四句 風流というは
家に帰るとポストに封筒が入っていた。北海道と隅に書かれたエゾシカの切手が貼ってある。晴彦からだ。
「まだ秘密」と凪に言って、煌羽は部屋で封筒を開ける。出てきたのは傘を差したカエルのイラストが付いた便箋と、件の紙切れのコピーだった。コピーには、随分書き込みがされていた。便箋を見ると、『こうかな』という言葉の後に、虫食いの部分が埋まった状態の文章が書かれていた。
『十五日、鶴様に会う。亥の刻に私の家』
その文章を見て、煌羽は息を呑んだ。小さく「つるさま」と呟く。
縁側は凪の特等席だ。春には桜が綺麗に見える。夏には瞬く星が見える。秋には虫の声が聞こえる。冬は寒いから苦手だが、雪が降れば美しい白銀を望むことができる。しかし、凪が感嘆するほどの雪が降ると、この東京では大騒ぎだ。雨夜家の親戚が多く暮らす北海道ではさらに降るのだと聞いて、さすがにそれは困るなとも思う。けれど、凪は縁側から見えるどんな風景も好きだった。
風は感じるものである。風の流れと書いて風流と言うのだから、雅とは風を感じることである。
凪はその考えのもと、暇があれば縁側で風を感じていた。それこそが、凪にとって至高の時だ。だから邪魔をする奴は許さない。
出会って間もない頃、ヒグラシの声に耳を傾けながら夕涼みをしていた凪に、煌羽がちょっかいをかけたことがあった。後ろから肩をつつかれた凪が振り返ると、頬に煌羽の指が刺さった。小学生並みの、かわいいいたずらだった。が、そのいたずらが凪の逆鱗に触れた。「あはは、引っ掛かったー」と笑っていた煌羽の表情が、自分を見て凍り付いたのを凪はよく覚えている。情趣を味わっている凪を刺激してはいけないということを、煌羽は身を持って知った。
今の時期は夜になると空に天馬の星が翔けている。今日の定例会で頼まれた調査の行先は京都。もうしばらくすると紅葉が美しい頃だろう。木々が織りなす赤や黄のグラデーションは、まるで染物のような美しさ。煌羽に出会う前、秋になると凪は家族でよく紅葉狩りに行っていた。視界いっぱいに広がる山の裾野も、車に揺られながら窓から見る額縁のような景色も、凪の心を震わせた。
「凪、起きてる?」
縁側に座ってついうとうとしていた凪は、はっとして振り返る。
「十四日に京都に行くよ。二泊三日。だから、準備しておいて」
「……大学はどうするんだ。平日だろう?」
「ぎりぎり夏休みだから」
「そうなのか」
「……別に遊ぶ約束した友達とかいないしね」
煌羽には友人と呼べる存在はいなかった。かつてはいたのだが、高校二年のあの日から、そういうものがそばにいたことはない。
「凪は大丈夫?」
「何が?」
「京都」
凪は目を伏せる。
「あ、あぁ……大丈夫じゃないか?」
煌羽が自分を心配している。安心させようと、凪は笑顔を作る。しかし、それは微妙に歪んだ苦笑いになってしまった。
♪
これは遠い記憶。
赤い。
壁も、床も、天井も、家族も、友も、私も。
赤い。
赤く染まる。
みんな死んでしまう。
裏切られた。信じていたのに。
こんなところで死ぬわけにはいかない。私には行かなければならないところがあるのに。
倒れ伏しながら伸ばした自分の手は、おぞましいほど赤かった。




