結句 これから先も
和菓子屋の朝は早い。凪が声も涙も枯れるまで泣き続けた為、裏庭から出たのは午前三時頃だった。京都の観光パンフレットに『店の親父さんは三時半起床』とあったため、かなりぎりぎりだった。凪の姿が見えなくても煌羽のことはもちろん見えるため、見付かると厄介だからだ。
「煌羽、もう一度、俺を御前の式にして欲しい」
神妙な面持ちで、枯れた声で言う凪に、煌羽は笑って答えた。
「当たり前でしょ。凩さんに頼まれちゃったし、私がこのまま貴方を手放すだなんて思うわけ?」
定例会での報告を終え、和菓子屋の地縛霊の件は解決、凪の持っていたメモの謎も分かったということで、雨夜家にはいつもの日常が戻っていた。
そんな十月のある日。
「あれ、お団子がない」
台所の調理台の上に置いてあったみたらし団子がなくなっている。残されているのは『私の、食べるな 煌羽』という書き置きだけだ。この家にいるのは二人だけなので、犯人はすぐに分かる。
食べるなって書いたのに! 煌羽は板張りの廊下を駆け抜け、縁側に出る。
「ちょっと! あのメモ見なかったの!?」
「あぁ、煌羽。この団子は実に美味だな」
「あのねえ……」
「団子を片手に虫の声に耳を傾けるとは、実に雅……」
風を感じている凪を刺激するのは危険だ。握りしめていた拳を解いて、煌羽は溜息をつく。式と主の主従関係なんて、二人には存在していなかった。いつかは追い越すが、享年だけで考えれば凪は煌羽より年上だったし、そもそも上流貴族だ。主は煌羽だが、単純に考えれば凪の方が偉いような気もする。二人に存在するのは、何にも代えることのできない強い絆だ。
「一人で食べても美味くないだろう?」
パックの中に団子は四串入っていた。凪が一串持っているから、残りは三串。
「ま、それもそうだけどね」
一串手に取り、煌羽は凪の隣に腰を下ろす。
「うん、美味しい」
庭の木々が所々赤くなり始めていた。団子片手に夜空を仰ぎながら、煌羽は少し凪の方に寄る。団子のなくなった串を持った凪が、横目に煌羽を見遣る。二人の視線が重なった。
「ねえ凪」
「ん?」
「私、貴方が好き」
凪の手から串がぽろりと落ちた。
「私は生きてて、霊じゃない。だけど、貴方が好き。貴方が近くにいてくれるだけで、一人じゃないんだって、とても幸せなの。だから、ずっとそばにいてね」




