人の飾り物として生き始めた俺には、もう吠える機会はなかった。主人の側に置かれ、世の移りを見聞きするだけになってしまった。吠えられない寂しさはあったが、悲しくはなかった。なぜならば、野蛮人が発明と称するラジオ、映画、テレビを通じて俺達一族の順調な繁栄を見られたからだ。
長い時間が過ぎた。
俺達は今やこの国だけに留まらず、全世界にその居場所を広げた。醜い欲望を遂げようとする者達は争って俺達一族に大金を投じ、数え切れないほどに仲間を増やしてくれた。それに個々の力も際限なく伸ばしてくれた。おかげで奴等がどんなに肉体を鍛えても、俺の小さな吠え声の前では無力だ。今では俺達一族は何十回、何百回、何千回吠えても疲れない。遙か遠くまで信じられない程の大声を届けられるようになった。火を噴いて飛ぶ種族、全てを破壊する悪魔のような種族には力では敵わないが、長年培ってきた俺達の手軽さ、信頼性には奴等も一目置かざるを得ない。
野蛮人達は何と言っても俺達一族に頼り切っている。俺達の後ろ盾がなければ何もできないからだ。大人達は、自由のため、正義のため、平等のためといいながら、結局は自分の欲望のために利用する。子供達は小さな口で俺達の吠え声を真似し、友達と無邪気に遊ぶ。俺達の扱い方が上手い者が、大人にとっても子供にとってもヒーローなのだ。
俺達一族を多く抱えた者が善悪を問わず、正義を主張できる。最初は『談判』と呼ばれる詐術を使って解決しようとするが、行き詰まると俺達に言い寄り、最後にはこの力を当てにする。相手より優位に立てば都合よく歴史を書き換えられるからだ。野蛮人の中には、俺達一族がこの世界から消えるのを望む者もいる。平和で安心して暮らせる世界になると思っているのだ。しかし、それは絶対にあり得ないと心の中ではわかっている。『本音と建前』、この言葉を巧みに使い分けて、世の中を渡って行く。この国の野蛮人達はそれが実に上手い。俺の鉄の意志は過去の遺物かも知れない。
足音が聞こえ、小さなざわめきが起きる。またあのうるさい野蛮人達がやって来た。
「夕紀、こっちよ、こっち」
俺を見つけてその娘は友を呼んでいる。夕紀と呼ばれた娘が、ばたばたと足音をさせて駆けて来る。こんな場所では静かにすると知らないのか・・・
「ほら、あったわ。これよ、これ」
俺を指さして嬉しそうに叫ぶ。俺と同じ部屋にいる古顔達が、一斉に舌打ちする。いつもの光景だ。
「昨日のテレビで見たわ。写真を撮ろう」
フラッシュが光る。
・・・おい、おい・・・ここは撮影禁止だぞ・・・。近頃の娘の傍若無人振りは年々増している。昔のしとやかさはどうした?本当に世の中どうなることやら・・・
俺の胸の内など推し量れるはずがない。嘆く俺の前で夕紀が殊勝にも手帳を取り出すと、俺について書かれたプレートに目を向け、口に出しながら写し始めた。
「え〜と、火縄銃・・・。製造年代は千五百年代と推測される・・・なるほど・・・」
・・・どうせ丸っこい文字で書いているのだろう・・・
「火縄銃は千五百四十三年、ポルトガル人によって種子島に伝えられた。戦国時代に重なり各地の大名が争って使用した。中でも織田信長が三千丁用い、当時最強と言われた武田軍騎馬隊に勝利した長篠の戦いは有名である。江戸時代においては使用、移動が幕府によって厳しく制限された。そのため技術的進歩もなく、工芸品的扱いになった。幕末、戊辰戦争で幕府軍が使用したが、政府軍の輸入新式銃の威力の前には為す術がなかった」
俺は目を閉じて、自分が吠えた昔を思い出した。最初が『長篠の戦い』で、最後が『戊辰戦争』と初めて知った。名前をつけるとは野蛮人達にも少しは知恵がついた。俺達を一躍主役に押し上げてくれた魔王が『織田信長』で、今でもこの国では人気者らしい。奴に似た男は他国にもいたが、奴と同じく非業な死を遂げた。その時奴の命を断ったのは、子供でも操れる俺達一族で、野蛮人名でいうところの『ピストル』だった。
今この瞬間も、世界中で何千、何万もの俺達一族が吠えているはずだ。明日も明後日も同じだ。どうやらこの世界が終わるまで野蛮人達と共生する運命らしい。奴等の最後の一人が消える時も、その場に俺達一族がいると確信する。例えば俺の体はまだまだ壮健で、主人が命じればいつでも吠えられる。手入れさえよければ永遠の命を保てるのだ。
ふと気づくと娘達の姿も消え、静かな室内に戻った。俺達一族によって奴等の好きな言葉である『人生』とやらを狂わされる者が、これからも多く出て来るに違いない。俺はその中にさっきの娘達や彼女達の子供がいないことを願っている。




