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九句 待たせたね

 煌羽と凪の京都遠征は、空振りとなった。十五日の夜に一応和菓子屋へ向かったのだが、いたのは心霊女子のグループだけだった。彼女達も「空振りだー」と落胆していた。


「最初の目撃日が、丁度新暦と旧暦が重なっていた時なんですよ」


 集会所での定例会。煌羽は今回の調査報告を読み上げていた。


「で、噂の地縛霊が出るのは、旧暦の十五日なのではないでしょうか。と、うちの凪鶴が」


 部屋中の霊媒師やその式達の視線が凪に集まる。凪はゆっくりとまばたきをして、咳払いをする。


「地縛霊は俺のかつての恋人です。俺を、ずっと待ち続けているんです。だから、この件は俺がしっかり落とし前をつけます」


 恋人? 凪鶴の? 一同がざわつく。


 代表の老人がふてぶてしい腹を揺らして笑った。その姿に凪が嫌悪感丸出しの表情になる。


「凪鶴よ、落とし前をつけるとは、どのようにかな」

「それは状況を見て主と共に判断します」

「ほう」


 白い髭を撫で、老人がにかりと笑う。


「お手並み拝見だな」





 旧暦八月十五日、夜。


 煌羽と凪は再び京都へやって来ていた。すでに夏休みは終わっていたが、一回くらいサボっても大丈夫だろうと煌羽は考えていた。


「くっそ、あのじじい……」

「凪、あの人代表だから。協会がなかったら、私達霊媒師はインチキだって疑われちゃうんだからね」

「俺はあいつ嫌いだ」


 代表は根っからの平安オタクだった。そのため、霊媒師達が連れる式の中に貴族を見付けると、ついつい顔がにやけてしまうのだという。凪にとっては厄介な話だった。


 和菓子屋の近くまで来ると、霊の気配がした。前回は全く感じられなかったものだ。


「やっぱりここにいるみたいだね」


 頷き、凪が裏木戸を開ける。


 中秋の名月。その明かりのもとに、(から)衣裳(ぎぬも)を纏った女が立っていた。緋の唐衣に、梅重ねの五衣(いつつぎぬ)。膝より下まで伸びる髪が、ゆるゆるとうねる。


 煌羽は裏木戸の前で踏みとどまった。


「凪、私はここで待ってる。凩さんに会ってあげて」

「……分かった」


 深呼吸をして、凪が一歩踏み出す。


 月を見上げていた女が、振り向く。うっすら紅の引かれた唇が、小さく開かれる。


「……鶴様?」


 間違いない。葵祭の時に牛車から見えた、あの姿。


「凩!」

「……来て……下さったのですね……」


 凩の目からぼろぼろ涙がこぼれた。美しい顔が、くしゃくしゃに歪む。


「つる……さま……」


 凪は凩に歩み寄り、優しく抱きしめる。幾重にも重ねられた着物越しでは、互いの体は離れてしまう。けれど、そんなことは関係ない。そこに相手がいて、触れることができるのが、二人にとって何よりの喜びだった。


「すまない、待たせたな」

「ずっと……ずっと待っていました……。鶴様のこと……ずっと……」


 凪の袍に顔を押し付けて、凩は泣き続ける。


 裏木戸の陰から様子を見ていた煌羽は、鞄から出しかけていた除霊の護符をしまう。悪霊になっていたら凪を押し退けてでも祓うつもりだったが、どうやらその必要はなさそうだ。


「わたくし、待っていました。けれど、貴方は来て下さらなかった。わたくし、貴方の邸宅まで行ったんです……でも、貴方はもう……」

「その時貴女が落としたメモが、私をここまで導いた」

「わたくしの……めも?」


 そっと凩を引き離し、凪は懐からぼろぼろのメモを取り出す。『十五日、□□に会う。□□に□□の家』。凩の涙で滲み、凪の血で汚れた紙切れは、千年の時を経て崩れてしまっていた。


「鶴様が持っていらっしゃったのですね。わたくし、どこでなくしたのか分からなくて」

「貴女がこれを落とし、私が持ち続けていたから、再び会えたんだ」

「……わたくし、貴方を失った心労であの後すぐに病で伏せってしまい、そのまま……。死んで再開するなんて、不可思議ですね。貴方に……貴方に会えてよかった……」


 凩の体が薄ぼんやりと光っていた。この世を彷徨う霊は、大抵この世に未練を持っている。持っている霊力が失われた時、もしくは未練がなくなって満足した時、その体はまばゆい光に包まれて消滅する。


「凩、待て、やっと会えたんだ、これくらいで満足するな、待ってくれ」

「凪!」


 黙って見ていた煌羽が裏庭に入って来た。


「もう限界なの、その人。霊力がもうないの。凪に会いたくて、ずっとずっと、消えてなるものかって、耐えていたの。でももう、無理なの」


 凪は凩に向き直る。そうなのか。と、尋ねようとしたが声が出なかった。徐々に光が強くなる凩を呆然と見る凪に、凩は笑顔で頷く。


「い、嫌だ……俺は……そんなの……。やっと会えたのに……」

「凪」


 煌羽が凪の袍の袂を掴む。


「逝っていいよ。貴方がそうしたいなら」

「煌羽……?」


 言っている意味がよく分かっていないようだった。唇を噛んで、煌羽は潤んだ目で凪を見る。


「凩さんと一緒に、逝っていい。成仏していい。貴方がそれを望むなら、式神の契約を解除する」


 霊媒師などの霊能力者と式神の契約を結んだ霊は、自身の霊力や未練などとは関係なく、主が生きている間は存在が保障される。契約を解除してしまえばその途端にただの霊になり、霊力や未練に基づいて存在の有無が決まるようになる。また、普通の霊にはできないが、元式の場合、強く望めば自ら成仏することができる。


 煌羽は、凩と共に凪を旅立たせようとしていた。自分といるよりも、愛する人と一緒に成仏することの方が凪にとって幸せなのではないだろうか。


「凩さんが消えちゃう前に、さっさと決めてね」


 袂から手を離し、煌羽は数歩下がる。


「大丈夫。私、貴方がいなくなっても、きっと頑張れるからっ……だからっ、逝ってもいいよ、凪……」


 凪の背中に手を押し当ててから、煌羽は裏庭を飛び出した。


「煌羽っ!」


 追い駆けようとして、躊躇う。


「行かなくていいのですか? 泣いていましたよ? 彼女、鶴様の大切な人なんでしょう?」

「……あいつ、契約を解除して行きやがった……」


 それは、逝ってらっしゃいの合図。煌羽は、凪鶴を手放した。







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