二句 着きたる手紙
若い女性に大人気のゲーム『あやかし奇譚!!』は、煌羽の通う昼明大学でも毎日のように女子の間で話題になっていた。講義が始まるまでの休み時間中も、近くの女子グループが攻略情報の交換などをしている。
「煌羽もやるのか?」
夏休み特別講義。前回のノートを確認していると、横から凪に言われた。
「まさか、やらないよ」
「共通の話題があれば話も弾むだろう」
「……友達とかいらないし」
煌羽の表情が翳る。力が入って、シャープペンの芯が折れた。いらない。友達なんて。裏切られるのは、もうごめんだ。
「あのー、すいませーん」
茶髪の男子学生に声をかけられた。
「席ないんでー、隣いいっすか」
一瞬意味が分からなかった。煌羽は教室を見回す。確かに、だいぶ席が埋まっている。
「あ、隣……。あ、はい、大丈夫です。どうぞ」
凪以外の人と学校で話すことは、ゼミ以外ではほとんどない。コミュ障丸出しで答えてから、少し恥ずかしくなる。
「どーもっす」
男子学生が煌羽の隣に座る。耳につけたイヤホンから、シャカシャカと音が漏れていた。
「煌羽、俺は外にいるから」
イヤホンから漏れるメタル系の曲に顔を顰めて、凪が教室を出ていく。それと入れ替わるように、白髪頭の教授が教室に入って来た。遠くなる凪の背中に向かって、煌羽は心の中で「ごめんね」と呟いた。
♪
友達なんてもの、私には不要だ。なぜなら、裏切るからだ。興味本位で近付いてきて、仲良しの振りをして、そして、私を壊して去っていく。あんな奴らのことを信じていた私が馬鹿だった。あいつらを信用なんてしなければ、あんなことにはならなかったのかもしれない。なんて、今更どうしようもないことだ。
ねえ、君は、私のそばからいなくなったりしないよね。私を裏切ったりしないよね。
今の私が信じられるのは、君だけなんだ。
♪
学校から帰ると、ポストに封筒が入っていた。郵便なんて滅多に来ないのに。煌羽と凪は顔を見合わせる。隅に北海道と書かれたキタキツネの切手が貼ってあった。差出人は雨夜晴彦。札幌に住む煌羽の伯父だ。
「晴彦伯父さんから? 何だろう……」
家に入って、煌羽は封筒を開ける。中から出てきたのは二枚の便箋。傘を差したカエルのイラストがワンポイントに入っている。
「晴彦は何と?」
便箋を覗き込む凪から逃れるように、煌羽は部屋へ直行する。
「あっ、おい、煌羽」
凪に見られるわけにはいかない。部屋に飛び込み、襖を閉め、もたれかかって開かないようにしながら、改めて便箋を見る。
『この前送ってくれたやつ、確認したよ。調べてみるね』
よかった。これで、きっと、ようやく……。煌羽の顔がほころぶ。
『データにしてあるから、現物は返すね』
煌羽は便箋を小脇に挟み、封筒を逆さにして振る。
すると、一枚の紙切れが降って来た。汚れや破れが酷いもので、『十五日、□□に会う。□□に□□の家』という虫食い状態でしか読めない。折角メモした予定がこの状態では、全く意味がない。
メモの内容が分かれば……。煌羽は、ずっとそう思っていた。これで一歩前進。よし、と頷いたところで、背中が襖から離れた。凪に開け放たれる。
「煌羽! なぜ俺に見せない。何かよからぬ文なのか」
紙切れと便箋を封筒に突っ込み、それを後ろ手に隠す。
「親戚からの大事なお手紙。凪には関係ないの」
凪の切れ長な目が見開かれた。瞳が、小さく震える。関係ない。その言葉をインコのように返して、凪は煌羽を睨みつける。
「どういう意味だ、関係ないって」
「そのままの意味だよ。分からないの?」
凪は眉間に皺を寄せる。手紙に手を伸ばすが、煌羽はさっと飛び退く。
「晴彦からの手紙だ、何かそういう類のものなのだろう? それなら、俺に見せてくれてもいいじゃないか」
「今回のは駄目なんだって」
「なぜだ」
「駄目」
「おい」
「これは駄目なの」
「煌羽」
「秘密なんだって」
「いつもは見せてくれるのに」
「ああっ、もう! しつこいなあ!」
「しつこいだと」
「いい加減にしてよ! 私の言うこと聞いて!」
「なんだと」
「駄目なものは駄目なの!」
「煌羽!」
凪に腕を掴まれる。
「もうっ! 馬鹿っ! 見られちゃ困るの!」
「説明しろ」
「どっか行ってよ!!」
凪の手を振り払って、煌羽は叫んだ。
思ったよりも大きな声が出て、煌羽自身もびっくりする。二度ほど肩で大きく息をして落ち着いたところで、頭のてっぺんまで上った血の気が一気に引いた。しまった、と気が付いて口に手を当てるが、時すでに遅し。煌羽の目に映ったのは、無表情という表情すら消え失せた凪の顔だった。
「え……あ……ご、ごめ……。ごめん……凪、あの、その……」
凪は答えない。踵を返して、立ち去ろうとする。
「待って、私が言い過ぎた」
伸ばした手は、袂を掠めただけだった。廊下の向こうに凪の姿が消える。
「……どうしよう」
煌羽はその場に崩れ落ちる。先日張り替えたばかりの畳の匂いが鼻に付いた。
ついかっとなって言い過ぎてしまった。感情的になるなんてらしくない。凪に嫌われたらどうしよう。
こういう時に頭に浮かぶのは、悪い想像ばかりだ。嫌われる。口を聞いてもらえない。無視される。一緒に大学に行ってくれなくなる。
凪がどう思っていようと、煌羽から離れることはできない。それでも、煌羽は不安で仕方がなかった。
煌羽に拒絶された。それは、凪にとって由々しき事態だった。
無言で、無心で、自室に向かった。襖を閉めたところで、どっと汗が噴き出た。目の焦点が定まらない。歯の根が合わない。おぼつかない足取りでフローリングを進み、畳に上がり、うずくまる。
煌羽と言い争いになるなんて、随分と久し振りだった。二人での暮らしは今年で三年目だったが、煌羽も凪もおとなしい性格だったから、喧嘩をしたのは数えるほどだ。脇息を掴む手が震えた。煌羽に手放されたらどうしよう。
今回は自分も出しゃばりすぎた。あのくらいの年頃の女の子には隠したいものもあるだろう。
「俺はなんてアホなのだろう……」
♪
君がいなくなったら私はどうなってしまうんだろう。
君に会う以前、私には好きな人がいた。けれど、もう会うことはできない。私の心の中で、あの人がいた場所。そこは、今は君の場所。
君に嫌われたら、きっと私は消えてしまうほど悲しいんだろうな。そう、消えてしまうほどに。