六句 秘密の仕事
「ここにはあたし達しかいないじゃないの」
「あんたもしかしてお化けの友達でもいるのかい? なんてね。あはははは」
三人のおばちゃんがけらけら笑う。場の空気に合わせて、煌羽も笑う。
「あ、あはは、そうですよね。すみません私ったら。あはは……は……」
笑い事じゃなかった。完全にやらかした。
おばちゃん達が手を振って去って行く。それに手を振り返す煌羽の顔がだんだん歪む。どこからどう見ても作り笑いだと分かる表情になって、煌羽はその場に崩れ落ちた。
「凪……私は馬鹿だ……」
「だ、大丈夫か?」
凪の手がそっと背中に触れる。確かにここに凪はいる。それなのに、おばちゃん達に一人旅だと思われた。昼明を出た時からずっと凪と一緒だったから、煌羽は二人でのラブラブランデブーだと思い込んでいた。しかし、そう思っているのは煌羽だけだった。
「ねえねえ、君一人?」
境内で地面にへたり込む煌羽に、チャラチャラした若い男が近付いてきた。ナンパだろうか。
「よかったらオレと楽しいことしようぜ」
煌羽は男を睨みつける。鋭い眼光に、男が一瞬たじろぐ。
「私、一人じゃないんで。どっか行って下さい、ゴミクズ野郎」
いつもよりかなりトーンの低い声だった。男は少し首を傾げてから、「んだよ、男連れ、なのか……?」と呟いて去って行った。
若い女の子が旅行鞄を引っ提げて一人で歩いていて、声をかけられない方がおかしい。浮かれすぎていた煌羽は、はたから見ると自分が女子大生一人旅であることを完全に忘れていた。連れの男の姿が、煌羽以外には見えないということを。
煌羽のポケットで携帯電話のバイブが震えた。取り出して相手を確認する。携帯のサブディスプレイに表示されていたのは、『霊媒師協会関東支部』の文字だった。
雨夜煌羽は霊媒師だ。
霊力を持つ者が生まれなくなって久しい雨夜家に、ひっそりと生まれた霊能力者だった。少しだけ霊感がある、というような親戚数人が煌羽の能力に気付き、一族は歓喜した。とはいっても、煌羽に霊を呼び出す降霊や、霊を自分に憑依させる口寄せなどができるわけではない。彼女にできるのは、そこにいる霊と会話したり生者との間で通訳をしたりする交霊と、悪霊を祓う除霊の真似事くらいである。そもそも、イタコなどならまだしも、それくらいできれば霊媒師としては十分だ。煌羽に足りないのは、実戦経験だけだった。
メールを閉じ、煌羽は溜息をつく。
「なんだって言ってるんだ」
「凪と二人だけで行くなら油断するなだって……。ああああぁ、もう遅いよお……」
「この先気を付ければいいだろう」
「嫌でも目に付くよね、女子大生一人旅って」
「……確かに。すまない、俺が気付いていれば」
凪は生きた人間ではなかった。
実の名を宣忠という平安に生きた貴族であり、霊となった今は煌羽の式神としてそばに仕えていた。現代の世に馴染み過ぎた為か、髷を下ろして首の辺りで切った髪はワックスでおしゃれな感じに固められ、浅沓ではなくショートブーツを履き、腰からはチェーンアクセサリーをぶら下げていた。着ているのが束帯というのがせめてもの救いで、洋服を纏いでもしたら、ただのホストだ。
八坂神社を出た後も、行く先々でおばちゃんやチャラ男に声をかけられた。先日新聞に載っていた『ヒッチハイクで日本一周! 島根の大学生』という記事の所為もあるのだろうか。
「名所色々見て楽しかったはずなのに異常に疲れてる……。シャワー浴びたらもう寝よ……」
ホテルの部屋に着くなり、煌羽は鞄を放ってベッドにダイブした。明日が仕事だということは完全に頭から抜けているようだった。
投げ出されたサブバッグを拾っていた凪が、中のクリアファイルから落ちて来た紙切れとコピー用紙に目を止める。『十五日、□□に会う。□□に□□の家』。そして、何やら細かいメモが書き込まれたそれのコピーだった。
「おい、これって……」
ベッドの方を向くが、煌羽は服のまま眠ってしまっていた。
♪
これは遠い記憶。
私を呼ぶ声が聞こえた。
「鶴様、鶴様」
答えようと思ったけれど、口が、手が、足が、指が、体が、動かなかった。
「鶴様!」
声が遠くなる。
ごめん……凩の君……。
あの人の声が消えて、君の声がした。
「凪、凪、起きて。朝だよ」